どうも、今村です。
教育つれづれ日誌を書かせていただくようになったのが令和4年度のスタートでした。様々な内容で書かせていただいてきましたが、中心にあったのは、やはり今年度関わらせていただいた1年生たちから学んだことでした。1年間の締めくくりとして、彼らとのことを振り返り、書かせていただきたく存じます。
タイトルで全て語ってしまっている感じですが、まぁ、そういう内容です。
感情に呑み込まれるな!?
子どもを怒るとか、叱るとかっていうことは、教師の仕事の一部です。個人的な感情に流されて声を荒げたりしないように、ということはずっと意識してきました。まだまだ、自分の感情と上手に付き合うことができているかと問われると自信のない瞬間も多々あるわけですが、それでも曲がりなりにも経験を積んで、「いまむーって一瞬で切り替えるよね」と1年生にも言ってもらえるくらいにはなったようです。
ただ、今年一つ問題があって。
感情を出さずに(あるいは演技としてだけ出して)叱るということを目指していたはずなのに、感情を出してしまうことが増えたんです。怒りに呑まれるわけじゃないんです。
一体どういうことか。
怒りじゃなくて、ワクワクするという感情に呑み込まれる回数が増えてしまった。笑
反省の「成功体験」
僕の話を少しだけさせてください。
僕は、誰かに叱ってもらったとき、凹んで、落ち込んで、自分は全くもってダメなやつだ、と思ってしまうことが多かった。自分が悪いと思っている、ということを目の前の相手に示すことが、反省ということだと思っていた。
それは、誰かにそうしろと言われたわけではありません。
でも、そうして目の前の相手の気持ちが収まる、という「成功体験」があったのでしょう。
僕はどこかで、そういう方法を「学習」して、大人になっても使い続けてきたわけです。
いわば、戦略として「凹んでいる様子を見せる」という方法を取っていたわけです。
(これ、わかっていただけると思うんですがほんと言いながらお腹の底がチクチクと痛いです笑)
でも、当たり前のことですけど、反省って、怒ってる相手を前に、しおらしくしていることを指す言葉じゃないですよね。とりあえず凹んでしおらしくしているなんていうことは、思考停止していてもできることであって、反省じゃない。次の行動こそが、反省なんです。
僕はそういうことを「再」発見するのに随分時間がかかりました。そこに気付かせてくれる大人の助けも必要としました。
圧倒的なまでに、相手をわくわくさせてやれ。
1年生の彼らの話に戻ります。
みんなは、ほんとに成功とか失敗とかそういう文脈ではなくて、目の前のことに一生懸命に、世界というものに誠実に生きているんです。そうした中で、叱らなければならないことは当然起こる。
ただ、それは世界を誠実に生きるための微調整のようなものなんです。叱る、怒る目的は、僕の前でしおらしく凹んでもらいたいからなんかじゃない。そんなくだらない理由なんかじゃない。僕はまだまだ未熟なので、一瞬感情で「イラッ」としちゃってるかもしれないんだけど、でもそんなのすぐに彼らに吹っ飛ばされて、ワクワクしてきてしまう。彼らが、次どんな行動を起こすのかワクワクして、言葉を選んでいる。
顔が、自然とほころんでくる。
いや、ほころんじゃいけないな、と思う自分もいるんだけど、でも、我慢できないことが多かったです。
彼らは、まだ「思考停止」で相手を納得させるという方法を覚えていない。
それは、本当に大切なことで、今年は僕が守り続けなければならないものだと思いました。
怒ってたことなんて、忘れさせてやれ。
圧倒的なまでに、相手をワクワクさせてやれ。
彼らから学ばせてもらったそのことが、そのまま彼らに伝えたいことになりました。
本当に、1年間、有難うございました。
今村 行(いまむら すすむ)
東京学芸大学附属大泉小学校 教諭
東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、
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