2021.03.29
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真っ白い紙に何を描く

今回は家庭の話から始まります。

ユタ日本語補習校 小学部担任 笠井 縁

何でもいいんだよ、が一番困る

小学6年生を終えようとしている息子が、通っている日本語補習校の学校文集の表紙を担当することになりました。引き受けたものの「何を描いていいのかわかんない」と言いながら数日が過ぎます。彼曰く、アイデアはあるんだけど……と、頭の中であーでもない、こーでもないとこねくり回している様子。

しばらく知らんぷりをしていましたが、とうとうこちらも業を煮やし「頭の中でグルグルしててもしょうがないでしょ。とにかく紙と鉛筆を持って手を動かしなさい!」と雷を落としました。

そして自分の部屋にこもること小一時間。

何と素晴らしい(親ばかも入っています)原案が出来たではありませんか。本人もまんざらではない様子。後で彼のいない部屋をのぞいてみると、少しずつ改良を重ねた原案が数枚出てきました。

否定的な「あーでもない、こーでもない」が、実際に描き出したら肯定的、建設的な「ああしてみたら、こうしてみよう」に変わったようです。

頭先行?体先行?

現代の子は、学校でも家庭でも始めからお膳立てされ、指示を受けたり到達点が誰かに定められている状況に慣れてしまっている気がします。「小学校に上がるまでにはこれとこれは出来ていた方がいいでしょう」「2年生の終わりまでにはかけ算ができていないと3年生の勉強が大変です」、などなど。

私が現代の子どもだったら「大人はこれを求めている。こうしたら認めてもらえる」と、察知することは難しくないと思います。そこまでは簡単な気がするのですが、問題はその先。

その大人が定めた到達点と自分を比べ、また自分と同年代の他の子を比べ「まだまだだ」と感じる事から抜け出せなかったら……。だって、どんなにがんばっても自分よりサッカーが上手な子や、計算が速い子や、漢字が得意な子はいる。いつも自分とその道のエキスパートとを比べていたら躊躇してしまうのも当然でしょう。

うちの息子も「あ~何で引き受けちゃったんだろう。Aちゃんだったらもっと上手に描くんだろうな」と、漫画家になりたいという夢を持ちそれに向かって努力している2つ年上の幼馴染と自分を比べ、手が止まっていました。また周りからの評価を気にしていたのも一因でしょう。

入る情報が多く、評価基準が明文化されていて、尚且つ周りを見回す生活の余裕があるから、まだ子どもなのに頭の中で逡巡してしまい、足がすくみ、手が止まる。私の子ども時代とは、違うなあと思います。

では、そこから一歩を踏み出すにはどうしたらいいか。時には頭で考えすぎずに、とにかくやってみる!という事も必要です。息子が自室にこもり手を動かし始めた時は、きっと体が頭を引っ張ってくれたのです。

ワークシートからノートへ

私自身、今年度の前半は初めてのオンライン授業で試行錯誤する中で、きっちりプリントを作成し、それが埋まったら「やった!」と自己満足していました。保護者にも「これだけやりました」アピールできるし、子どもたちにも自分のやったことが目に見える形で残るし。とりあえずワークシートを作って埋めたらやり切った気がしていたのです。

ただ、できるだけ自由解答になる問いを投げかけるようにはしていました。その内にあることに気が付いたのです。私が準備する板書計画やプリントの記入例と、授業で子どもたちの話を聞いて書きこんだものは同じにならない。そして後者の方が断然面白い!

その結果、後半はプリントではなくノートに書きこむことが増えました。児童が成長しノート書きが上達したという理由もあります。「先生が考えていたことの斜め上の意見が出てくるんだよね~」と今風の表現で褒めると、文字通りどんどん斜め上に伸びて意見が深まっていきました。思いもよらない方向に進むこともあるので、対話の流れで臨機応変に書いていきます(もちろん計画はしておきます)。

一方オンライン授業の研修などで、たくさん時間をかけてパワーポイントを準備されている実践例も見ました。生徒や児童が正答すると、隠されていた解答が現れる仕組み。他の先生から感嘆の声ももれます。技術はすごい。でも正直決められた答えを埋めていくだけってつまらない。こういう(ある意味)きっちり準備されている先生は、予想外の発言が生徒や児童から出た時に、どうされるんだろうと(余計なお世話ですが)私には気になってしまいました。

語句の確認、文章構成を学ぶ場合はいいと思うのです。しかしその瞬間の子どもたちの心はどこに反映され、残るのでしょう。

先人は道しるべ、道を作るのは自分

大人や先生の話をしっかり聞いて期待に応える、見通しを持って計画的に求められていることを遂行できる。大事な事です。でも学校が与える学びの機会はそれだけではないといいな、とも思います。時にはどうなるかわからないけど、とりあえずやってみる。自分の手を動かす。到達点が見えなくても頭と心を動かす。

社会科で戦後の墨ぬり教科書の挿絵を見て感想を聞いた時、大抵の児童は「平和主義になってよかった」みたいな想定内の発言でしたが、一人率直に「考え方変わるの早っ!」と言ってくれた子がいました。そこからが対話の始まりです。この一言がありがたかった!

先達の知識を受け取り見えるゴールに向かうだけでなく、子どもたちが真っ白な空間に戸惑わないで自分の言葉で話し、自分の絵を描けるような機会もあったらいいなぁと思います。

笠井 縁(かさい ゆかり)

ユタ日本語補習校 小学部担任


アメリカの小さな補習校で多文化の中で成長する子どもたちと一緒に学んでいます。アメリカの現地小学校でも非常勤で子どもたちと接し、日本との違いに驚くこともありますが、子どもたちの学びの過程には共通する部分も多いのではないかと思っています。

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