2007.10.02
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『ALWAYS 続・三丁目の夕日』 昭和30年代の家庭・地域教育力を学ぶ映画

今回は、昭和30年代の庶民の温かな絆を描く『ALWAYS 続・三丁目の夕日』です。

子どもは家の手伝いをすることが普通だった昭和34年

前作『ALWAYS 三丁目の夕日』は、昭和33年の東京の下町・夕日町が舞台の人情ドラマとして実によくできた作品だった。本作『ALWAYS 続・三丁目の夕日』はその続編で舞台となる夕日町も一緒なら、登場する人物も一緒だ。ただ時間だけは昭和34年、東京オリンピックが決定し高度経済成長時代に足を踏み入れた、より未来に大きな希望を抱いている時代。無論、今回も人情ドラマなのだが前作よりも考えさせられる内容になっている。
もっともハッとさせられたのが、子どもと大人の関係だ。今回は自動車修理販売“鈴木オート”の社長である則文を主人とする鈴木家が、事業に失敗した親戚・鈴木大作の娘・美加をしばしの間、預かることから始まる。
 このように親戚の子どもを何ヶ月も預かるなんてことは、最近は滅多にないだろう。美加は鈴木家では最初は少しだけお客のように扱われる。なにしろ彼女が来た初めての日は主婦のトモエが奮発し、すき焼きを作って歓迎したのだ。しかし、お嬢様として育てられてきた美加は、すき焼きの肉が牛ではなく豚だというだけで「こんなのはすき焼きじゃない!」と怒りだす。そのまま感情を爆発させ、「こんな狭っくるしい家なんてもう嫌だ」と叫び出す。なんてわがまま過ぎる言葉……。

 ところが、鈴木家ではそんな彼女の気持ちを推し量りつつ、たしなめつつも、決して甘えさせはしないのだ。最初にトモエが美加に「おばさんのことお母さんだと思って何でも言ってね。私もウチの子と思って扱うから」と宣言したように、ちゃんと家の手伝いもさせていく。

 たとえば、洗濯物をしぼり機(といっても手動で濡れた洗濯物をローラーに通して絞るという機械)でしぼって干すように言いつけると、美加はちょっと文句を言いたそうな雰囲気。しかしふと周りを見れば、豆腐を買いに来ている子、洗濯板で洗濯をしている子など、どの子どもたちもいろんなお手伝いをしているのである。そこで初めて、子どもは家の手伝いをすることが当たり前であることに気づく。
考えてみれば、この当たり前の出来事を最近見ることはほとんどない。子どもがスーパーで母親の代わりに買い物をしている姿なんて、私はここ7~8年は確実に見ていない。買い物ですらそうなのだから、洗濯もほとんど両親まかせになっているのではないだろうか。昭和30年代より洗濯機などはかなり発達しているし、作業的には遥かに楽になっているはずだけれど、自分の下着すら自分で洗濯しないという子どもがほとんどではないだろうか。


 もちろんこれだけ塾に習い事にと子どもたちが忙しい時代である。「昔と違うんだ、そんな家事なんてやっている暇ないよ」とイマドキの子どもなら言いそうである。だが昭和以前の子どもたちは、まず家の手伝いをしてそれから遊んだり宿題したりするのが、ごく普通の事だったのだ。きょうだいが多いから弟や妹の面倒を見なければならないという子も多かったはず。でもみんな立派に成長し、大人としてその時代を築いてきている。
 そしてそういう風に家事を手伝うことで、ちょっとした生きていく知恵をも、みんな会得してきたのではないか。たとえば料理をどの順番で作るかで要領の良さを学んだり、買い物に行くことでお金の計算が速くなったり、他人とのコミュニケーションを取る方法を学んだり。普通に勉強することでは学べないことを学んできたのではないだろうか。
そういえば友人の息子(小学校5年生)に「即席ラーメンを作ったことあるの?」と聞いたら、お湯を沸かすことしかしたことがないと言っていた。それを聞いてちょっと驚いた。私達の時代は即席ラーメン作りにトライするなど、小学校の頃からごく普通にしていたからだ。今のようにコンビニがなく、ファーストフードもなく、手軽に食べ物が買える時代じゃなかったというのも大きいのだろうが、とにかく見よう見まねでいろいろトライしてきた。
 そういう経験を通して料理を作ることの大変さ、面白さ、自分に向いているかいないかと言ったことまで判別できた。最近ではおなかが空いても、自分でご飯を作ってみようという発想がない子も多いらしく、それは本当に残念でならない。どうも教えられたことはできても、自分で積極的に何かをしてみようという、そういう冒険心に欠ける子どもが多いようだ。

