2026.01.27
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中教審ワーキングの議論を学校現場の実践につなげる ~次期学習指導要領を見据え、今こそ「探究の誤解」を解く~

総合的な学習(探究)の時間を通して、大きく成長した生徒や、総合を軸に変わっていった学校を、これまで数多く見てきました。
一方で、「総合的な学習(探究)の時間は大事だと思う。でも正直、もう限界だ」。
そんな声も、現場で何度も耳にしてきました。
次のステップに進むために、今、本当に大切なことは何でしょうか。

立命館宇治中学校・高等学校 数学科教諭(高校3年学年主任・研究主任) 酒井 淳平

いよいよ次期学習指導要領に向けた動きが本格化

学校現場では、ようやく現在の学習指導要領に慣れてきたというのが正直なところですが、すでに次期学習指導要領に向けての動きが本格化しています。2025年9月には、中教審教育課程企画特別部会から、指導要領の改訂に向けた「論点整理」が公表されました。これによって次期学習指導要領の全体的な改訂の方向性が明らかになったと言えます。その後、各教科等に分かれた17のワーキングで議論が進められています。

生成AIの例を出すまでもなく、社会の変化は激しく、予測困難な時代であることは間違いありません。一方で、10年後の人口など今から予測できることもあり、その対応を考えることは重要です。教育の世界においても、同様ではないでしょうか。論点整理や中教審ワーキングの資料には、教育の世界で近い未来に起こる可能性が高いことが書かれています。だからこそ、これらの資料を確認しながら、今の実践を進めることが大事です。

生活、総合ワーキンググループでの議論

私が所属している「生活、総合的な学習・探究の時間ワーキンググループ」では、2025年に3回の会議が開催されました。第2回は、情報・技術ワーキンググループとの合同開催でした。すべての資料は公表されていますが、特に第3回会議では「前提となる諸論点の整理」ということで、「総合的な学習・探究の時間に関する 目標・内容の構造化等について」議論しました。
探究の概念に関わる整理、「探究の質」の考え方、総合における探究と各教科の学びとの関係、探究のプロセスとさまざまな探究の在り方、教育課程における総合的な学習・探究の時間の位置付けなどが盛り込まれた資料は必見です。

ワーキングで話題になったのは「様々な探究の在り方と探究のプロセスについて(イメージ)」でした。特に高等学校で顕著ですが、学校の特色や置かれている状況によって、探究の形は異なります。
地域との関わりが深く、プロジェクトベースで実施する学校もあれば、スーパーサイエンスハイスクールに指定されているなどで、大学や研究機関と協働しながらアカデミックな探究に取り組む学校もあります。それらはどちらが正しいということはないのですが、人には得手不得手や好みがあり、一歩間違うと「〇〇こそが探究だ」ということが強く語られかねません。
こうした探究の在り方について、これまで文科省が示すことはなかったのですが、それを参考資料などの形で示したことには意味があります。こうした資料が示されることで、各学校が自校の特色をふまえた総合の時間に取り組みやすくなります。ワーキングでは委員の先生方からも「ぼやっとしたものがすっきりしたイメージ」「早く学校に伝えたい」などの発言がありました。

次のステップに進むために大切なこと

このように、次期学習指導要領に向けた議論は着実に進んでいます。生活・総合ワーキングでも、これまでの蓄積を踏まえながら、次のステージに進むための整理が行われてきました。制度として、考え方として、準備は確実に整いつつあります。では、そのことによって、本当に次期学習指導要領が始まったとき、各学校での取り組みは今より前に進むのでしょうか。
私自身は、ぜひそうあってほしいと思っています。しかし正直に言えば、現時点でその問いに迷いなく「YES」と答えることはできません。特に「総合的な学習・探究の時間」に目を向けたとき、今のままでは、同じ課題が繰り返されてしまうのではないかという不安も感じています。では、今、何が必要なのでしょうか。
私が強く感じているのは、「新しいことを始める前に、まず探究に対する誤解を解くこと」が不可欠だということです。

総合的な学習の時間が始まってから25年以上が経ちました。現在の学習指導要領のもとでは「探究」という言葉も広く使われるようになり、各学校で多様な実践が積み重ねられてきました。その一方で、総合の時間が形骸化してしまったり、一部の担当者に過度な負担が集中したりする状況も、依然として見られます。

また、探究と基礎学力が、あたかも対立するもののように語られる場面に出会うことも少なくありません。こうした誤解が解かれないまま取り組みだけを進めてしまうと、結果として学校内に対立構造を生み、現場を疲弊させてしまうのではないかと感じています。その象徴的な例の一つが、「探究の成果」の扱われ方です。

近年、探究の学習成果が大学入試などでも評価されるようになったことを背景に、「よい成果物をつくり、外部で評価されることが探究のゴールである」と受け取られてしまうケースがあります。成果物に注目が集まりすぎると、そこに至る過程での生徒の成長は、どうしても見えにくくなります。
さらに、賞を取ることを目的とした指導が広がれば、その枠に当てはまりにくい生徒が切り捨てられてしまう可能性もあります。その状況を見て、探究そのものに疑問を抱く教員が出てくるのも、無理のないことです。

結果として学校に残るのは、「成果を出すための手厚い指導」と、それに伴う教員の負担、
そして、探究に対する賛否が分断された空気です。

ここで大切なのは、こうした状況が、誰かの怠慢や悪意によって生まれているわけではないということです。成果を重視する教員も、そのことに違和感を覚える教員も、いずれも生徒の成長を願って行動しています。だからこそ、対立が深まってしまうのです。

こうしたすれ違いを防ぐための鍵は、探究の本質を共有することにあると私は考えています。探究は「勝つための学び」ではなく、「問い続ける学び」です。結果としての成果物は大切ですが、それ自体が目的になるわけではありません。

現場では、たとえば次のような誤解が、知らず知らずのうちに広がっているように感じます。

・探究は、成果物や受賞によって評価される学びである
・探究は、活動さえ行えば自然と深まる学びである
・教師は、探究においても常に正解を示さなければならない

これらの誤解が解かれないままでは、どれほど制度が整っても、探究の学びは本来の力を発揮できません。だからこそ、次の学習指導要領に向けて今こそ必要なのは、「新しい探究を広げること」よりも、「探究についての共通理解をつくり直すこと」なのではないでしょうか。

探究は、すぐに答えが出る学びではありません。だからこそ、教師自身も問い続けながら、生徒とともに歩む学びであるはずです。

みなさんの学校では、探究はどのように捉えられているでしょうか。次のステップに進む前に、一度立ち止まって考えてみることも、大切なのかもしれません。

もし機会があれば、こうした探究の誤解と本質についてもさらに深めたいと思います。

酒井 淳平(さかい じゅんぺい)

立命館宇治中学校・高等学校 数学科教諭(高校3年学年主任・研究主任)
文科省から研究開発学校とWWLの指定を受けて、探究のカリキュラム作りに取り組んでいます。
キャリア教育と探究を核にしたカリキュラム作りに挑戦中です。

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