2021.08.23
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「を」から「で」へ

「教科書学ぶのではなく、教科書学ぶ」とよく言われます。アメリカなどの現地で育つ子どもが多い地域の日本語補習校の場合は「日本語を学ぶのではなく、日本語で学ぶ」と言い換えられます。

ユタ日本語補習校 小学部担任 笠井 縁

Language School=語学学校?

私たちの学校の正式名称は「ユタ日本語補習校」で、英語では「Utah Japanese Language School」となります。英語のニュアンスではこの language という 一言が日本語教える学校という誤解を与える事があるのですが、敢えて入れたのは Japanese School だと全日の日本人学校と混同されることを避けるためという意図があるそうです。 

開校から10年余り。初年度から教務に関わってきた私としては、教員、保護者、子どもたちの変化に感じずにはいられません。

開校当時は「を」の時代

ユタの補習校が開校してしばらくは、日本語学ぶ場所という意識が保護者にあり、教員をはじめとする関係者もその辺りがあやふやでした。いずれにせよ、学校運営を続けていくためにはやる気がある児童(家庭)はとりあえず受け入れ、生徒数の上でまずは学校という形を整えていく必要がありました。そして教員も初年度は経験の浅い担任が2名(うち一人が私)だったので、とにかく領事館から配布される教科書を使い、日本の学校っぽいことを、日本の学校を知らない子どもたちとやっていくという、粗削りだけど楽しい「学校ごっこ」のような感じだったと、今ふり返ると思います。

当然の帰結として日本語力に開きがある児童たちを指導する難しさに直面し、教員側は指導力向上を目指すとともに、保護者へも「日本語学ぶ学校ではないのです。日本語学ぶ学校なのです」と繰り返しお伝えして、家庭学習や家庭内の言語環境への理解や協力を求め、学校全体で「バイリンガル教育とは?」という問いに正面からぶつかり模索していく時期でもありました。

学校関係者も五里霧中な訳ですから保護者の意識もバラバラで、記号化した(本当はそんな極端な人はいないけれどわかりやすくイメージした)保護者像の一例は、それまであまり日本語を意識せずに家庭内の会話は日本語・英語ちゃんぽんで、補習校に入れさえすれば日本語学べると思っている家庭。補習校では保護者は第二の担任、つまり週一の授業日以外の家庭学習は保護者の役割という事を担任と保護者で確認そして再確認。「軽い気持ちで入れたけどこりゃ大変だ」と思われた方もいたかもしれません。この頃の保護者との関わりは、もっと日本語を家庭生活に取り入れて、あんな事もこんな事もやってみましょう!と保護者に提案するという部分も大きかった気がします。

10年経って「で」のステージへ

今はどちらかというと「そこまでやらなくてもいいですよ」と思う事が増えてきました。ここは伝え方に気を遣う所なのですが、つまりバイリンガル教育に熱心な保護者が増えたという事です。これは非常に頼もしい反面、短期目標に囚われやすくなったり子どもたちへの負担が増えるという危険性もはらむようになりました。一生懸命なのはいいけれど、どんな学習に力を入れるかに注意が必要です。

補習校教員の間で呪文のように唱えるのが「見える学力、見えない学力」で、もちろんこれは岸本裕史先生の有名な著作にあやかっています。

一部の保護者がお子さんの事を思うあまりに「見える学力」しか見えなくなっている場合、「ちょっと待ってください。こんな力もお子さんは持っていますよ、伸びていますよ」「プリント学習よりもこんな事を生活に取り入れてはどうでしょう」と「見えない学力」についてお話する必要も出てきました。

幼児期というのは何でも吸収します。教えたことをどんどん吸収する様子を見て、親も嬉しくなり、就学前でも次はひらがな、今度はカタカナ…と思う気持ちもわからなくはありません。

でも私の経験上、速く吸収したけれど生活と結びついていない表面的な知識は忘れるのも速いです。幼児でも有名な俳句や百人一首を暗唱することはできます。でもそこに込められている情感を理解しているでしょうか。それよりも年齢相応の絵本をたくさん親御さんの膝の上で楽しんだ経験の方が、生涯を通してその子を支える礎になります。日本語特有のリズムに親しむなら、俳句よりも親子で童謡をたくさん歌いませんか。昔から歌い継がれる童謡は五七調、七五調の宝庫です。

早すぎる文字学習の導入も同じことです。文字を単発で逐次的に読み書きできる事よりも豊かな語彙や言語感覚、社会性、また興味を持って身の回りの世界を見る目や心を養ってほしい時期です。プリントに向かわせるなんてもったいない!頭ではなく心が動いた時、その体験が本当の知識や知恵として残るはずです。

学童期でも、音読がスラスラできる、漢字テストでいい点を取れる、九九を唱えられるなど見える学力だけで「できる子」と判断するのは危険です。保護者にとってやらせ易いのがプリントやドリルというのもわかります。でも小学生でも、いえ現地の学校生活で英語を使っている彼らだからこそ、家庭内の心の通った日本語での対話を大切にして欲しいと思います。

補習校(や学校)は、生活の中で得た言葉や知識を元に、もっと視野を広げる場であり、そういうお手伝いをしたいのです。

先日こんなお話を保護者の方から聞きました。4年生で都道府県の調べ学習をしていく中で「北海道はラベンダーや毛ガニで有名なんて事をうちの子が知ってくれて嬉しくなりました」、アメリカで生まれ育ち北海道は親の出身地でもないのに、日本語日本の事を知る。その価値を親御さんが実感してくれたことに感動しました。

そして、これから……

教員も変わります。私自身も10年前は、とにかくたくさん読ませ、たくさん書かせ…と思っていた面があります。補習校生の身の回りに日本語が絶対的に少ないのを感じていたせいもあります。10年経ってそこがクリアできたので、次の段階に進んでいるという事なのでしょう。文字通り「日本語を学ぶ」から「日本語で学ぶ」と、より柔軟で立体的な学びの場を目指しています。そして今は「教科書で(国語で、算数で…)学ぶ」がどんどん楽しくなってきました。

もうすぐ補習校の2学期が始まります。待ちに待った1年半ぶりの対面授業です!

笠井 縁(かさい ゆかり)

ユタ日本語補習校 小学部担任


アメリカの小さな補習校で多文化の中で成長する子どもたちと一緒に学んでいます。アメリカの現地小学校でも非常勤で子どもたちと接し、日本との違いに驚くこともありますが、子どもたちの学びの過程には共通する部分も多いのではないかと思っています。

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