2019.09.05
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教師として、1番大切にしたいことは何ですか?

お茶の水女子大学附属小学校 教諭 本田 祐吾

長い夏休みが終わり、2学期が始まりました。
9月の始めの頃は、1学期に積み上げてきたことが、何となく後退したように感じることもありますが、1学期にどれだけ一貫した指導ができていたかが、少しずつ現れるように思います。一貫していれば、すぐにもとのペースに戻りますし、秋風が吹く頃には成長を強く感じられるようになります。

とはいっても、その一貫が、机の上でどこに筆箱を置くかといったような、画一的に皆が同じにできるようになる、ということではありません。子どもたちをできるようにしてあげたい、という思いは理解できますが、教師の思い通りに動けるかと表裏一体になってしまう危険もあります。大切なのは、一貫した指導とは、教師が自分自身の生き方としても大切にしたいことをふまえたものなのではないでしょうか。

以前、荒れた高学年を受けもつことが度々あったのですが、そうしたクラスの子どもたちがまず異口同音に言っていたことは、「先生たちは、先生らしいことばかり言う」でした。こうした言葉を通して子どもたちが言いたかったことは2つでした。

ひとつは、「先生は自分のできないことを子どもに言う」です。つまり、自分ができないことを子どもには要求するということです。もうひとつは、「自分たちを見ていない」です。これは、先生が日和ってしまったり(周りの先生の目を気にしながらの指導になっている)、体裁だけで注意や指導をしてしまったりしているということです。

子どもたちは、実によく先生たちを見ていて、先生の指導の矛盾を見ているんだなと感じました。やはり、子どもの前に立つとき、しっかりと背中を見せられる大人であること、そして一人ひとりの子どもをしっかり見て、寄り添っていくことが大切だと学びました。

教師も万能ではありませんから、できることとできないことがあります。それとしっかり向き合って、努力していくこと、そしてそれを隠さないことが大切で、それも子どもは良く見ています。教師が間違っているときには、それを素直に認め、謝ることも「背中を見せる」だと思います。先程の荒れたクラスでも、私が自分が悪いと謝ったとき、子どもたちは「先生が謝るの?」とびっくりしていました。

さて、話を戻して…私にとっての一貫して大切にしたいことは、3つあります(ちょっと抽象的かも知れませんが)。

  • 自分の興味のあることに、好奇心をもって取り組むこと
  • 「わたし」と「他者」の異なる他者性が尊重しあえること
  • クラスの一員として、自分のできることを考えること

学習や授業をつくる上でも、クラスをつくる上でもこれが軸になっています。

一人ひとりが「わたしらしく」あるためには、互いにそれを尊重し合うこと、つまりみんながちがうことが尊重されることが必要です。そしてさらに、その異なりを認めあった上でどう協働していくか、つまりどうクラスというコミュニティに関わっていくかが大切なのです。

そこで、教師は子どもたちが「わたしのままでよいのだ」という安心感をもてるようにするために、同質性を求めないように気をつけなければなりません。どう一人ひとりに寄り添っていけるか。そして、子どもたちが安心・安全を感じられるように、人を傷つける行為や言動はしっかりと叱っていきながら、子どもたち自身も安全・安心を作る担い手に育てていくことが大切だと思います。

明日すぐ使えるノウハウも大切ですが、様々な実践事例から「これやってみよう」と自分が思うのはなぜか、自分がどんな教育を大切にしたいか、そうしたことを考えるのも長い目で見て自分を育てていくことになると思います。秋の夜長に、ちょっと教育学の本も紐解いてみませんか!

本田 祐吾(ほんだ ゆうご)

お茶の水女子大学附属小学校 教諭
ここ数年は、主として低学年を担当し、就学前教育からのボトムアップを大切にした幼小接続期の研究に取り組んでいます。フレネ教育やイエナプラン教育を参考に、その知見を生かして、個別と協働・プロジェクト型の学習を作っています。子どもたち自身の手で学びや生活を創る中で、教師がどのようにあるべきかを模索しています。

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