斎藤喜博の言葉
巨人の肩に乗ります。そして、そこから見える前後の景色をみなさんと共にしたいと思います。
新連載です。テーマは温故知新。「これからの◯◯」を「これまでの◯◯」から考えていきます。
つまり、先人の言葉を引用しながら、現代の教育課題のヒントを探っていきたいのです。
第1回は、斎藤喜博(1911-1981)。氏の哲学や文体に触れてみます。
高知大学教育学部附属小学校 森 寛暁
‘‘子どもが悪いのではない’‘
『授業入門』の中の言葉です。
そして、このように続いています。
‘‘校長が悪いからとか、仲間が悪いからとか、設備がないとか、学級定員が多すぎるからとか、子どもが悪いとか、そういう言葉を教師は今、禁句にする必要がある’‘
ここで大事なのは、教師批判をしていないこと。環境批判もしていないことです。あくまでも、教師一人一人が自身の腕をみがいてみる必要性がある、と投げかけているのです。
では、令和の学校現場を思い出してみましょう。先生方の職員室で、このような言葉は出てくるでしょうか。直接的には出て来ないまでにしても、同様の真意を感じることはないでしょうか。問題行動が発生した際や学力テストが振るわなかった際などは特に。あるいは、電子黒板やタブレットなどのICT機器がない学校に着任した際なども。あるいは、子どもの特性を引き合いに出すような発言もあるかもしれません。
今も昔も、我々教師も一人の人間です。だとするならば、他責の念に駆られることもあると思います。私自身も正直、あります。
しかし、子どものせいにすることを言い訳の拠り所にしてはいけない。あくまでも、腕をみがいてみないといけない。
‘‘子どもが悪いのではない’‘
教師の戒めになる言葉ですね。
『授業入門』の初版が昭和35年。原稿を書いている今が令和3年。今から60年以上も前の言葉が、「令和の日本型学校教育」の構築を目指す教師の胸に響きます。
‘‘ふんわりとしまっていた’‘
こんな言葉もありました。場面は参観日。やんちゃな4年生の男の子の態度を学級担任の泉先生という方が指導するところ。
元気に手をあげて前へ出ようとしたが、その出方がちょっとふざけていた様子。すると、泉先生が「あれ?もう一度」といって、また出なおさせました。
とあります。
この場面を見て、斎藤喜博は‘‘ふんわりとしまっていた‘’と表現しています。さらに同じ頁には、‘‘ふわふわ’‘や、やわらかい’‘すっきり’‘という言葉が並んでいます。
強い言葉が並ぶ一方で、子どもの様子を表現する際には、とてもやわらかい言葉を多用しているのです。
文体と論説を切り離して考えなくてもよくて、文体自体に論が宿っている。ということなのでしょう。
『授業入門』斎藤喜博著、国土社(初版昭和35年)より引用しています。
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森 寛暁(もり ひろあき)
高知大学教育学部附属小学校
まっすぐ、やわらかく。教室に・授業に子どもの笑顔を取り戻そう。
著書『3つの"感"でつくる算数授業』(東洋館出版社)
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