2023.06.19
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元担任の流儀

そのうち、みんな「元担任」になるんだから。

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行

「元担任」って言葉で合ってますか?

どうも、今村です。
「元担任」という言葉がどれほど普通に通じるものなのかわかりませんが、同じ学校で数年教師として生きていますと、けっこうな数の子どもたちの目には「元担任」として認知されることになります。登校してくる様子を見守ったり、廊下ですれ違ったりするときに、すこし親密な挨拶を交わしたり、ちょっと立ち話したりするあれですね。

元担任、ということが面白いなと思うのは、今私が何年生を担任しているかによって、少し反応が変わることです。
例えばある年に3年生を担任していて、次の年に1年生を担任すると、元3年生の子たちに「先生、1年生の担任とか上手にできるの?」みたいなことを言われます。もし次の年に5年生を担任するとそういう反応はないわけですよね。次の年も3年生の担任になったとしたら「へぇー今年はこんな感じにしてるんだぁ」みたいな感じで教室をウロウロしたりする。次の年の私の立場によって、彼らが私を見る視点というのが、かなり変わります。そして、その年数が重なっていくと、その視点みたいなものがかなり輻輳的になってくる。

で、そういう昔一緒に過ごしていた人の姿や私とのやりとりを、現在担任している子どもたちもけっこうちゃんと見ていて、「あぁ、この先生はこういうところもあるんだな」と新たな認識を生んだりしている。これは決して無視できない、大きな影響があるな、と思っています。

いつでも今が

元担任としての立ち居振る舞いを考える時に、なんとなくではあるのですが、意識をしていることがあります。

「いつでも今が一番」。

この言葉はきっといろんな人が口にしてきた、もはや一般名詞的な言葉ではないかと思いますが、私にとっては母の言葉です。
確か私が実家を出て数年後に会った時のことだったと思うのですが、母が「行はさ、過去のどこかに戻りたいって思うことある?」と唐突に聞いてきました。
それに対し私は、数秒考えた後「いや、思わない」と答えました。
母は「そうだよね、お母さんも。いつでも今が一番なのよ」と笑いました。
(なんかちょっと美化された記憶のような気もするんですが、こういうやりとりがあったのは確かで、なんだかすごく印象に残っています)

先日、昔担任させていただいた子どもたちの移動教室に、担任ではない引率者の立場で参加させていただきました。現在5年生で、私は3年生の頃に担任をさせていただいていたのですが、これはもう、とても有難い機会でした。
もちろん学校で毎日一緒の敷地内には居るのですが、丸3日間一緒に居させていただくと、あぁこんなかっこよくなってるんだなぁとか、あの時よりずっと目が輝いてるなぁとか、そういうことがいちいち嬉しいんですね。
引率者として一緒について行っているので、時には向こうからいろんな相談をされたり、目の前のトラブルに対しては私が対応したりすることはあります。
でも、そこはやっぱり「いつでも今が一番」で、今の担任の先生方と彼らの時間を邪魔することはしたくないな、変にでしゃばりたくはないな、と思っていました。

元担任というのは、それなりに影響力もあります。それを有効な形で使うべきときもあるとは思います。でも、それを自分との過去に目を向けさせるために使うようなことは、ある意味下品なことだとも思っていて、私はしたくないなぁと思っています。
特に、移動教室の引率者なんていう立場は、子どもたちの生活を、担任の先生たちのご負担を陰ながら支え軽減するような、黒子としての役割を求められます。子どもたちに接する部分は担任の先生方が担い、手が回らなくなるような細々としたところをカバーするのが我々引率者の仕事です。そういう仕事をなんとかやり遂げ、子どもたちや担任の先生方が、いい表情をされているのを見て、あぁ来てよかったなぁ、と思って箱根の温泉に浸かっていました(実にシアワセだった…)。

で、一方の私も「いつでも今が一番」で、ちょっと寂しいなというか、今担任させてもらっている4年生のみんな元気かなぁとか、早く国語の授業の続きやりたいなぁとか考えながら、お湯の中で膝を抱えている(それもなんだか、シアワセなことだった)。
まだもう少しこの時間が続いたらいいなと思ったり、早く明日が来ないかなと思ったり、実に頭の中が複雑に充実していました。

みんなが「元担任」として

つらつらと元担任としての(あくまで私個人の)流儀を書いてきて、改めて考えたことがあります。
ものすごく当たり前のことです。
それは、その子の奥には、私よりもその子を大切に想う人がいる、ということです。
担任している子どもたちに対しては、学校では一番近い距離にいるかもしれません。
ですが、当然、その子の奥には、その子を誰よりも大切に想う家族がいる。
担任という立場の影響力を、その子や家族を応援する形で使いたいと思います。

その上で、ちょっと母の笑顔を思い出すと、もしかしたら家族という立場だっていつまでも一番ではいられないのかもしれない。
その子を取り巻く大人たちが「元担任」のような立場として、バトンを次へ繋げていく。
「いつでも今が一番」だから、「今」のあなた、頼んだよ。
そういう想い連なりの最前線が、目の前に居るんだよな、と思いました。

今村 行(いまむら すすむ)

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭

東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、東京学芸大学附属大泉小学校にやってきて今に至ります。教室で目の前の人たちと、基本を大切に、愉しさをつくることを忘れずに、過ごしていたいと思っています。

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