現在、失われた“向こう三軒両隣”の絆

本来、人間が一番身につけておくべき、衣食住に関する当たり前の知識が今の子どもたちから異常に欠如している気がする。中には「大人になってからだって、そんな家事に関する知識はどうにかなるよ」と言う人もいるかもしれないが。本当にそうだろうか? 実際はそんなに簡単なことではないのではないか。
習慣として身についていなければ、衣食住などどうでもよくなったりするもの。毎日コンビニ弁当でも平気……なんてことになりかねない。つまり家の手伝いをすることこそ大事な教育のひとつなのだと私は思う。かつて話題になった“汚ギャル”なども、こういう子どもの頃からの家庭教育の欠如が生みだすものではないだろうか。                     


 そう、この映画にはそんなかつてはあったのに現代では失われてしまった様々な事が詰め込まれている。もうひとつ注目したいのが、ご近所との繋がりだ。
 鈴木家の通りの向かい側には駄菓子屋の店主をしているが本当は小説家志望の茶川が住んでいる。茶川には実の父親との生活を拒否して、茶川と共に暮らすことを望んだ古行淳之介という小学生の同居人がいる(ちなみに淳之介は茶川に恩義を感じているからなのか、甲斐甲斐しく茶川の身の回りを世話している)。この茶川が今度こそ芥川賞を目指すと本気になった時、鈴木家が淳之介を預かり、さらには茶川に食事の差し入れをすると言いだすのだ。
他にも近所のいろんな人達が茶川のことを応援する。もちろん本気で心配しているのではなく、単純に好奇心からという輩もいるだろうが、それでもご近所からの応援はありがたい。隣に誰が住んでいるかもわからない現代ではありえない話である。
 今どき、醤油の貸し借りをしろとは言わないが、せめてご近所と挨拶のひとつでも交わせるような、そんな関係は築いておきたいもの。他人事に首を突っ込み過ぎるのは良くないとは思うが、まったく無関心なのも大きな問題なのだ。この映画を見るとそんなことも考えさせられる。 


 私も子どもの頃はよく他人から注意された。デパートのエスカレーター近くでウロウロしていた時、見知らぬ人から注意されたことがある。近所にも何かというと怒る怖いおじさんがいて、友達と遊んでいてもその家の前を通る時は静かに行動するのが決まりだった。今思えば、近所が一体となって、いや大人たちが一体となって子どもたちを守ろう&育てようという思いがあったからなのかもしれない。それがいつの間にか子どもたちの逆ギレを恐れ、大人たちが注意することをバカバカしいと考えるようになり、黙ってしまう世の中になってしまったのである。
それはつまり絆の崩壊をも意味する。たとえば台所で米の研ぎ方ひとつ教わることで、子どもと親には話し合う場が必然的に作られた。洗濯物はパンパンと叩いてから干すことで小じわが伸びることを教わりながら、アイロン掛けで失敗したりしながら、服を買う時には素材選びが肝心だと気づいた。素材を見極めないと、あとで洗濯で苦労することがわかったからだ。
 こんな風に家事をしながらいつの間にか、いろんな生きる術を磨いてきたものなのである。そして家事をすることで母親などの苦労が身に染み、本気で主婦(主夫)業を完璧にこなそうとしたらいかに大変なのかを知り、親に対する尊敬の念が間違いなく生まれた。同時に、他人に対する思いやりをも生むことになった。


