2017.07.26
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

校種間連携も教科間連携も、大切なのは異文化理解

立命館宇治中学校・高等学校 数学科教諭(高校3年学年主任・研究主任) 酒井 淳平

連携するべき!とは言うけれど

「教科をこえてつなぐ!」「小中・中高・高大連携」

「大学と社会をつなぐ」「学校と地域をつなぐ」

最近こんな言葉をよく耳にします。中高一貫校は
年々増加、他にも学校間連携授業など、様々な
取り組みが進んでいます。

自分自身こうしたことの重要性は強く感じています。
そして中学校・高校・大学と3つの学校で教えた経験から、
学校間(校種間)の断絶は人一倍感じてきたつもりです。
キャリアカウンセラー取得の学びの際には、企業の方や
就職支援をされている方とも一緒に学び、そこでも
学校と社会の断絶を感じました。

しかしこうした取り組みを進める際に最も大切な
ことが忘れられているように思えてなりません。

たしかに学校間連携は大切です。たとえば
中学校と高校をつなぐことで、中学校は
中学卒業(≒高校入学)をゴールとすることなく、
高校で生徒たちがより成長するためにという
視点で教育活動を行いやすくなります。
高校の先生が中学校の先生の授業を見ることで
学べることも多いだろうし(もちろんその逆も)、
オープンキャンパスや特別授業のような取組で
高校を知ることによって中学生がより意欲的に
なることも予想できます。
こうした連携の大切さは学校と地域の連携、
大学と企業の連携などでも同じようなことが言えるでしょう。

しかしこうした取り組みが進む一方で、
「何のために連携するのか」「連携にあたって最も
大切なことは何なのか」という本当に大切なことは
共有されていないように思えてなりません。
このことが「取り組みをする=仕事が増える」という
図式を作ってしまっていること、
心ある担当者のボランティア精神に頼ってしまう
がために一部の人に業務が集中してしまうこと
(≒結局は担当者しだいという認識が共有される)
などにつながっているようにも思います。

みなさんは連携にあたってもっとも大切なことは
何だと思いますか?

中高一貫校あるある?

全国の中高一貫校でよくありそうな会話を紹介します。
会話はすべてフィクションですが、100%フィクション
と言い切れるのかどうか。それは中高一貫校の
先生に聞いてみてください。ただし私学で6年間
持ち上がり制の学校ではこうした会話は
ほとんどされないと思います。
恥ずかしながら自分自身、中学校しか経験が
なかった時は、こんなことを言ったことがあった
ように思います。自分の学校は大丈夫だろうか
と思いながら紹介します。

*会話例
A(高校の先生)「内部進学で中学校から上がって
きた生徒の成績が悪くやる気もない。たとえば○くん、
▲くん、☆くん、みんな成績も悪く、何よりやる気がない。
中学校ではもっと基本的なことをやってほしい」

B(中学校の先生)「中学校ではこんなふうに
指導してきました。○くんは確かに学力的には
厳しいところもありましたが、こちらの指導には
ついてきていましたし、高校に入ってさらに
やる気をなくしたように思います。他の生徒も
高校の先生は冷たいといいます。
もちろん学力の問題はありますが、指導の問題も
あるのではないですか」


こんなふうに直接言い合うことはまれで、
心の中でお互いに不満を持ちながら本音は
言わずに表面上の関わりだけということの方が
多いのではないかと、何校かの先生から
言われました。たしかにそうかもしれません。


ここではあえて中学校と高校という書き方をしました。
しかし中学校を学校に、高校を地域に置き換えたら、
学校と地域の話になります。
企業の人が「最近の学生は本当に意欲がない」
「本当にそう、大学は何をしているんだろう。
今の大学はダメだ。」などと言うのもそれにあたるでしょう。
自分(たち)のモノサシで違う組織を表面的に
理解したときに起こりがちなことです。

このことを放置したまま、連携という名のもとに
会議やイベントが開かれても、本当に大切な
部分は改善されないように思います。

 

異文化理解という言葉は組織をつなぐときにこそ重要!

