2024.04.03
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読み方の美しい人

「読み方」という窓から、美しい人について考えます。

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行

どうも、今村です。
目に映るものから、ポッとタイトルが浮かんでしまったので、見通しもなく書き始めてしまったシリーズです。度々こういうことがあります。

こうしてエッセイを書かせていただいたり、学校の中でお便りを書かせていただいたり、子供に手渡す通知表に記載する所見を書かせていただいたり、まぁなんだかそれなりに書くということをやっていると、それがどう読まれるのか、ということはとても大きな関心事になります。
文章を書くということは、自分の人生の一部をすりおろして、それを言葉というものに成型することだと私は思います。ですから、それを差し出した時にどのように受け取っていただけるのか、ということはすごく不安です。自分の書いた文章が本当にこれでいいのか?という疑問は常について回ります。
ですから、読み方の美しい人に出逢うと、とても嬉しい気持ちになるのです。
では、読み方の美しい人とは、いったい何か?

読み終わった後のこと

一度、「読み終わった後のこと」に焦点を当てて考えてみます。
たとえば、読み終わって手放しで絶賛してくれる人が「読み方の美しい人」で、読み終わって批判してくる人が「読み方が汚い人」なのでしょうか?
そうではない、と思います。
読み終わって手放しで絶賛してくれる人は、もしかしたら読む最中、文章の中身なんてほとんど飛ばしてしまって「自分はいかに巧みに相手を褒められるか」に夢中になっているのかもしれませんし、とにかく文章を書いた人に気に入られたいだけかもしれない。それは、文章というものと向き合う姿勢として美しいとは思えません。それは単に「読み方の甘い人」なのかもしれないわけです。
逆に、読み終わって書いたものを批判してくる人は、真摯に文章に向き合い、細部まで味わおうとした上で、どうしてもここは…と読み手としての責任を果たすために批判してくれているのかもしれないわけです。結果として批判してくる、ということだけにフォーカスしてそういう人を「読み方が汚い人」と決めつけて近づけないようにすると、周りにいるのが自分に対して甘い人だけになってしまう。そういう可能性があります。

このように考えてみると、「読み終わった後のこと」だけに焦点を当てて「読み方が美しい人」の輪郭を明らかにすることはできないと思います。

今まさに読みつつある最中に

読み方が美しい人というのは、読み終わった後に褒めるか批判するかということに関わらず、まさに今読んでいるという最中にどのように向き合ってくれているか、ということによって決まる。これが私の仮説です。

読んでいる最中に、目を瞠ってくれること。
行をなぞる視線が、段々と熱を帯び加速すること。
驚きとも喜びともとれるようなため息が漏れること。
読み手の中にある大切な景色と、文章を結びつけてくれること。
読み手の経験ではわからないことを、わかったふりをせずに、疑問符を抱きながら読み進めてくれること。

読みつつある最中の姿は、千差万別、十人十色かもしれません。ですが、その文章を前に、自分の余計な思考を一度脇へ置いて、その身体でしっかりと受け止めようとしていることがちょっとした仕草から伝わってくることがあります。
それが伝わってきた読み手から褒めていただけると、本当に嬉しく思います。逆に、そのような方から批判していただいたときには、それを踏まえて自分の文章を見つめ直すとよりよいものにできそうな期待と確信を抱くことができます。私は、そのような読み手を、「読み方が美しい人」と呼びたいと思います。

自分が今まさに読みつつある最中のことは、自分でよくわかっていないことが多いのかもしれません(自分が文章を読んでいる時、どんな顔をしているか、見たことありますか?)。そもそも全く気にしていない人もいる。ですが、読み方というのは、確実に書き手に対して大きな影響を与えます。
私は幸運にも、読み方が美しい人にも、読み方が汚い人にも出会ってきました。読み方の美しい人に出会うことで、自分の表現が高められることも思い知りました。
ですから、自分自身が読み方の美しい人でありたいと思います。そういう人が教室にいるという事実は、きっと、いや確実に、子供の書くということに対する意識を変容させます。

美しい人

今回は「読み方」という窓から、美しい人について考えてみました。
きっとこれは「聴き方」についても言えるし、さらに広げれば「食べ方」「飲み方」「着方」「履き方」なんかにも言えることかもしれません。
そう考えると、目に映る美しい人たちの在り方から、教室の中での自分の在り方についていくらでも学ぶことができるように思っています。

今村 行(いまむら すすむ)

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭

東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、東京学芸大学附属大泉小学校にやってきて今に至ります。教室で目の前の人たちと、基本を大切に、愉しさをつくることを忘れずに、過ごしていたいと思っています。

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