2022.02.20
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勉強嫌いを目覚めさせるには

中学高校と勉強嫌いで、日本では大学受験やその準備さえもしなかった私ですが、まあいろいろありまして、アメリカに留学することになったのが20歳そこそこ。
それから2年ほどの間に「やらされる勉強」にはない「学びの面白さと温かさ」に出会ってしまったのです。

ユタ日本語補習校 小学部担任 笠井 縁

使える喜びと楽しさ

初めの頃は「勉強したことが即座に役に立つ」という実感が楽しくて英語学習にハマっていった気がします。覚えたフレーズを使ってみると通じる。あ、今この人の言ったことがわかった。……そんな目に見える成果。習ったことが実際に役に立つという事が単純に楽しかったのです。コミュニティカレッジという、短大+職業訓練校のような学校でESL (English as Second Language) コースから始め、アメリカでの暮らしに慣れながら徐々に大学の単位も履修し始めました。

すると脳が活性化したのか、学びへのハングリー精神が目覚め、ESL以後の大学の授業はますます面白くなっていきました。体調を崩して欠席する時には「今日の授業は何をするのかなぁ。行きたかったなぁ」と思った位です。そんな中で出会った何人かの印象深い先生方がいるのですが、何と言っても文学史や比較文学のクラスを教えていたR教授との出会いは大きいです。

R先生

R先生は、初めは笑わないのです。第一印象はどちらかといえば厳しい。「私のやり方、求めているものはこれ」と明確に説明し、その通りに淡々と進めます。カジュアルな先生たちとは少し違います。しかし添削されて返ってきた課題には、先生からの率直で心のこもったコメントが随所に書きこまれています。最後にまとめてではなく、左右の余白や行間などに、先生が相槌を打つように書きこんでくれた一言一言。

Interesting(面白い)great insight(洞察力あり)nice connection (テキストとの関連よし)……というような褒め言葉ももちろん嬉しいのですが、そうか~なるほど、と一番勉強になったのは、clarify(明確に) という簡潔で真摯な添削です。共感や感心と織り交ぜて、私にはわからない、別の表現があるのでは?と示唆してくれるR先生のコメントは、優しいとか厳しいというような上から目線ではなくあくまで真摯であり、先生が一留学生の私を一人の人として真正面から受け止め尊重してくれていると感じました。「明確に」というのは、考え自体は否定されていません。読み手に伝わらない、まだ正誤もわからない。あなたの考えを理解したいから伝わるように工夫してと言われているような気がします。

「Is it really so?(本当にそう?)」と書かれたこともありました。その部分を読み返すと、何の根拠もない自分の思い込みが、ただ字数を稼ぐために書いてありました。R先生に率直に問い返されると、自分で振り返り、今度は気をつけようと前向きに自分の未熟さを認める事も出来たのです。「根拠なし、思い込みのみ」というような決めつけコメントなら反発していたかもしれませんが、問い返される事で自分で気づくチャンスを与えられたのです。

生徒一人一人

もう一度言います。R先生は、学期の初めは笑いません。でも学生たちがちゃんと課題に取り組んでいると、少しずつ笑顔が増えていきます。先生が意識的にそうしていたのか、自然にそうなるのかはわかりませんが。何学期か続けて彼女のクラスを取っていた私は、そんなR先生を信頼していましたし、彼女も私の進歩を楽しみにしてくれている気がしていました。もちろん授業外で個人的な話をすることなどはありませんでしたが。

そんなある日の授業前、R先生が授業開始前に私の前の空席にスッと座ったのです。ドキドキ……。何だろう。

「今日の授業では、ヒロシマや第二次世界大戦を扱うのよ。あなたの周りにそれに関係した人がいるとか、あなた個人の気持ちとして、これは触れて欲しくないというようなことはある?あれば違う事をするから教えて」

私だって予習はしていました。今日の授業の内容は知っていた…はずです。でも当の日本人の私が、何も考えていなかった。第二次世界大戦やヒロシマが、自分に関係しているなんて思ってもいなかった。学校の勉強はただの勉強だと思っていた。

「私は広島からは遠く離れた所の出身ですし、気を遣ってもらわなくても大丈夫です」。そう答えながら、そうか、歴史や勉強って、今の自分につながっているんだと、またまたR先生から気づかされたのです。

また自分の未熟さの他に、R先生が教える題材を読み込むだけではなく、生徒一人一人の顔を思い浮かべながら授業準備をしているという事に感銘を受けました。

在り方そのもの

R先生は、目新しい画期的な教授法を用いていた訳ではありません。教材研究と準備をしっかりし、柔軟だけどブレない自分の視点を持ち、学生一人一人と真摯に向き合っていた「だけ」です。でも彼女の在り方そのものが、私の人生に大きな影響を与えました。私にとっては英語の方がしっくりくる言葉があります。R先生は authentic(真正な)人でした。巷には教授法のあれこれがあふれていますが、方法は各人が試行錯誤しながら見つけていけばいい。とどのつまりは教師が生徒の前でauthenticであるかどうか…ではないかと最近は特に思うのです。

R先生との出会いは大学でしたが、小学校のクラスを自分で教えていても、そこは同じだと感じます。

また、学校で学ぶことは今の自分につながっている。英会話が現地の日々の生活に役に立つように、歴史や文学、どんな科目だって学校内で完結する「成績のための勉強」ではなく、今の自分と関係しているという視点を持つことでどこまでも広がり深まり、自分の人生を変えていく。だから私は、今でも勉強は嫌いですが、学びの面白さを子どもたちと一緒に共有・体感しながら伝えていきたいと思っています。

笠井 縁(かさい ゆかり)

ユタ日本語補習校 小学部担任


アメリカの小さな補習校で多文化の中で成長する子どもたちと一緒に学んでいます。アメリカの現地小学校でも非常勤で子どもたちと接し、日本との違いに驚くこともありますが、子どもたちの学びの過程には共通する部分も多いのではないかと思っています。

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