2022.09.07
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プライドはどこにいる?

プライドって魔物だな、ということを感じて書きました。

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行

どこに「いる」?

どうも今村です。
プライドについて書いてみようと思ったのですが、「プライドはどこにある?」だとなんだか違和感があり、「プライドはどこにいる?」に書き直したところ、なんだかストンと腑に落ちたので、このタイトルで書き進めてみようと思います。

「ある」というのは、動かざるものを相手にしたときに使う言葉で、「いる」というのは動くもの、生き物などを相手にしたときに使う言葉です。僕にとってプライドというのは、動くもの、まるで生き物のようにそこに「いる」ものなのだと思います。そして、その言葉は暗に、「自分がプライドというものを全くコントロールできていない」という状況を示唆しているのではないかと思います。

どんな気持ちの中にいるのか

例えば、自分が何か失敗やミスをしたとしましょう。それは、確かに自分が悪いと認めるべきものだったとします。
そんなとき、どうしますか?
謝罪をし、改善法を述べるかもしれません。
逆に、失敗を隠そうとするかもしれません。
あるいは、失敗が露見したら、責任は自分にはなく、他の何かの要因が原因だと述べるのかもしれません。表面上は謝罪していても、腹の底では、失敗の責任は自分にないと思っているかもしれません。
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このとき、自分のプライドはそれぞれどこにいるのでしょうか。
失敗を隠したり、自分のせいではなく、他の誰かや何かのせいだ、と思ったりしているとき、プライドはおそらく、「自分を守りたい」「失敗をするような人間だと思われたくない」という気持ちの中にいます。
「自分を守りたい」という気持ちは、何も特殊なものではなりません。人であれば当然の気持ちだとも言えます。
しかし、そこにプライドというものがへばりついて、自分を守ろうとするあまりに誰かに責任をなすり付けてしまったり、語気を荒げて相手に噛み付いてしまったりすることがあります。貴重なアドバイスや支援さえ受け付けず、逆に言い返す。まるで、棘の付いたコートを着て相手にぶつかっていくかのようです。
そのようなとき、自分がプライドをコントロールできているとは感じられません。むしろプライドが自分の無意識となっているような、見えないプライドという生き物に逆に支配されて突き動かされているような状況です。プライドが、そこに「いる」のです。
「間違ったプライド」というものがあるとすれば、そういうものなのでしょう。
「自分を守りたい」という気持ちの中にいるプライドは、仮に自然なものだったとしても、自分自身のことを決して守ってはくれませんから。

ずいぶんとプライドを悪者のように語ってしまいましたが、プライドは、それ自体が悪なのかというと、そうは考えられません。プライドが、自分の中のどこにいるのか、ということが重要なのだと思います。
もし、プライドが「自分を成長させたい」という部分にいるとしたら、どうでしょう。
自分を成長させようとする人は、失敗やミスを隠したりはしません。失敗やミスから挽回することが成長につながります。だから、プライドが、失敗やミスを隠すということを許さない。貴重なアドバイスや支援をしてくれる存在に対して、感謝こそすれ、それに対して反発したりは決してしないはずです。
そのようなとき、プライドはそこにいて、自分の成長を助けてくれる存在になるのでしょう。

教師としての戦い

では、「自分を成長させたい」という気持ちは「自分を守りたい」という気持ち同様、自然なものと言えるのでしょうか。
教師をやっている我々は、勿論そうだ、と言い切りたい。人は生まれながらにして、成長を願う存在だ、と思いたい。

しかし、「自分を守りたい」と「自分を成長させたい」が対立したとき、無意識のうちに「自分を守りたい」の中にいるプライドが肥大化し、「自分を成長させたい」の中にいるプライドがどんどん痩せ細っていく、という状況を、私たちは知っているのではないでしょうか。そして、一度「自分を守りたい」が暴走してしまうと、周りの誰も、わざわざ積極的に関わろうとしてくれなくなっていきます。何を伝えても「自分を守りたい」という正義をかざして受け付けないわけですから。そうすると一層「成長」からは遠ざかります。

我々の教師としての戦いは、子どもたちの「自分を守りたい」を認めつつも、「自分を成長させたい」という気持ちを損なわないようにすることです。
そのためにも、教師である我々が「自分を守りたい」を優先するあまりに「自分を成長させたい」を失わないようにしなければなりません。成長を忘れた教師が、子どもたちに成長の価値を説けるとしたら、それはもはや魔法というか、奇跡です。

プライドをコントロールはできなくても、プライドに助けてもらう、プライドと上手に付き合うということを、もう一度自分で捉え直し、大切にしなければな、と思います。

今村 行(いまむら すすむ)

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭

東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、東京学芸大学附属大泉小学校にやってきて今に至ります。教室で目の前の人たちと、基本を大切に、愉しさをつくることを忘れずに、過ごしていたいと思っています。

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