教師の自分は「何役」ですか?―学校での自分を理解して子どもに向き合う―
教室の中で一番見えないのは他でもなく教師である自分自身です。
ここに自覚的になれば、子どもたちへのアプローチが変わってくるかもしれません。
福島市立福島第一小学校 教諭 横山 淳平
あなたは学校で何役を演じているのか?
ところでみなさん、これまで学校で何役を演じたことがありますか。
自分は何パターンの役割を持ち、それはどんなときに、どんな条件や文脈で発生した役割だったでしょうか。
刻々と過ぎていく毎日で、立ち止まって自分を見つめ直す機会はなかなかないと感じています。
私もそうです。つい自分のことは一番後回しになってしまいがちです。
しかし、子どもとのやり取りの中で必ず、教師は何かの役割になりきって子どもの目の前に現れているはずなのです。そしてそれは、自分の体調や性格、関係性、そして得意・不得意といった背景によって、無意識のうちに変化しているのではないかと考えています。
今日は、そんな自分を少し離れたところから眺めてみませんか?というお話です。
得意と苦手が無意識に教師の役割を決めている
教師は、自分ではない誰かを作り上げる必要はないと思っています。自分という人間が持っている多面性の中から、その瞬間の目の前の子どもに合う引き出しを選んで差し出せればいい。
しかし私たちは、知らず知らずのうちに特定の引き出しばかりを開け続けてしまうことがあります。
その大きな要因の一つが、自分自身の得意・不得意にあるのではないかと感じています。
例1:国語が得意で、自信がある。
→無意識に「学びの面白さを伝えたい」という気持ちが大きくなってしまい、自分が楽しくて熱中するあまり、実はついてこられていない子どもが多くいることもある。
例2:算数が苦手で、自信がない。
→ついつい教科書通り進めるという意識が働いてしまう。余裕のなさを隠すために、子どもたちの自由な発想をうまく受け入れられない。
自分も教科や内容ごとに変化する役割のズレやギャップに無自覚である時期がありました。
教師自身の自覚が子どもに余白を与える
私がなぜ、この役割の自覚を大切にしているのか。それは、教師の自覚こそが、最終的に子どもたちの安心と自由に直結するのではないかと考えているからです。
教師が自分のズレに無自覚なまま、特定の立ち位置に固執し続けると、子どもたちはその窮屈な枠に合わせて振る舞わざるを得なくなります。
教師が伝えたい役割になりすぎれば子どもは受け身になり、教師が管理したい役割に徹すれば子どもは指示待ちになってしまう。
しかし、「あ、今の自分は苦手意識のせいで、少し管理側によりすぎたかもしれないなあ」と自覚できた瞬間、そこにふっと余白が生まれると思うのです。
これこそが、子どもたちが自分らしくいられるために大切なのではないかと感じています。
一歩引いて、自分を眺める時間をもとう
忙しい毎日が続いているかと思いますが、ふとした瞬間に一歩引いて、自分を眺めてみてほしいと思っています。
教師が自分自身の揺らぎや、得意・不得意による偏りを認め、それを自覚している姿は、子どもたちにとって「完璧じゃなくていいんだ」「いろいろな自分がいていいんだ」というメッセージになるのではないかと考えています。
このような教師自身の自覚の営みが、巡り巡って子どもたちが自分自身のありのままを肯定し、思い切り成長していける土壌になっていくはずです。そう信じて、明日からも教壇に立ちたいと思います。
みなさんもご一緒にいかがでしょうか?

横山 淳平(よこやま じゅんぺい)
福島市立福島第一小学校 教諭
早稲田大学大学院教育学研究科修了 修士(教育学)、日本金融教育支援機構教員アンバサダー、東北社会科を面白がる会・ふくしま社会教育士の会事務局、その他FPやICT関係の資格保有。
「子どもがいるから学校がある」をモットーに、教師としてできることを考えています。
ご意見・ご要望、お待ちしています!
この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)
この記事に関連するおススメ記事
「教育エッセイ」の最新記事













アグネスの教育アドバイス
映画と教育
震災を忘れない



この記事をクリップ
クリップした記事
ご意見・ご要望










