2023.08.18
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悲劇のヒロインには、なってあげない

ところで悲劇のヒロインってモテるんですか?

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行

どうも、今村です。
突然ですが、質問です。
あなたの周りには、悲劇のヒロインはいますか?
もう一つ、質問です。
あなたには、悲劇のヒロインになる素質はありますか?

悲劇のヒロインという言葉はなんだか耳馴染みがありますが、ヒロインというのは女性を表す言葉です。ヒロインという言葉の男性に適した言い換えがうまいこと見つからないので、今回はとりあえず性別関係なく「悲劇のヒロイン」という言葉を使わせてください。

あなたの周りには、悲劇のヒロインはいますか?

悲劇のヒロインと聞いて、どんな人を思い浮かべますか? 例えばこんな感じでしょうか。

・悲劇、不幸がふりかかり、それに翻弄される
・自分を可哀想だと思い、憐んでいる
・人よりも自分が辛い思いをしていると感じている
・誰かの救いを待っている

こういう人って、それなりにいますよね(教室の中にも、こういう人はそれなりにいますよね)。あなたは、そういう人たちに関わる時、どのように接しますか。

私は、率直に申し上げると、悲劇のヒロインを演じる人は苦手です。
彼らに、それなりに大変な悲劇、不幸がふりかかっているのは事実なのだと思います。大変なのだろうと思います。
ただ、それを自分で可哀想だと思い、憐んで、途方にくれているだけで、誰かが救いの手を差し伸べてくれるとは、私は思えません。自分の不幸にフォーカスを当てることは当人の自由ですが、それで現実が変わるとはあまり思えない。
それに、人は自分の不幸にもフォーカスを当てるだけでなく、些細な幸せにもフォーカスを当てることができるはずです。大変なことって、いっぱいあります。言ってしまえば、誰にだって大変なことは日々降りかかっています。その中で、何にフォーカスを当てるのかは、当人の問題です。

でも「そんなことをやっていても現実は変わらない。世の中には大変なことはたくさんあるけれど、何にフォーカスを当てるのかはその人自身の問題だよ」なんてことを言っても、悲劇のヒロインたちには通用しません。
それこそ「ほら、やっぱり自分の大変さを人は理解してくれない」と、自分の悲劇のヒロインの度合いを強化していきます。
悲劇のヒロインたちは、実は悲劇から抜け出そうとは思っていないことも多いし、自分が置かれている状況に酔っていて、自分の視野が広がらないよう、入念に気を付けていることも多いです(「ヒロイン」だから、世界が広がりすぎると中心に自分がいられなくなってしまうんですね)。自分を先に被害者のポジションに置いてから相手と関わる方がすごくコスパがいいと思っている。そうですよね、自分を慰める言葉は耳に心地いいでしょうし、それ以外の指摘は全て「ほら、やっぱり」と自分の立場を証明する言葉に捉え直せてしまうんですから。

能動的攻撃と受動的攻撃

悲劇のヒロインが他者に対して攻撃的になるとき、二つのパターンがあります。
「能動的攻撃」と「受動的攻撃」です。
能動的攻撃というのは、主張が目に見える形で表出するものです。直接相手とぶつかりので誰の目から見てもわかりやすいものです。
一方、受動的攻撃というのは、相手に自分の意思をはっきり伝えずに、相手からの要求などを拒むことを指します。例えば約束してもその約束を覚えておかないようにしたり、簡単に破ったり、あるいは相手をイラつかせるほどにゆっくり実行したり。あるいは極度に落ち込んだ様子を相手に見せることで、相手を嫌な気分にさせたり。そして、そのように相手を困らせる権利が自分にはあると思っています。自分の方が先に被害者だと思っているので。

能動的攻撃はもちろんいいことではないかもしれませんが、少なくとも自分がそうしていると自覚しています。だから、自分の行動に責任を持っているとも言えます。一方で受動的攻撃をする人は、自覚がありません。相手を困らせるようなことを無意識に行なって反抗しており、潜在的な怒りを相手に悟られないように行動します。相手から潜在的な怒りを指摘されようものなら「え!?」と驚き、「そんなふうに人の心を決めつけるなんて酷い!」と、これまた悲劇のヒロインの度合いを強化する材料としていく。受動的攻撃を仕掛ける人というのは、ものすごく頑固になれてしまうのです。

あなたには、悲劇のヒロインなる素質はありますか?

「あなたの周りには、悲劇のヒロインはいますか?」という問いに対して、自分なりに答える形でここまで書いてきました。正直なところ、ものすごくしんどかったです。

なぜか?

私は、ここまで書いてきて、こういう悲劇のヒロインの素質が、自分に十分にあると思いました。もう一つの「あなたには、悲劇のヒロインになる素質はありますか?」という問いに対して、私は「イエス」と答えざるを得ない。自分が無意識に相手を攻撃したことだって、ある。それは、自分とかけ離れた話では決してない。苦手なのは、そこに自分自身を見出してしまえるからなのだと思うのです。
そういう自覚が、強くあるからこそ、こう言っていきたいです。

「悲劇のヒロインには、なってあげない」

今村 行(いまむら すすむ)

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭

東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、東京学芸大学附属大泉小学校にやってきて今に至ります。教室で目の前の人たちと、基本を大切に、愉しさをつくることを忘れずに、過ごしていたいと思っています。

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