2011.09.15
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登米市立登米小学校 教諭 皆川 寛 「宮城県・南三陸町のいま」

第十二回は、宮城県の登米市立登米小学校 教諭 皆川 寛さんが津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町を訪れてのリポートです。

あの巨大地震・大津波から今日で半年。もうすぐ春を迎えようとしていたあの時から6ヶ月が経過し、秋の足音が聞こえる季節となった。この半年は、あっという間に過ぎたような気がする。

テレビでは「大震災から半年」ということで各地での追悼の様子を伝えている。仙台空港は9月25日に全面復旧、仙台空港アクセス線は10月1日に全線で運行を再開するという。一方、津波で壊滅的な被害を受けた沿岸部を中心に、現在でも約6,800人が避難所で暮らしているという現実がある。

南三陸町は登米市の東に位置し、登米市から車で30分弱の距離にある。8月中旬、私は南三陸町を訪れた。幼い頃から海水浴場に何度となく通った町が、一変していた。あの海岸が、あの魚屋さんが、あの魚市場が見当たらない。鉄骨だけを残し、津波がすべてをもっていった。地盤沈下が激しく、海岸近くの土地は浸水したままである。がれきの撤去作業はずいぶん進んでいるというが、それでも折れた電柱や信号機、押しつぶされた車がいたるところにあった。そんな光景を目の辺りにし、自然災害のおそろしさを痛感するとともに、ここで生活していた人たちのこと、失われた多くの尊い命のことを思うと、何ともやりきれない気持ちになった。

沿岸地域の復旧・復興には、多くの時間と努力と工夫を要すると思う。隣町で仕事をしている者として、何ができるか考え、小さなことでもいいから一つ一つ実行していきたい。

ここでは、8月中旬に南三陸町を訪れた際の写真を紹介する。

沿岸地区の様子。折れた電柱や鉄骨が津波の力の大きさを感じさせる

沿岸地区の様子。折れた電柱や鉄骨が津波の力の大きさを感じさせる

沿岸地区は地盤沈下のため浸水したままである。建物は鉄骨だけが残っている

沿岸地区は地盤沈下のため浸水したままである。建物は鉄骨だけが残っている

公立志津川病院。がれきが積み上げられている。ここでも、多くの命が失われた

公立志津川病院。がれきが積み上げられている。ここでも、多くの命が失われた

手前が道路、奥が八幡川。川と道路の境目が分からなくなるほど浸水している

手前が道路、奥が八幡川。川と道路の境目が分からなくなるほど浸水している

南三陸町役場防災対策庁舎は鉄骨だけになっていた。津波は、この屋上をも越えた

南三陸町役場防災対策庁舎は鉄骨だけになっていた。津波は、この屋上をも越えた

高台にある志津川中学校のグラウンドには、仮設住宅が建設された

高台にある志津川中学校のグラウンドには、仮設住宅が建設された

志津川中学校から見た町の様子。美しい海と空。しかし、建物の多くが失われた。一日でも早く、あの活気が戻ってきてほしい

志津川中学校から見た町の様子。美しい海と空。しかし、建物の多くが失われた。一日でも早く、あの活気が戻ってきてほしい

平成23年9月11日

【参考URL】
南三陸町ホームページ「南三陸町役場防災対策庁舎屋上から撮影した津波の状況写真」

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