2016.05.13
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新任あるあるVol.3 「心を開く(1)」

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

 新緑の美しい季節となりました。私事ですが、ちょっとしたご縁がきっかけで、ゴールデンウィーク中に対馬を訪ねてきました。とても素晴らしい景色を見て、元気をいただきました。風が強くて飛行機が揺れ、ひじ掛けにしがみついて祈り続けるという貴重な体験もしてきました。とてもいい気分転換ができ、仕事をがんばっていこうという気持ちになりました。

 

 さて、よく「心を開く」とか、「心を解放する」という表現を耳にします。これらの表現は、実際にはどのような状態を意味しているのでしょうか。なぜ心を開くことが必要なのでしょうか。これはとても難しいテーマなので、2回に亘って考えていこうと思います。

 例えば学校にいる子どもたちが教師と関わろうとするとき、心を開いている教師であれば、「この人は自分の思いを受けとめてくれる」、「愛情をもって接してくれる」と感じることができます。子どもは勘が鋭いので、自分が関わっても大丈夫な大人かどうかを、素早く見抜くことができるようです。子どもは保護されて生きていく必要があるので、自分を守ってくれる人を見分ける能力が高いのかもしれません。

 ところが、いつも忙しそうにしていたり深刻な表情をしていたりする大人や、話しかけてもまともに返事をしてくれない大人、あるいは感情的な波があってすぐに怒りだしたり不機嫌になったりする大人に対しては、話しかける気にはなれないでしょう。また、自分のことを話すときに、飾り立てたりごまかしたりする人に対しても警戒心をもちます。それは大人同士の関係であっても同様です。

 このように考えてみると、「心を開く」というのは、人との関係を作る基本であるように思います。例えて言うならば、お客さんが玄関のチャイムを鳴らしたときに、笑顔で玄関扉を開けるようなものです。それによって、人との関係を築くことも容易になりますし、その関係を円滑に保つこともできるようになります。

 さらに言えば、心を開いて関係を築くことは、教師が子どもたちに勉強を教えたり指導をしたりするための土台となっていきます。「ラポール」という臨床心理学の用語があることをご存知ですか。友人から教えてもらったので調べてみたところ、「相互を信頼し合い、安心して自由に振る舞ったり感情の交流を行ったりできる関係」を表すのだそうです。学校現場では、「信頼関係を築く」という表現がよく使われますが、それは「ラポール」という関係なのだと思います。

 私の経験から申し上げれば、このような関係を作ることによって、学習の成果は格段に上がっていきます。信頼関係ができていれば、「この人の話は、聞く価値がある」と相手に思ってもらうことができるからです。集中して話を聞くことは、学習の成果を上げる早道なのです。また、いたずらをして叱られたとしても、教師が自分のためを思ってくれているのだという気持ちが伝わります。愛情によって関係が結ばれれば、子どもたちを人間として丸ごと育てることができるようになっていきます。

 

 とても些細なことですが、心を開くことの大切さを気付かせてもらった例をご紹介しましょう。少し前に、私が身体計測の手伝いをしていたところ、ほとんど会話を交わしたことのない子どもから、「荒畑先生、僕の身長は縮んだみたいだよ」と声をかけられました。私はびっくりしてその子どもの持っていた、健康診断の記録カードを見せてもらいました。すると、1月に測定していた数値よりも、その日に測定した数値が明らかに低かったのです。これは間違えたかもしれないと思い、測定をし直してもらいました。案の定、数値が誤っていたようでした。担当の教師も謝ってくれたので、その子どももほっとしたような表情を見せていました。

 あのときに、私がピリピリした表情で接していたら、きっとその子どもは話しかけてはくれなかったでしょう。身長が縮んだという不安を抱えたまま過ごすことになったかもしれませんし、不安感を耳にした保護者から苦情を受けることになっていたかもしれません。

 

 では、信頼関係を築くには、どのようにしていけばいいのでしょう。教師のスキルアップを図る書籍には、興味深い内容が書いてありました。私は、人と人との関係を築くには言葉遣いや表情、仕草が大切だと思ってきましたが、それに加えて「外見・服装」とあったのです。教師というのは似たり寄ったり、それなりの服装をしているものですから、あまり意識したことはありませんでした。しかし、この本を読んだ後、外見や服装も意識しなければならないと気付かされた出来事が立て続けにありました。

 ひとつは、子どもたちが、ある教師のファッションチェックをしているのを耳にしたのです。「あの先生のズボンはピッタリしすぎていて似合わない」というのです。オシャレに敏感な年頃とはいえ、子どもは細かなところを見ているのだなと思いました。

 もうひとつは、自分自身のことです。あるとき、黒いカットソーに黒っぽいスカート、黒いタイツで仕事をしていたところ、子どもだけでなく同僚からも、「真っ黒なスタイルは珍しい」とか、「低学年の子どもたちと会ったら、魔女みたいだって言われますよ」などなど、それは様々なチェックが入りました。普段は黒のパンツであっても、上は白とか柄物のブラウスやカーディガンでいることが多いので、ファッションひとつで印象をガラッと変えてしまうのだと気付かされ、おおいに反省することとなりました。

 正直、学校で働くとかなり汚れます。プリントのインクや、丸付けのための赤インク、チョークなどばかりではなく、給食の配膳でも汚れることを覚悟しなければなりません。ずいぶん前に、やんちゃな低学年を受け持ったときには、裸足で身体をよじ上られることもありました。ですから、高価なスーツを普段着にすることはできません。ただそうであっても、自分に合った洋服を着て授業をすることは大切なのだと、改めて考えさせられました。

 気持ちを安定させ、穏やかな表情で、場にふさわしい行動を心がけること、TPOに合わせたスタイルを心がけることは、心を開く第一歩です。子どもたちとの関係をよりよくしていくために、日々努力していこうと思います。

 

 最後におまけの笑い話です。勤務校では、保護者会や学校公開、研究授業や会議のときには教師のほとんどが黒いスーツを着用するので、子どもたちは黒いスーツを「先生の制服」と呼んでいます。私の若いころにはなかった現象なので、最近の傾向に戸惑っています。黒以外でも、きちんとしたスーツを着ていればいいと思いますし、子どもたちの前で真っ黒というのもいかがなものかと、(自分のことを棚上げにして)思うことがあります。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

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