2023.07.28
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個性と失礼

失礼にならないように、だけでは辿り着けない場所がある。

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行

どうも、今村です。
なんとなく韻を踏んでタイトルを決めてしまったのですが、日々感じていることを形にできそうだなと思い、書き進めていきます。

同じようなことをやっていても、「すごく個性的で魅力的」みたいに語られる人もいれば、「失礼な人」と括られる人もいます。その差は紙一重なのかもしれませんが、ものすごい違いだと思います。表面上は「個性的」と形容していても、内心では「失礼」だと感じていることもあるかもしれません。また、同じ人でもシチュエーションが変われば「個性的」にも「失礼」にもなり得るのかもしれません。
私自身、その紙一重の差を行ったり来たりしている人間の一人だと思っています。そして、できることならば、相手に「失礼」だと感じさせるのではなく、そこに君が居てくれてよかったと思っていただける「個性」をもった人間でありたいとも思っています。

優先順位

例えば、職場の先輩からご飯に誘われたとしましょう。
一緒に過ごす中で、先輩が話している時は箸を止め、頷きながら、相手の目を見ながら話を聴いている。そこで先輩が「あ、どんどん食べよ!」と言って、箸をすすめる。今度はこちらが話す番になって、食べるのも忘れて、身振り手振りを交えながら、先輩に向かって話をする。目の前のお料理が、どんどん冷めていく。
先輩が私を見て言います。
「僕との時間を大切にしてくれようとしてるんだろうけど、目の前のお料理を大切にしないのは、食材に対して、お店に対して、作ってくださった方に対して、失礼だよ。目の前のものを大切にした上で、僕との時間を楽しんでほしい」
もしかしたら、私がしていたことは、先輩が「料理のことなんて気にせず私の話しているときは手を止めて集中して話を聞いて当然だ、それが礼儀だ」と思っている人だったら、正解だったのかもしれません。でも先輩は、そんな幼い先輩風を吹かせるために私を誘ったのではなかったのでしょう。食事を楽しみながら、私と時間を共有し、様々な話をしてみたいと思って、誘ってくれていたのでしょう。

それが、失礼になるのかどうかは、その場での優先順位を何に置くか、ということと深く関係があるのではないかと思います。
先輩風を吹かせたいということが何よりの優先順位の人に対しては、その承認欲求を満たさない行為は、全て失礼にあたる、と言ってもいいのかもしれません。

単にそのような先輩風を吹かせたい相手に対しては、失礼を働いてもいいのではないかと思うわけですが、例に挙げた先輩のような、自分との時間を大切にしたいと願ってくれている人相手に失礼になるような行為は、できれば避けたいと思っています。
何よりも、相手が何を大切にしようとしているのかを読み取ろうとする姿勢をもちたいと思います。そして、そこで何をするか、どう行動するかということに、明確な一つの正解はありません。自分の頭で必死に考えて、行動するしかない。もしかしたら、そこに「個性」というものは宿るのではないでしょうか。

他者と自分の間にこそあるもの

これは勝手なイメージなので、皆様の認識とは違うかもしれませんが、個性というのは、その人の中にある普遍のものであり、他者との間に介在しているものではないような印象も受けます(個、という言葉の印象が強いのでしょうか)。一方、失礼というのは、明らかに相手の存在を想起させる言葉です。
失礼というのは、おそらく相手と自分との間のコミュニケーション不全が引き起こす現状ではないかと思います。相手の優先順位と、自分の優先順位が食い違い(あるいは互いに読み取ろうというコミュニケーションを放棄し)、相手に(そして漏れなく自分に)嫌な思いをもたらします。
そして、個性というのは、その人の中に単独に存在しているものではなく、相手とのコミュニケーションの中で、相手を理解しようとし、そこで自分をどう表現、表明するかというときに、溢れ出てきてしまうものではないでしょうか。個性は、単独では存在し得ない。個性は、個性こそ、他者と理解し合いたいという願い、人と人の摩擦に介在する、コミュニケーションの賜物なのではないか。

教育という場に身を置いていても、このような個性と失礼の問題からは逃れられません。
ある研究会に行けば、そこで大事にされている理論以外のものは「わかってない」と鼻で笑われることもあるし、ある教室においては「名前を呼ばれたら元気にハキハキと返事をする」ということが優先順位のトップに据えられ、それができないと「失礼」にあたり、何度もやり直しするということだってある。
教育の本質とは何かという問いを忘れた教師の好みが、新しい失礼を生み出していく(そして、子供は個性と失礼の見分けのつかないまま、失礼に身を浸すことに慣れていく、のかもしれません)。

他人の優先順位に首を突っ込むつもりは基本的にはないし、どうしても分かりたいと願うことが難しいことに対しては必要以上に近づかない、という気持ちでいます。それよりも、自分の優先順位は今いったい何なのかということに自覚的でありたいですし、自らそれを形成していくことに時間を使いたい。
そして、分かりたいと心が訴えかけてくる人やものに対して、その優先順位を読み取ろうとし、そこで自分の中から出てくる切実な「個性」を、愉しみたいと思います。

今村 行(いまむら すすむ)

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭

東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、東京学芸大学附属大泉小学校にやってきて今に至ります。教室で目の前の人たちと、基本を大切に、愉しさをつくることを忘れずに、過ごしていたいと思っています。

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