 若いうちの苦労は買ってでもしろ……なんて言葉があるように、幼い頃から家事を手伝い、様々な失敗と成功をくり返すことで、無事、大人になれるものなのかもしれない。小さい頃から日常生活の作業を体験することで、料理に惹かれてコックになりたい気持ちが芽生えたり、あるいは自分は家庭的なことを求めない人間であると気づいたりと、自分の将来進みたい道も見えてくるかもしれない。こればっかりは、学校の勉強では学ぶことはできないものと言えるだろう。子どもの頃のほうがより大人の真似をしたいと思うものなのだから、そういう機会を逃さずにいろいろやらせてみるべきなのだ。


 最近はどこの業界にいっても「若い子たちは使えない」と言う。教えられたことはできても教えられないことはしないのだそうで。家事を好んでやりたがる子どもはそうそういないと思うが、あえて子どもの嫌がることもやらせれば、早く終わらせて遊ぼうと創意工夫をするようになるものだ。そんな知恵を身につけてきた者こそが、社会に出た時に柔軟な適応能力を持った“使える人間”になっていくはずである。
 是非この『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を見て改めて、人間が生きていく上で本当に大切なもの、学ばねばならないものとは何なのかを考えていただきたい。
Movie Data
監督・脚本・VFX:山崎貴 脚本:古沢良太 原作:西岸良平 
出演:吉岡秀隆、堤真一、小雪、堀北真希、もたいまさこ、三浦友和、薬師丸ひろ子、平田満、浅野和之、渡辺いっけい、手塚理美、上川隆也ほか
(c) 2007「ALWAYS 続・三丁目の夕日」製作委員会
Story
昭和34年春。黙って去っていったヒロミを想い続けながら淳之介と暮らしていた茶川。そこへ淳之介の実の父親が再び息子を取り戻そうとやってきた。人並みの暮らしをさせることを条件に改めて淳之介を預かった茶川は再び純文学の執筆を。また鈴木オートでは則文の親戚の娘を預かることになり、ちょっとした騒動が巻き起こる。

構成・文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

子どもに見せたいオススメ映画
『ストンプ・ザ・ヤード』 十代の心の成長を表すダンスシーン
LAのストリート・ダンサーのDJは、闇コンペで兄のデュロンと共に賞金を稼いでいた。だが自分のせいで対戦チームとケンカになったあげく、デュロンが殺されてしまう。傷を負ったDJはアトランタの大学へ。そこでDJは“ストンプ”というダンス(正確なステップを踏みながら手足で音を立ててリズムを刻む踊り)に出会い、それをきっかけに再生していくことになるのだった……。
ストーリー自体には目新しさはない。ただ自己中心的で自分のことしか考えられない、他への配慮が全くなかったDJが、兄の死という重過ぎる十時架を背負って生きていくことで、彼自身が変化していく様をものの見事にとらえている。その心の成長を象徴的に表しているのがダンス、とくに“ストンプ”のシーンだ。このダンスの魅力は全員が一糸乱れぬ振りで踊るところ。最初はどうしても個性を剥きだしにして“ストンプ”してしまうDJ。だがその自分勝手さを克服し、しっかりと皆と合わせられるようになることで、兄の悲劇を乗り越え、バランスのとれた人物になっていく様子がわかるのだ。
 自分の行動を反省し、責任ある態度で頑張れば道は自ずと開かれる。そうすれば、どんなことがあろうとも人生のやり直しは利く。一方、だからこそ始めから罠にかからないよう、強い心で毎日を誠実に生きるべきであることも本作から伝わってくる。高校生自身、あるいは高校生の保護者にこの映画はピッタリとはまるはずだ。
監督:シルヴァン・ホワイト
脚本:ロバート・アデテュイ
出演:コロンバス・ショート、ミーガン・グッド、クリス・ブラウン、NE-YO、ダリン・ヘンソン、ブライアン・ホワイトほか

構成・文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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