高大連携は小中連携や中高連携と違う!~高校でこそ必要な汎用的能力(思考力・判断力・表現力など)を育てること~
高大連携には小中や中高の連携と本質的に違う側面がある。現在の各学校での取り組みや議論を見ていると、この本質的な違いはあまり意識されていないようにも思える。そして自分が数学の教員ということもあるだろうが、特に知識・技能という点において、高大連携の他との本質的な違いはもっと重視されるべきことだとも思う。
今回は学力の3要素の視点から、高大連携の小中連携や中高連携との本質的な違いについて考えたい。
立命館宇治中学校・高等学校 数学科教諭(高校3年学年主任・研究主任) 酒井 淳平
学力の3要素を改めて確認する
生徒が新しい社会を生き抜くために育てるべき力として文科省は学力の3要素として3つの要素を示している。これらを総合して「生きる力」と規定しているが、学力の3要素には次の3つがある。①知識・技能②思考力・判断力・表現力③主体性や協働する態度ーー。
①の知識・技能は「何を理解しているのか、何ができるのか」を示すものである。たとえば数学でいえば、2次方程式の解の公式を理解し、公式を用いて2次方程式の問題を解くことができる力はこれにあたる。②の「思考力・判断力・表現力」は「知識・技能」の上に築かれるもので、「理解していること・できることを使える力」とでもいうものである。大学入学共通テストの思考テストやプレテストで日常事象が取り上げられ話題になったが、その背景には「数学の知識でなく、思考力・判断力・表現力を問う」という出題意図がある。①②の土台の上に作られるのが、学びを人生や社会に生かそうとする「主体性・多様性・協調性」である。
学力の3要素を考えた時に、日本の生徒たちは①(知識・技能)は強いが②(思考・判断・表現)が弱いということが、PISA(OECD生徒の学習到達度調査)などの結果から明らかになっている。数学についても、数学を数学的文脈でしか使えないことが指摘されている。こうした現状から、新学習指導要領ではすべてが資質能力ベースで貫かれ、大学入試も変わろうとしている。授業改善の必要性も言われている。つまり②の力を育てようということが学校種を問わず強調されている。その方向性は間違ってないと思う。しかし、①の力についても、特にどの学校で重要なのかを考える必要がある。高校の知識は次の学習で直接必要になるとは限らない
アインシュタインは「教育とは学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているものである」と言った。しかし本当に習ったことを忘れてもいいのだろうか。学力の3要素の1つ、知識・技能には次の学習の土台となる側面があることを忘れてはいけない。たとえば数学について、中学校の学習で二次方程式の解の公式を暗記するよりも、導き方や考え方が大切といわれる時がある。それはもっともである。
しかし、高校でさらに進んだ数学を学ぶ際に、2次方程式をすらすら解けることが前提となることは多い。2次方程式を解くたびに解の公式を自分で導いている余裕はないというのが現実である。実際、数学でもっとも大事なことが計算力ではないけれど、高校数学を学ぶにあたってある程度の計算力が必要であるというのは多くの高校の教員が思っていることである。これは大学にも同じことが言える。大学の理学部数学科で数学の学習をする際に、数学Ⅲの一定の知識や計算力が前提となることは紛れもない事実である。
日本の数学のカリキュラムが大学数学(いわゆる理系学部で必要な数学)の準備という側面を強く持っていることは否定できない。また、学習する内容の量もあり、高校の授業が小学校や中学校に比べて知識技能重視になっているのも事実である。数学の知識・技能が次の段階で必ず必要となる小・中学校で「思考力・判断力・表現力」や「主体性や協働する態度」を育成する授業実践が進み、数学の知識・技能が次の段階で必要となる生徒が少ない高校で「知識・技能」重視の授業が展開されている。これが今の現実ではないだろうか。もちろん大学入試など、そうならざるを得ない現状はあるが、ここに大きな矛盾があることを忘れてはいけない。
高校で育てる力に注目を!
高大接続が小中接続や中高接続と本質的に違うのは、知識・技能の重要性にあるのかもしれない。卒業生を見ていてもそのように感じることは多い。ここでは数学の例を書いたが、他教科でも同じようなことが言える。たとえば中学校で学ぶ歴史の知識は、高校で学ぶ歴史の土台となるが、大学で歴史を専門とする生徒は少ない。
このように考えると、高大接続においてより重視すべきことは「知識・技能」ではなく、「思考力・判断力・表現力」や「主体性や協働する態度」のはずである。しかしこれはなかなか実践できていない。実際、高校の現状として、数学が苦手な生徒が多い学校は知識・技能を薄める、つまり要求する知識・技能の量を調整することで生徒にあわせた授業が行われていることが多い。もう少し「思考力・判断力・表現力」や「主体性や協働する態度」が意識されてもいいのではないだろうか。
おそらくこれは数学だけに限った課題ではない。大学入試という知識・技能が問われる場がなくなった時に、各教科を学ぶ意味は生徒に伝わるのだろうか?入試に関係なく教科として大切な力を育てることはできているのだろうか。知識・理解を要求されるいわゆる一般入試で大学に進学する生徒は高校生全体の30%以下であることも考えると、教科を通じて育てたい力は高校が小学校や中学校以上に考えなければならないことなのかもしれない。
高大接続の本質的な違いは、生徒たちが次のステージで知識・技能を直接必要とするかどうかにある。そして知識・技能が実はあまり重要ではない高校において、知識・技能を重視した取り組みが進められていれば、それはパラドックスに他ならない。
探究が注目され、カリキュラムマネジメントの重要性が言われている。これは高校が学校として育てる力をしっかり考える必要に迫られるチャンスでもある。そして各教科を通じて育てる力を考えるときに、高校の教員の教科の高い専門性は重要なことである。
高大接続。その本質的な違いを含めて、実は高校は教科を通じて育てる力は何かという問題に向きあうときが来ているのかもしれない。このように思います。
お読みいただきありがとうございました。今回書かせてもらった内容にはいろいろな意見があると思います。感想などお寄せいただければ幸いです。次回は教科と探究の接続について書きたいと思います。引き続きよろしくお願いします。酒井 淳平(さかい じゅんぺい)
立命館宇治中学校・高等学校 数学科教諭(高校3年学年主任・研究主任)
文科省から研究開発学校とWWLの指定を受けて、探究のカリキュラム作りに取り組んでいます。
キャリア教育と探究を核にしたカリキュラム作りに挑戦中です。
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