どうも、今村です。
僕は小学生の頃、理科が大好きでした(今も好きです)。理科の先生になりたいと思っていました。理科の教科書や資料集を読むのもとても好きでした。
一方で、国語の授業というものはほとんど記憶にありません。覚えているのは漢字のテストが毎回大変だったな、ということくらいで、授業で何かを読むということが楽しいと思ったことがありませんでしたし、自分で本を手に取って読むということもしない小学生でした。
それが今では、一応偉そうに国語の授業をしたり、国語の授業について話をしたりさせていただくようなことになっています。不思議なものです。
突きつけられた壁
国語との向き合い方で、一つ忘れられない思い出があります。
高校3年生の4月。現代文の授業だったと思うのですけれど、そこで先生がペラっと一枚プリントを配りました。何かの論説文でした。一言一句正確には覚えてないんですけれど、先生が大体以下のようなことを言いました。
「この文章で筆者が言いたいことを、3文字で言えたら、この授業を終わっていいよ」
何を言いたいのかを、3文字で。簡単にできそうだな、と思ったんですね。
でも、なかなかできなかった。
徐々に、席を立って、先生に一言伝え、授業を終わっていく人たちが出てきます。
一人、また一人と授業を終えていきます。
一方の僕は、何度読み返しても、それがわからなかった。
読み返すたびにわからなくなっていくような感覚さえあった。
僕はずっと席に座ったままでした。
授業時間の終わりに、先生が一応解説らしきものをしていましたが、ほとんど僕の耳には届きませんでした。
できなかったことが悔しかった。
頭が真っ白だった。
でも、わからないことがちょっと愉しかったんだと思うんです。
そして、わかるようになりたい、と思ったんですね。
舐めていた
小学校のころから、「国語ができない」という感覚は正直全く持っていなかったんですね。小学校のテストは、紙の上部半分に教科書の一部やカラーの絵などが印刷されていて、下半分に問題が書かれていました。問題が書かれている大体上のところを見ると、その問いの答えが書いてある、という感じでした。正直そんなものは勉強しなくたって解けるじゃないか、だって答えが書いてあるんだから、と思っていましたし、既に述べたように国語の授業が面白い、と思ったことは全くなかったのです。
正直、国語というものを舐めに舐めていたのだと思います。
それが、高校3年生のあの日、「いや、全然簡単じゃねぇじゃん」と手も足も出なくて打ちのめされて、初めて「できるようになりたい」と思った。あれは本当に大きな1時間だったな、と思います。
舐めていた国語をやってみたい、わかるようになりたい、と思って高校3年生の1年間を学び、当時のセンター試験で国語が一番悪い点数だったのにも関わらず大学では国語教育のコースに入り、4年間国語を中心に学び、教員になってからも国語の授業を自分の仕事の中心に据えてやってこられたのですから、本当に不思議なものだな、と思います。
教師に感謝することと、学びを好きになるということは必ずしもイコールではない。
国語という教科の面白さ、魅力をわかりたい、と思えたこと。それは高校3年生のときのあの先生のおかげだと断言できます。
先生は何も、励ましの言葉や懇切丁寧なアドバイスを細かにくれたわけでもありません。面白くない勉強をその先生の魅力でやってしまう、ということではなく、勉強を面白い、と思わせてくれた。だからその先生とずっと一緒にいなくても、国語というものをずっと好きでい続けられた。
言ってみれば先生は僕の前に壁がある、ということを隠さずに教えてくれた。壁に気付いたことで僕は、この壁をよじ登る自分でありたい、と思うことができた。
壁を前に「それを越えたい」と思う前に、壁を壊すのを手伝ったり、効率のよい壁の壊し方だけ教えたりしてしまう。そういうことって、意外とたくさんの場所で起こっているのかもしれません。それをすれば、子どもは教師に「お世話になった」と感じやすく、感謝しやすいのかもしれないけれど、教師に感謝するということと、学びを好きになるということは必ずしもイコールではない。
国語という学びを好きになるきっかけは、壁でした。
そして、その壁をあの時突きつけてくれた先生に、今心の底から、感謝しています。
今村 行(いまむら すすむ)
東京学芸大学附属大泉小学校 教諭
東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、
ご意見・ご要望、お待ちしています!
この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)