国際化が言われはじめた時に、異文化理解
ということが強調されました。この言葉は
日本と海外との間で使われる言葉だと認識
されているのかもしれません。
しかし、この異文化理解という言葉にこそ、
連携を考える時に重要なヒントがあります。
学校間連携、地域と学校の連携、こうしたことを
実行するときに最も必要なのは異文化理解です。

日本人はおはしで食事をしますが、ナイフや
フォークで食事をしている海外の方にそれを
強要することはないと思います。
文化とは人間の生活様式の全体を指しますが、
日本で生まれ育った人が自然と身につけた
日本文化には固有の特徴があり、
それはいいとか悪いではなく、他の国の文化
とは違う固有のものなのです。
もちろん海外の文化のある部分を見て、
それがいいと思い、部分的に取り入れることは
可能です。逆に海外の文化を見て、やはり自国
の文化がいいと思うこともあるかもしれません。
個人的に何を思うかは自由です。
しかし文化が異なる人と一緒に何かをするときは違
います。海外の方と一緒に何かをしようとするときに
「日本文化は素晴らしい、海外の文化はダメだ」
と叫んでも、物事が何も進まないのは容易に想像が
できるでしょう。学校という世界に限定しても、
小学校・中学校・高校・大学、それぞれに固有の
文化があり、それらは全く同じものではありません。
中学校で必要な教育的指導が、高校から見ると
過保護に見えることがあるかもしれませんが、
それは文化の違いであり、中学校にはそうした
ほうがいい何かがあるはずです。
だから単に否定すればいいものではありません。

他国の文化を自国のものさしだけでみると奇妙に
見えることはあります。でもそれは表面的なことを
見ての判断にすぎません。本当にその国で生活
しているうちに、奇妙に見えた文化に実は大きな
意味があったのだと気付くのはよくあることです。
学校文化も外から見たらおかしなことはいっぱい
あるでしょう。学校という世界の中でも、高校から
見た小学校、中学校から見た高校、
おかしなことだらけなのでしょう。しかし単に否定
しても何も生まれません。まずは自分とは違う
文化をお互いに理解すること、すべてはそこから
始まるのではないでしょうか。
それは異文化理解教育としてずっと前から強調
されていることです。

自分自身、中学校で教員生活をスタートさせた
ときは高校の指導に対して否定的な思いを持った
ことがありました。その後高校に上がり、高校にも
高校の事情がありそうしたほうがいい背景がある
ことを痛感しました。同時に中学校しか見えて
いなかった自分に欠けていたものにも気づきました。
そうやって両方の文化を理解できた時、ようやく
自分の中で中高連携というものが見えてきました。
キャリアカウンセラー取得の学びの際に大学で
就職支援をされている方と話す中で、
高校だからこそできること・やるべきことにも
気づきました。
異文化を知ることで人は視野が広くなり、
異文化のいいところは取り入れようとします。
自分の文化の理解も深くなります。
異文化はまずは(評価ではなく)理解するものだと
自分の経験からも思います。

もう一つ忘れてはいけないことがあります。
それは当事者意識です。
「生徒により成長してほしい」。
学校が違ってもこの思いは共通しているはずです。
人は生徒の成長ということを本気で考えたときに、
自分ができることに思いを馳せます。
生徒の成長ということを、(他の人任せではなく)
自分ができることに注目して取り組もうとするときに、
文化の違いは些末なものになります。

そもそも連携は生徒をより成長させるための
取り組みです。連携は異文化と出会うことに
なるので、ときとして異文化を否定してしまい
そうになるかもしれません。しかし異文化は
否定するものではなく理解するもので、
異文化理解からすべては始まるのです。
そのために持つべきものは当事者意識です。

異文化は理解するもの、当事者意識を持つこと、
こうしたごく当たり前のことは、連携が言われる
今だからこそ改めて強調されることではないでしょうか。

みなさんはどう思われますか。

お読みいただきありがとうございました。

早いもので今期の連載も残り2回になりました。
引き続きよろしくお願いします。

酒井 淳平(さかい じゅんぺい)

立命館宇治中学校・高等学校 数学科教諭(高校3年学年主任・研究主任)
文科省から研究開発学校とWWLの指定を受けて、探究のカリキュラム作りに取り組んでいます。
キャリア教育と探究を核にしたカリキュラム作りに挑戦中です。

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop