2020.10.03
涙をこらえるきみのための学級づくり教室(1)
涙をこらえるきみのために。
まっすぐ、やわらかく。
「オラに相談する方が、気が楽かもよ?」その17文字から始まった、夕焼け空のような半年間。
高知大学教育学部附属小学校 森 寛暁
であい
登場人物紹介

わたし──小鳥ももが、その風変わりなアザラシと出会ったのは、24才になったばかりの夏休み。担任する小学1年生の強化水泳が終わり、ピチャピチャと足音を鳴らしながらビート板をプールサイドに干しているときだった。
曇り空とはいえ、となり町では国内観測史上最高気温41.0℃を記録。プールサイドに飛び散った水滴は、シャボン玉のように一瞬で消えてしまうほど暑い。
2階の1年C組の風鈴の音を聞きながら、プール倉庫の鍵を閉めていると、後ろから何か聞こえてきた。
「みょみょ」
(あれ!? 今何か聞こえたかな…)
動きを止めて耳を澄ましても、何も聞こえない。
(はあー、いやになっちゃう。連日の研修と強化水泳で疲れてるのかな…。早く着替えて、1学期の学級経営計画の反省を入力しなきゃ!明後日の職員会で報告なの、報告)
ガチッと鍵を閉め直したときだった。
「もにょ…もにょ…」
──ん!?
音は、誰もいないはずのプールから聞こえてくるようだった。
階段を登ると、大プールの真ん中に黒いビーチボールのようなものが浮かんでいるのが見えた。
(もう、高学年だ。使ったならちゃんと片付けてほしいよ。またシャワー浴びなきゃいけないじゃない、まったく!)
わたしは生ぬるい大プールに入り、顔を水面に出したまま平泳ぎで進んでいく。
(それにしても、ウチの学校にあんな真っ黒なビーチボール、あったっけ?)
黒いそれが半径1メートル以内に近づいたときだった。リンと一つ、風鈴が鳴った。
黒いそれは、クルッと回転して口を開いた。
「もも」
「…。…」わたしは口をあんぐりと開け、時間が止まっているのを感じた。(誰? って、そもそも何? 生き物? 今、しゃべったよね?)
「もも先生(笑)」
「なんでわたしの名前知ってるの!?」
わたしは思わず黒いそれに話しかけてしまった。
「だって髪の毛、桃色じゃん」
「うるさいなー! これには深い理由があるのぉ。でも、いちいち説明するのがめんどくさいから言わない」
「もも先生なんでしょ!?」
「ってか、きみは何? 誰?」
わたしの声を無視し、黒いそれが続ける。
「だって、さっき子どもたちが、もも先生ってきみのこと呼んでたじゃん(笑)」
「…。…」(やっぱり。人間の言葉を理解できるんだ。その上しゃべれる。これってファンタジー? こんなお話教科書にあったような。いや待って、逆なのかも。わたしの方が黒いそれの言葉を理解できているのかもしれない。いやいや、ああもぉおおー)
わたしは、ザッブーンと水中に潜った。10秒後、プハーッと顔を出す。雲の切れ間から覗く太陽が、みかんに見えた。視線を下ろす。
黒いそれは、ユラユラとわたしの目の前にいる。
なみだ

わたしが自分の目から涙が落ちていることに気づいたのは、黒いそれの正体を知った直後だった。
黒いそれはアザラシで、しかもほぼ1万回生きていること、遠い昔には伝説の教師に飼われていたこと、最近までユニークな経歴をもつアラフォー教師の家の軒下で雨をしのいでいたこと、などなど、本人の口から聞いた。アザラシの名前は、「マ・ナザシ」。誰に名付けてもらったのかは言わなかったけど、そのことは特に気にならなかった。それよりも音の響きに関心が向いたからだ。「アザラシのマ・ナザシ」って、韻の踏み具合がすごくて、妙に気に入ってしまったのだ。「ア(a)ザ(a)ラ(a)シ(i)のマ(a)ナ(a)ザ(a)シ(i)」母音が4文字とも「aaai」で一致している。音読するとよく分かる。ほぼ1万回生きていれば、ラッパーに飼われたこともそりゃあるか、と一人頭の中で納得してしまった。
「ところで、もも。オラの正体が分かったところで、一つ聞いていいか?」
「べつに…」(自分のことをオラって呼んでるし…)
「じゃあ聞くぞ。もも、今何に悩んでいるんだ?」
「べつに…、悩みなんて…」
「あるよなー。だってさっきと表情が全くちがうぞ」
「さっきとちがうってどういう意味?」
「だから、子どもたちと強化水泳しているときの表情と、子どもが帰ってからの表情のちがいのこと」
「げげ! ナザシは、一体いつからプールにいたの?」
「それで、どっちが自然体のももの表情なんだい?」
「よくわかんない…」(そもそも自然体ってなに!? そもそも学校で自然体な教師っているの?)
「ももに悩みがあることは、よくわかった」
「はぁー、わたし何も言ってないじゃない!」
「だったら、あの日のツイートは何だい? 『うまくいかないなー』とつぶやいていたでしょ? 午後0:49にね」
「げげげ! 授業研究のTC記録かぁー!」
「それで、ちゃんと相談相手はいるのか?」
その瞬間、わたしはまた口を開けて固まってしまった。頭の中で、相談相手を探した。彼氏、いない。家族、心配かけたくない。同期、みんな忙しそうで。初任者担当教員、もういない。学年主任の先生、レベルが段違いで。管理職の先生、なかなか本音で言えない。わたしは自分がこんなにも気を使う人になっていることに、今初めて気づいた。
マ・ナザシはその眼差しで、わたしの心を見透かしているように、こう言った。
「オラに相談する方が、気が楽かもよ?」
「あれ…、ひょっとして、わたし、泣いてる…? ねえ、ナザシ?」
──つづく
*登場する人物や団体、名称は架空のものです
1ミリちょっと(はじまりのあいさつにかえて)
森寛暁です。サンプリングだらけの設定ですが、オマージュだと思っていただければ幸いです。小鳥ももとマ・ナザシの学級経営物語をよろしくお願いします。半年間の連載です。明日から使える実用的なハウツーも書いていこうと思っています。
読んでくださる先生方やその近くにいる人が、疲弊しないように。後ろ向きになってしまった気持ちが、1ミリちょっとでも前を向くように。
一方的な批判よりも応援がしたい。
読んでくださる先生方やその近くにいる人が、疲弊しないように。後ろ向きになってしまった気持ちが、1ミリちょっとでも前を向くように。
一方的な批判よりも応援がしたい。
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森 寛暁(もり ひろあき)
高知大学教育学部附属小学校
まっすぐ、やわらかく。教室に・授業に子どもの笑顔を取り戻そう。
著書『3つの"感"でつくる算数授業』(東洋館出版社)
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