2020.10.30
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

日本語補習校で勉強だけしているのはもったいない

海外の日本語補習校も年々変化し、昨今では現地で生まれ育った子どもたちが日本語習得と維持のために通う事も増えました。彼らの日本語学習はもちろん容易ではありませんが、駐在家庭の子どもたちも慣れない海外生活に苦労するのです。そんな多様な児童たちが一緒に学ぶ時、彼らはどのように文化や境遇の違いという壁を乗り越えるのでしょうか。

ユタ日本語補習校 小学部担任 笠井 縁

(ユタの)補習校という所は……

ユタ州には日本企業がないので、私たちの補習校は地元在住の日本人家族や国際結婚家庭の有志により立ち上げられました。そういった背景により最初の数年間の児童はそのほとんどがいわゆる現地組(アメリカ生まれのアメリカ育ち、両親のどちらかが日本人)の子どもたち。それが数年後には駐在組(両親ともに日本人で数年間の予定で海外赴任)が少しずつ増えてきて、今では第一言語が日本語の子どもたちとバイリンガルの子どもたちが一緒に学習しています。私が今年度担当している6年生は、2割が駐在家庭のお子さんで8割が国際結婚家庭のお子さんというクラスです。

駐在組と現地組

家庭の言語環境が様々なので日本語力がマチマチなのは必然なのですが、似たような境遇や文化背景をもっている仲間意識のようなものが「補習校のともだち」の間にはあるような気がしています。

現地組はアメリカでは半分日本人、日本に行けば外国人扱いです。そんな彼らが日本人でもアメリカ人でもある自分を必要以上に意識せずにいられる場所が補習校。ユタの補習校関係者の間では、学習面だけではなくそういったどっちつかずの境遇にある子どもたちの精神的な支えとしての補習校という側面を忘れないようにと確認しあって運営してきました。「どっちつかず」と書きましたが、どっちも中途半端で大変、かわいそうという見方ではなく、児童たちにはどっちも体験できてラッキー!ととらえられる人になって欲しいと願いながら。

私を含め学校設立当初からの関係者は国際結婚家庭の人が多いので、その後駐在家庭が増えてくると、自分たちとは違う境遇の保護者や児童からの視点も考慮していくようになりました。

大都市以外の補習校の学習は、日本から来ている児童にとってはすごく難しいものではないと思います。その上、通信教育やこれから増えていくと思われるオンライン塾や家庭教師など、ただ「勉強をする」のであれば補習校よりも効率的な選択肢は広がる一方です。ではなぜ彼らは補習校という学校に来るのか。親御さんの赴任期間中の基本的な教科学習の維持。はたして本当にそれだけでいいのでしょうか。

児童たちの様子を見ていると、幼稚部から補習校に通っている現地組がのびのびと休み時間を過ごしているのに対して、駐在組は馴染むのに時間がかかったり、同じ境遇の児童と過ごしたり、または図書室で一人本を読んだりしている姿も目につきます。幼児期や低学年ではそれほど目立ちませんが、中高学年で引っ越してきた児童はこの傾向が強いようです。

ユタの補習校が大きくなるにつれ、駐在組と現地組の間にこの薄いけれど手強い壁というか膜のようなものがあるような気がして、それを破るにはどうしたらいいのかと考えるようになりました。

補習校ならではの「会話が上手くいかない体験」

ところがそれを破ったのは児童たち自身だったのです。6年生の国語の授業、1学期の始めに『帰り道(光村図書)という物語があります。2人の男子が休み時間に仲たがいをして、その気まずいままに一緒に下校することになりました。2人とも正反対の理由で自分は上手く話せない、会話が上手くないと感じています。

学習過程の中盤で、児童たちに「自分が上手く話せる時」と「上手く話せない時」の両方の体験を話してもらうように呼びかけました。自由解答で、児童たちがこの物語を自分事として引き寄せてくれたらなぁという問いかけなのですが、本文に照らし合わせると「話したい事がはっきりしている時」「相手の言う事をよく聞いてないと会話がはずまない」などを何となく想定していました。

ところが、ある駐在組の児童が「英語だと上手く話せない。日本語だと問題ない」と直球で返して来ました。すると他の駐在組の児童が大きく頷き同意。堰を切ったように話し始めます。頃合いをはかり私から現地組にも振ってみました。「アメリカで育ってきたみんなは、日本の学校に夏休みの体験入学で通った時、似たようなことはなかった?」すると「あった~!」と、それぞれがまた自分のエピソードを話し始めたのです。

みんなの意見をまとめると「第二言語だと周りの子が話している事はだいたいわかるけど、会話の中に入っていくのは難しい。第一言語だとそんな事はないからもどかしい」という共通の体験にたどり着きました。

この頃から、駐在組と現地組の壁というか手強い粘着質の膜が取り払われたような気がするのです。個々の性格で気が合う合わないという友だち関係の変化はあります。しかし日本人だから、ハーフだからというカテゴリーで相手を見ることはなくなったようです。

「補習校の友だち」の枠が広がった

このような子どもたちの成長を傍らで見ていて私の疑問も懸念も晴れました。児童たちに教えられたのは、駐在家庭の子どもたちにとっても補習校はやっぱり「自分が自分でいられる場所」なんだという事です。児童一人ひとりが自分自身でいられるようになった時、「補習校の友だち」の枠はぐんと広がりました。それぞれが多文化と多言語の中で苦労しながら2つの学校に通っているという事に気づいたからでしょう。生まれ育った場所や文化が違っても、気が合う人とは気が合う。自分だけではなく他の子も苦労したりもどかしさを感じているんだ。一歩踏み出して話してみれば共通の話題も見つかる。日本の国語の教科書を使いつつ、国内での学習目標とは多少ずれるかもしれないけど、私にとっても児童にとってもいい学びとなりました。

笠井 縁(かさい ゆかり)

ユタ日本語補習校 小学部担任


アメリカの小さな補習校で多文化の中で成長する子どもたちと一緒に学んでいます。アメリカの現地小学校でも非常勤で子どもたちと接し、日本との違いに驚くこともありますが、子どもたちの学びの過程には共通する部分も多いのではないかと思っています。

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop