2021.10.04
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日本の外の日本の学校

アメリカ・ユタ州からの教育つれづれ日誌は、今回で一旦終了となります。

ユタ日本語補習校 小学部担任 笠井 縁

大人の作文

1年間こちらで連載の機会をいただき、表現するという事について改めて考える事ができました。既に共通理解のある友人知人に話すときや個人ブログで思ったままに書く場合とは違い、読み手を意識し、自分の趣旨を伝えるための構成や言葉選びに気をつけ、また思い込みではなく正確な情報を用いる……作文指導で同じ事を子どもたちに言いますが、自分ではどこまでできたかな、とふり返っています。偉そうに作文指導をしているくせに、こういうまとまった文章を書き他者に読んでもらう機会は、大人になるとあまりないものです。

ここでまたインプットと経験の方に軸足を置きたいと、一旦お休みをさせていただくことにしました。……なんて言いながら、ひょっこり登場するかもしれませんが。とにもかくにもこの一年間、拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。

教育が目指すものも変わった

日本の教育と補習校をつなげて考え始めたのは、数年前わが校に文科省の方がいらしたとき。現行の学習指導要領導入前でしきりに「アクティブラーニング」という言葉を聞いた頃です。その後、練り直され別の表現になり安堵しましたが、欧米またはアメリカの教育を見習って…という空気に私は疑問を感じていました。アメリカにはアメリカの、日本には日本の良さがあり日本の教育の良さを失わないでほしいなぁ、と。

ちなみにアメリカの教育や社会学では、昔は melting pot(人種のるつぼ)という表現が使われていましたが、今では tossed salad または salad bowl がよく使われるようになりました。多人種が溶けて (melting) 混じりあうのではなく、サラダのようにそれぞれの持ち味を生かして一つの料理になるというイメージです。

アメリカでも日本でも、学校が変わってきている理由の一つは、学校教育がその一社会の成員を育てるというだけではなく、国際社会を見据えてそこでも活躍できる人を育てようと意識し始めたことだと思います。

アメリカの公教育の歴史は、多種多様な移民たちを新しいアメリカという国家の「アメリカ人」に教育することを目的として始まりました。日本でも明治時代に「国家」が産声を上げ、初めて国民という概念ができてそこから義務教育が発展してきた事と似ています。

これからの日本の教育は、どの方向へ舵を取るのでしょうね。福澤諭吉は、学問は貴族や特権階級の教養だけに留まらず、実学(読み書きそろばん=国語と算数、地理、科学、歴史、経済、修身)をみんなが学び、個々が自律自由となり、そういう個人の集まりである国になってこそ日本も世界の国々と対等にやっていけると説きました。

補習校に通うのは日本人?何人?

私は土曜日は補習校の先生ですが、平日は現地校のパートの先生です。同じチームの同僚たちは国際色豊かで、日本人の私の他に韓国人、インド人、イラク人、メキシコ人とおよそ半数が移民です。アメリカ国籍を持たない私たちが、アメリカ人の子どもたちに英語を教えているのです。

仕事の合間の世間話も国際色豊かで、私が土曜日に日本語補習校で教えているんだと話すと、インドやイラクから来た同僚は「うらやましい」と言います。自分たちもアメリカで子育て真っ最中。家庭内で自分の国の言葉を使ってはいるけれど、それ以外に子どもたちが親の自国文化に触れることがほとんどない、と。

顧みれば、日本政府は世界では他に見る事のない取り組みをずっと続けているのです。毎年春が近づくと、日本から届く新年度用のピカピカの教科書を見ては溜息が出ます。総カラーの素晴らしい紙質、製本の教科書が全科目分、世界中の「日本人」に無償で提供されているのです。こんな国が他にあるでしょうか。

これまた先日、ある方に「アメリカで生まれ育つ子どもたちを日本語補習校に通わせるというのは、どういう意図なんでしょうね」と訊かれました。補習校の始まりは、海外赴任をする家族の子どもたちが、日本語や日本の公教育の学習内容を学び続け、帰国した際に困らないようにという事だったはずで、今ももちろんそれが第一意義ですが、大きく様変わりした面もあります。

日米ハーフのうちの息子は、アメリカ人と日本人の間を行ったり来たりします。人気のアニメを原語(日本語)で楽しめたり、日本食に舌鼓を打つ時には「日本人でよかった」と言い、自由気ままにロングスケートボードで通学する時は、すっかりアメリカ人です。現地校に通い出した5~6才の頃「僕は日本人アメリカ人!」としきりに言っていました。

補習校にはその他、数年の任期で日本へ帰る駐在家庭の子どもたちもいれば、両親は日本人でも現地採用でアメリカで生まれ育つ子どもたち、両親ともにその国生まれの人ではなく3か国語を操る猛者もいますし、また日本に長期滞在していたアメリカ人家庭の子どもたちが日本語の勉強を続けたいと通ってくることもあります。

関わる人たち全てが「日本(人)って?」「学校って?」「教育って?」と、素朴で根本的な事を日々考えながら、子どもたちがどこでも自分らしく、また相手を思いやりながら生きていけるようにと願っている、こんな「日本の学校」が世界各地にあるという事を伝えられたかなぁと省みながら、一旦筆をおきたいと思います。一年間ありがとうございました。

笠井 縁(かさい ゆかり)

ユタ日本語補習校 小学部担任


アメリカの小さな補習校で多文化の中で成長する子どもたちと一緒に学んでいます。アメリカの現地小学校でも非常勤で子どもたちと接し、日本との違いに驚くこともありますが、子どもたちの学びの過程には共通する部分も多いのではないかと思っています。

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