2023.02.16
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「らしい」と「とは思えない」

日常の中に、考えるヒントがごろごろ転がっていることに日々感謝している。

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行

どうも、今村です。

人間ってほんっと都合がいいよな、と思うことについて書いてみます。
「らしい」と「とは思えない」についての話です。
これだけ聞くと「今村いったい何を言い出したんだ」と思われそうですが、たぶん話し終わっている頃には、「そうだよ今村、それだよ」と言ってくださる方がそれなりにおられるだろうという確信があります(謎の自信)。
頑張って書きます。

音楽会の練習で

私が勤務する学校で、2月末に音楽会があります。本校では「おわかれ音楽会」といって、1年間、学年縦割りの活動などで濃い関わりをもちお世話になった6年生にそれぞれの学年から感謝の気持ちを込めて合奏、合唱を送り、6年生は在校生へメッセージを込めてオペレッタを作り上映する、というものです。
私が担任している1年生は、それこそ6年生に手取り足取り様々なことを教えてもらって今があるわけで、もう6年生のことが大好きで、一生懸命練習しているわけです。

練習風景を見ていて、例えば「1年生らしい」姿ってたくさんあるんです。想像していただけると思うんですけど、もう全っ然指揮者の先生を見ないで歌ってる姿とか、鍵盤ハーモニカのホースをいじくり回してる姿とか(笑) そういう姿を見ていて、僕自身「1年生らしさって素晴らしいな」と思ったりもしますし、多分こういう姿を見ても、6年生たちは1年間そばで関わってきた時間を思い出して、可愛いなと思ってくれたり、笑顔になってくれたりすると思うんです。

でも一方で、6年生は「1年生とは思えない」姿を見たいのかもしれない、とも思うんです。それこそ、指揮者を見て一生懸命に歌っている姿とか、それぞれが思い思いに歌うという以上に、みんなで届けようという一体感を宿して歌っている姿とか。6年生から見て、今までの、自分が知っているのとは一味違う「1年生とは思えない姿」、そこにいたるまでの努力や自分たちに向けられているベクトルの大きさを想像して、感動してくれるかもしれない、と思います。

彼らの練習風景を見守りながら、「らしい」でも6年生の笑顔を生むことはできるだろうけど、それだけでは感動みたいなものは生めないのかもしれない、と思ったんです。「らしい」はやっぱり想像の範囲内なわけですから。感動を生むためには、おそらく想像を超える「とは思えない」が必要だろうと、そうぼんやりと考えていました。「らしい」ではなく「とは思えない」に美しさは宿る、と言ってもいいかもしれません。
ただ、私が感じているそれを1年生のみんなに強いて、いきなり「1年生とは思えない姿じゃないと、感動は生まれない!」なんて言い出してもおかしな話ですから、彼らの気持ちや目標と照らし合わせながら、自分が伝えるべきことを探っていきます。

「求められることが変わりやすい場所なんだ」ということ

そんなわけで、「らしい」と「とは思えない」ということについて、音楽会練習が終わった後もつらつらと考えていたのですが、これ、僕ら教師はすごく都合よく使い分けて、ある意味子どもを困惑させてきたんじゃないかと思うんです。

読書感想文の選考会のようなものに参加させていただいたとき、「低学年らしい文章ではない」という理由で選考から漏れる作文がたくさんありました。「子どもらしい素直さ」みたいなことに価値が置かれるシチュエーション、たくさんあるように思います。
その一方で、例えば3月くらいの5年生の指導で「もう6年生が卒業する、自分たちが学校を引っ張っていくんだ」みたいなスローガンがあって、「5年生とは思えない立派な姿」を求められることがあります。そういうシチュエーション、学校にいっぱいありますよね?
その両方が日替わりで求められるみたいなことが平気で起こる場所なんだよな、ということは自覚していたいと、今回考えていて思いました。それに困惑している子たちの姿を無視したくない。学校はそういう場所なんだ、というだけで片付けたくはない。

自分の都合のよさに敏感でいたい

また、学校に限らず「らしい」と「とは思えない」って、都合よく使われてる言葉だな、と感じることがあります。
例えば恋人に「君らしい」と言われたとしたら、笑顔で言われてるかもしれないし、諦めを含んで言われているかもしれません。「君とは思えない」も同様で、どちらの意味もありえそうです。
「人間らしさ」も難しい言葉ですよね。いい意味で使われることもあるし、言い訳に使われることもいっぱいあります。頑張らない仲間意識を醸し出すために使われることもある。「人間とは思えない」は、否定の意味で使われることが多いかもしれません。でも、例えばオリンピックって「人間とは思えない」美しさに僕たちが感動する機会ですよね?

「らしい」と「とは思えない」という言葉や構造に、人間はコントロールされやすい、少なくとも心は揺れ動くということに敏感でいたいな、と思います。無意識であっても、教師が醸し出すそれに、子どもたちはかなり鋭敏に反応していると思います。
無意識に意図的に誰かを縛り付けるためにではなく、誰かの可能性を解き放つために、言葉を使いたい。

今村 行(いまむら すすむ)

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭

東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、東京学芸大学附属大泉小学校にやってきて今に至ります。教室で目の前の人たちと、基本を大切に、愉しさをつくることを忘れずに、過ごしていたいと思っています。

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