2012.03.29
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登米市立登米小学校 教諭 皆川 寛 「人のために尽くす」

第二十九回は、宮城県の登米市立登米小学校 教諭 皆川 寛さんの執筆です。

本校には、今年度、東日本大震災被災県への東京都公立学校教員の派遣として、1学期に1名、2~3学期に1名、計2名の先生がおいでになった。
2学期に着任したK先生。低学年では算数の少人数指導やTT、高学年では理科専科として奮闘していただいた。それだけではない。理科の授業の合間には、理科準備室の備品を整理したり、倉庫の荷物を片付けたり、子どもたちにとってより良い教育環境になるように時間を惜しんで汗を流してくださった。休み時間には、子どもたちの輪の中に入り、校庭や教室でたくさんの子どもたちとかかわっていた。自分の仕事が終わると、「何かお手伝いすることはありませんか?」と何人もの先生に声をかけて回っていた。大変そうな顔はいっさい見せない。いつも笑顔だった。
K先生の言動から感じられたこと。それは、何の見返りも期待せずに献身的に尽くすということ、自分ができることの最大限を出し切るという姿勢であった。さらに言えば、どんなに大変な仕事でも淡々と作業を進め、常に謙虚であった。私たちは、子どもたちを前に「みんなのことを考えて行動しなさい」と言ったり、「全力を出してがんばろう」などと励ましたりすることがある。しかし、担任として自分がそういう姿を見せているかと言われれば不安が残る。K先生の姿に7ヶ月間接し、そんなことを考えることが多かった。

K先生は、どうしてこんなにも献身的で謙虚で前向きなんだろう。そんなことをずっと思っていた。3月23日、彼の最終勤務日。別れのあいさつの中で、その答えが分かった。

「私は、幼い頃から両親や先生に『人のためになることをしなさい。尽くしなさい。』と言われ続けてきた。それが体に染み込んでいる。教員派遣の話があったとき、行かずにはいられない気持ちになった。」

K先生のこの言葉を聞いて、彼の行動の「もとになるもの」が分かったような気がした。彼は、教員派遣の募集に条件反射のように反応し、自ら手を挙げ、自分の学級を離れて宮城にやってきた。自分の学級を離れることには相当な覚悟が必要だっただろうに、彼の中では被災県への応援が今の状況の中で「人のために尽くす」ことの最大の判断基準になったのだ。

絆、助け合い、がんばろう○○○……。テレビやインターネット、新聞、雑誌、そして街中にもそんな文字があふれている。それらの意味を私たちはどう受け止め、行動に移しているだろうか。スローガンを言うことはだれにでもできる。問題は、それぞれの立場で自分ができることの最大限を考え、具体的な行動としてアクションを起こすことである。そんな思いをいっそう強くさせてくれたのはK先生のおかげである。

教員の最大の使命は、子どもたちに「力をつける」ことだ。それは、日々の指導を通して、子どもたちに人として大切なことを「染み込ませる」こととも言える。自分ができることがあれば、条件反射のように行動できる、そんな大人になってほしい。20年後、30年後、この登米市、そして宮城を支えるのは、間違いなく目の前の子どもたちである。あらゆる知恵を総動員し、「人のために尽くす」ということが当たり前のこととして行動できる、そんな子どもたちを育てていくことが私たちの仕事だ。

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