南三陸町立歌津中学校 前校長 阿部 友昭さんインタビュー 「大津波の経験を後世の人々に伝えていきたい」

本コーナー「東日本大震災 学校応援プロジェクト」に執筆されていました阿部校長先生。実は体調を崩され、10月7日掲載の記事以降、連載を休止されていました。学校を退職され、療養をなさった結果、現在は、徐々にご回復されているということです。そんな阿部先生が2月4日、神奈川県の平塚市中央公民館で開催された『心の唄 in 平塚』というコンサートに出演されると聞き、学びの場.comはお話を伺うため駆けつけました。

阿部先生(右)も自作のメロディーで町民憲章を熱唱。左は伊里前地区自治会長の熊谷健一さん
「このような『心の唄』、そしていろいろなご支援をいただき、本当にありがとうございます。これからも細く長くご支援をお願いしたいと思います」
と挨拶されました。

「心の唄バンド」の演奏に聴き入る満員の会場
コンサートはその後、阪神淡路大震災の再現映像等の上映をはさみながら、しっとりと心にしみるナンバーから、思わず踊りたくなるようなノリノリのナンバーまで約2時間半、満員の会場を沸かせました。
コンサート終了後、阿部先生にお話を伺いました。
学びの場.com(以下、学びの場) 今回、ご出演された経緯は?

学びの場 体調のほうはいかがですか?
阿部 はい、今はもう大丈夫です。一時は、左耳が聞こえなくなる突発性難聴を発症し、同時に体重が15kgほど落ちてしまいまして……。
学びの場 やはり、原因は震災によるストレスですか?

阿部 そうだと思います。自分では(ストレスを)感じていなかったのですが。9月から11月までが最も大変でしたが、現在では、耳も回復し、体重も2kgほど戻りました。
学びの場 では、今後のご予定は?
阿部 教員は辞めましたが、社会教育の分野で活動していきたいと思っております。具体的には、小さな地区ごとに被災者が集まれる拠点を作っていきたいのです。そこでは、被災者同士がお茶やお酒を飲みながら、食事をしながら、語り合い、癒される。あるいは他の地域から来た方たちも一緒に話に参加でき、被災地の声を聞くことができる。すると、我々の経験したことが世の中に少しずつ広まっていくのかな、と。
私のこれからの役目は、今回の大津波について後世の人々に伝えていくことが第一だと考えています。学校のみならず、さまざまな教育現場でお手伝いできればと思っています。

阿部友昭先生の直筆の色紙より
インタビュー・文:宝子山真紀/コンサート写真:岡本 博
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