2022.12.01
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ファシリテーターとは?

最近は、教育界でも「ファシリテーター」「ファシリテーション」という言葉は、共通理解事項のように浸透していると感じています。しかし、ファシリテーターと教師の違いは何でしょうか? ファシリテーションは何をすることでしょうか? 自分の学んできた経験をもとに述べさせていただきます。

大阪市立野田小学校 教頭 石元 周作

人権教育

前回の最後に執筆させていただきましたが、初任校は人権教育が学校の教育の中核にありました。所謂「人権課題」について学ぶだけでなく、課題のある子を中心にした学級経営やひとりひとりを大事にする授業づくりなど、子どもに丁寧に寄り添い、関係をつくっていく実践を学びました。関係性ができてくると学級の中で自分のしんどさを言えるようになってきます。教師や周りの友だちもその本音に触れることでまた関係性が育まれていきます。このような人権教育の一つの在り方は、間違いなく私の実践の根底にあるもので、最初に人権教育を学んだことが大変良かったと思っています。

しかし、しんどさや本音を共有することはなかなかできることではありませんし、お互いがかなりのエネルギーを必要とします。

また、その当時の勤務校は大きな荒れなどもあり、力量のある先生がたくさんおられました。時には厳しい指導も必要な場面があり、ひとりひとりの先生がかなり威圧のある「風」を吹かせているように感じていました。その「風」や「圧」が自分のキャラクターとの違和感にもなっていましたし、でもある一定の威厳が必要ではないか・・・などと悩んでいました。

ファシリテーションとの出会い

そんな時に出会ったのがファシリテーションという教育技術でした。ちょんせいこさん(日本ファシリテーション協会フェロー)と岩瀬直樹(軽井沢風越学園校長)さんが「学級ファシリテーション」という提案をされておられ、自分の問題意識と合致したこともあり、講座にも足繫く通いました。多くのことを学び、多くの仲間に出会いました。

教師がファシリテーターとなることによって子どもの力を引き出し、子ども同士の関係性を促進させます。そのための具体的な教育技術(振り返りジャーナル、絵本の対話型読み聞かせ、会社活動、ホワイトボード・ミーティング®)はたくさん追試しました。教師が全面にでるのではなく、子どもと共に学級をつくっていく感じは自分にもかなりしっくりきました。うまくいかないこともあるのですが、それは省察して、子どもに合わせながら実践をしていきました。

ファシリテーションとは?

日本ファシリテーション協会フェローの掘公俊(2014)は、以下のような定義づけをしています 。
「ファシリテーションとは、集団が持つ相互作用を促進する働きである。」

ポイントは「集団が持つ相互作用」を促進するということです。厳密には「学習」を促進するわけではないのです。もちろん、相互作用が促進され、結果として学習が促進されることになりますが。

また、必ず「集団に対する働きかけであって、個人に対するものではない」とも述べられています。確かに個人に対する働きかけは「支援」や「指導」と表現したほうがしっくりきます。

何をするのか?

では、ファシリテーターは具体的に何をするのでしょうか?
組織開発ファシリテーター(株式会社ナガオ考務店代表取締役)の長尾彰さんに同じ質問をされたことがあります。固まってしまった私に、以下のようなお話をしてくださいました。

「リーダー:方向性を示す
インストラクター:正しいやり方を示す
トレーナー:繰り返し練習する
コンサルタント:専門的な知識で正解を与える
コーチ:気づかせる、回答を引き出す
ティーチャー:教授する
カウンセラー:聞く・聴く
ガイド:案内する
インタープリター:自然と人との仲介をする
マネージャー:うまくいくように管理する
その他にも・・・ファシリテーターはこれら全部のことをします・・・」

固まった私は、さらに固まってしまいましたが、よく考えると集団がもつ相互作用を促進するために、ファシリテーターは様々な機能をもつわけです。

「でも、ファシリテーターは、一つだけ絶対にしないことがあるのですが、わかりますか?」とさらに問われました。みなさんはいかがでしょうか?

「強制と矯正です」
と教えていただき、納得するとともに、果たして教師はできるのか?とさらなる問いが醸成しました。

教師はファシリテーターになれるのか?

日常の学校生活を振り返ると、教師はファシリテーターの機能を十分に果たしていることがわかると思います。威厳を振りかざし、ひたすら統率していく教師も少なくなっているのではないでしょうか。観察する、洞察する、質問する、提案する、そそのかす、振り返りを促す、などの具体的技術を使いながら、子ども同士の良い相互作用を生み出す取り組みは教師がファシリテーターになっていると言えるでしょう。

しかし、教育活動の中では、「強制と矯正」を全て排除することは難しいと考えます。子どもが危険な行動をとっている時や人権的に問題がある場合は強制的な指導が必要かもしれません。

私の今のところの結論は、「教師は純粋なファシリテーターにはなれないが、ファシリテーター的役割の教師にはなれる」です。

先ほど紹介した堀(2014)も「教師はある時はファシリテーターとして支援的に関わり、またある時は強いリーダーシップが求められる。一つのスタイルではうまくいかず、いろんなスタイルを覚えて使い分けなければならない」と述べています。

ファシリテーターは、集団の関係性を変化させます。そのためにはまず教師としての自分と子どもとの関係性を変えることからスタートしたいものです。そこから相手も変わります。相手を変えるよりはまずは自分から変わろう・・・と自戒を込めて思っています。

石元 周作(いしもと しゅうさく)

大阪市立野田小学校 教頭


ファシリテーションを生かした学級づくりと社会科教育に力を入れて実践してきました。
最近は、書籍からの学びをどう生かせるかや組織開発に興味があります。
統一性がない感じですが、子どもの成長のために日々精進したいと考えています。

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