2011.08.30
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【応援メッセージ】「教育つれづれ日誌」執筆者・荒畑美貴子さんより

「東日本大震災 学校応援プロジェクト」に掲載した記事や執筆者へ向けて応援メッセージが寄せられています。今回は、東京都の東久留米市立神宝小学校 教諭 荒畑美貴子さんより、福島県の郡山市立大島小学校 教諭 小野 浩司さん宛てへのメッセージです。

郡山市立大島小学校 教諭 小野 浩司 様

はじめまして。
 私は、福島県白河市で生まれ、福島市で育ちました。大学卒業後、東京で就職し、現在は小学校の教師をしています。6年生の担任です。

震災の当日は、午前中に娘の高校の卒業式がありました。午後は、勤務校での卒業式の練習があったので、昼過ぎから勤務していました。そしてその練習中に地震に遭いました。

体育館での揺れは非常に大きく、子どもたちの命を守らなければならないという思いがわき上がる一方で、自分自身の命の危険も感じていました。東京ですらそのような様子でしたから、震源地に近い福島での揺れを体験された方の恐怖感は、想像もできないものであったと思います。存命中であった福島在住の母とは連絡が取れず、何度も携帯から電話をかけましたが、安否が確認されたのは夜中になってからのことでした。

地震があった翌週の月曜日は休校になったので、火曜日に子どもたちと再開しました。教室に行くと、子どもたちは薄暗い中で静かに座って待っていました。率先して節電をする姿に、頼もしさを感じました。

福島第一原発の事故が報道されてからは、電車の中にさえ嫌な雰囲気がありました。不安を口にする大人がとても多かったのです。

ですが、大人が不安であっては、子どもたちをますます不安にさせてしまうと考え、私は安心させるような話しをしたり、普段通りに遊ぶように促したりしました。

繰り返し報道される震災の映像によって、心理的に傷跡を残してしまうのではないかとの指摘を受け、学校ではなるべく楽しく過ごさせてやりたいと思いました。

でも、しばらくして落ち着いたころから、東京にいるからといって震災に目を背けるのは間違いではないかと考えるようになりました。

同じ日本の、同じ世代の仲間が苦しんでいるというのに、意識的に話題を避けるのはいかがなものかと思ったのです。震災当時5年生だった子どもたちを、6年生でも受け持つことになったので、4月に入ってからは震災の話題を避けないようにしてきました。

うちのクラスでは、朝の会で日直がニュースを発表しているのですが、子どもたちの話題の多くは地震のことです。原発のことに限らず、避難されている方のことや食べ物のこと、被災地の皆さんが頑張っていらっしゃる様子などが、毎日語られています。6月に入ると水泳の授業が始まりましたが、福島ではプールに入れないことを心配していました。

私たちにできることには限りがありますが、自分たちにできることを頑張ろうという意識は高いように思います。35度もある暑い教室で、クーラーがほしいという声が上がっても、節電だからと諫める意見が出されます。体育館や教室で不自由な生活をされていらっしゃる方々を思えば、わがままは言えないという空気が流れます。そんな子どもたちのために、私も頑張らなくてはと思います。

さて、大学卒業後に上京した私にとって、福島は遠くなりました。しかし、故郷を思う気持ちは、少しも衰えることがありません。むしろ、この震災によって望郷の念が強くなったように思います。「ふくしま」という言葉に、敏感になっている自分を感じます。

世界的に有名になってしまった「ふくしま」。もっと別の件で有名になってもらいたかったと、涙がこぼれ落ちることがしばしばです。

故郷の真っ青な空、緑豊かな自然、そして安心して暮らせる毎日が、一刻も早く戻ってくれることを、心から願っています。

皆さまが、元気で過ごされることをお祈りいたしております。

東久留米市立神宝小学校 教諭 荒畑美貴子

 

◆東久留米市立神宝小学校 教諭 荒畑美貴子さん執筆記事「教育つれづれ日誌」

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