2024.12.21
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『小学校〜それは⼩さな社会〜』 今の小学校を知ることで、様々な日本人の姿が見えてくるドキュメンタリー

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は、日本の公立小学校の1年間に密着したドキュメンタリー『小学校~それは小さな社会~』の山崎エマ監督にインタビュー。作品に込められた思いや、海外から見た日本の学校教育についてお聞きしました。

公立小学校の春夏秋冬を綴っていく

 

© Cineric Creative / NHK / Pystymetsä / Point du Jour

『小学校〜それは小さな社会〜』は、もしかしたら小学校教諭として勤務している先生方には、そんなに珍しくもない光景が広がっているのかもしれない。舞台は公立小学校。その小学校に入学したばかりの1年生、そして卒業間近の6年生に焦点は絞られており、彼らが織りなす春夏秋冬のエピソードが綴られていく。しかし、そこには今ドキの小学校のあり方が懇切丁寧に綴られており、観ていると自然と映画の中に引き込まれ、否が応でも自分の小学生時代に思いを馳せてしまう。

例えば1年生が、入学式のために音楽演奏をすることになる。オーディションを経て選ばれた1年生たち。だがその中で希望の楽器を演奏することができるようになったものの、うまくいかずに泣き出す子どもがいる。キッチリと叱りながら、練習をすることの大切さを説く担任教師。このシーンを見ながら筆者が思い出したのは、こんなに簡単に泣くことができなかった小学生時代だ。
泣くということは弱いと思われ、それだけで時には学友からの新しいイジメに繋がった。だから何があっても絶対に人前では泣かないと思っていたし、そういうときに担任教師に相談することも、今、振り返ると全くしていなかったと思う。それが筆者の小学生時代だった。しかし今は、そんなふうに泣いたとしても、同級生たちはちゃんと心配をしてくれるし、担任の先生も優しく接してくれる。筆者の時代はできない子はできない、弱い子は弱いと、どこかで区切りをつけてしまう時代だった気がする。しかし、今はそうではないのが、こんなシーンからも読み取れた。

山崎エマ監督が小学校時代に感じた「勤勉さ」「責任感」

山崎エマ監督

© Cineric Creative / NHK / Pystymetsä / Point du Jour

監督を務めたのは英国人の父親と日本人の母親を持つ山崎エマさん。大阪の公立小学校を卒業後、中学校・高校はインターナショナル・スクールに通い、大学はニューヨーク大学映画制作学部へと進んだ。

そんな山崎監督はある日、「6歳児は世界のどこでも同じようだけど、12歳になる頃には、日本の子どもは“日本人”になっている。すなわちそれは小学校が鍵になっているのではないか」ということに気づく。そこで公立小学校を中心としたドキュメンタリー映画を撮影したいと思うようになった。

実際、山崎監督は公立小学校にて「勤勉さ」「責任感」を自分も学んだと感じているという。監督は具体的にはどういうところで学んだと感じたのだろうか?

山崎監督「覚えているのは、行事です。運動会や演奏会などですかね。自分はあとは放送委員や謎の掃除大臣という掃除の責任者的役割にも燃えていましたね。小学校っていろんな役割を与えてくれるでしょう。そういうことにやり甲斐を感じていました。これは日本の小学校の特徴的な部分ではないかと思います」

そうなのだ。筆者は全く知らなかったのだが、自分の教室を掃除したり、給食当番で自分たちの食事を配膳したりすることは、実は日本だけのもの。これらは日本式教育であり「TOKKATSU(特活)」と呼ばれている。山崎監督に本当に他の国では自分たちの教室を掃除してないんですか!?  と尋ねると「ほぼないらしいです。子どもたちの仕事ではないし」という答えが返ってきた。

山崎監督「掃除などは業者がやったりするのが当たり前という発想です。国によっては、掃除をさせるというのは児童労働だとか、それくらい反発のあること。確かに掃除も教室を綺麗にするのが目的ならば、大人がやった方がいい。でも日本では自分たちのことを自分たちでやるという、自己責任を学ぶためのひとつの教育になっている。そこまで理解されていないと反発されてしまうのだろうと思います。あとやっぱり掃除は違う“位”の人間がやるものだと思っている社会もあるから。だから結構小学校で掃除を導入している国は少ない。もし掃除を導入しているのなら、日本式の教育方法に影響を受けている国らしいです」

下駄箱に整然と入っている上履きや、階段に書かれた右側通行を示唆する矢印と、それに従う子どもたち。集団の中でどのように暮らせばよいかという教え。普通に観ているとどうということでもないことが、どうやら海外では驚きの連続になるらしい。

世界中が観てビックリ! 教育問題に一石を投じた

 

© Cineric Creative / NHK / Pystymetsä / Point du Jour

この映画を見た海外の人々の反応がまとめられているのだが、例えばフィンランドではこんなことが言われている。
「フィンランドの学校では、生徒たちは常に個人としての権利を求め、共同体の恩恵を忘れている。教師たちは、共同体をポジティブな形で引き出す精神を作り出そうとすると疲れる。なので自己中心的な子供たちに映画を観せるのはいいことだ。日本から学んでほしい」(フィンランド)

他にもこんな言葉が寄せられている。

「アメリカでは子供たちに掃除をさせると『なんで自分の子がそんなことを』という話になる。でも『自分たちのことを自分たちでやる』ということを学ぶための最高のやり方。全部の学校に取り入れてほしい」(アメリカ)

「子供同士が自然に思いやる、協力し合う、なだめあう、そんな姿に涙した。小さい頃から人生は一人では生きていけず、周りと協力していくものだという意識が自然と身についている。だから地震が来ても慌てず、コロナ中もうまく対応できたのだろう」(ドイツ)

「ギリシャの学校と全然違う。掃除や給食配膳、いろんな役割を自分たちでこなすなんて、考えられない。ギリシャは大人からの命令型。子供が主体になる意識がない。羨ましい」(ギリシャ)

「成功するために先生がどのように子供たちのやる気を引き出しているかも見えた。これは良い市民を作る方法である。また国作りに繋がる。映画で見たことをすべてエジプトで応用できることを願っている」(エジプト)

実際、エジプトでは掃除・日直制度・学級会などの導入が2万近くの公立小学校で進んでいるそうだ。

山崎監督「日本の子どもはすごい…という反響は世界で上映してみていっぱいありましたね。こんな小さい頃から責任を与えてもらってそれをちゃんと担っているのかと。それと思いやりのレベルが違うと。もちろんそう仕向けているのは大人たちだし。子どもたちが自分たちでやっているように見せる導き方とか、思いやりを学ぶ先は、小学校の1年生なんかは特に先生の姿からだったりすると思います。それが反映されているのかなと」

実際、山崎監督が驚いたのは「個人を尊重する時間、ひとりの子どものためにクラスの時間を止めて、みんなでその子を助けるというようなものがとても増えていると感じました」ということ。

「自分の時代では置き去りにされていそうなことがそうではなくなった。何年もかけて意識の改革がされていったんだなというのがあります。“褒めることの意識”が高くなっているということです。ありのままを認めるのがここ何年間かで増えていて。自分が小学生時代に体験した『もっとできる、もっと頑張ろう』という意識を持たせることで、次のステップへ仕向ける教育というのが、減った感覚は否めません。時には怒ったり叱ったりすることに関しては、時代とともに緩くなったなというか。学校は、今は個性を尊重しあって認めてという教育がベースになっていると思うけれど、それはやはり教育の進化と捉えてはいますが。ただ自分が学んだ何かを乗り越える経験…『責任感』や『勤勉さ』を、もっとできると言われ続けて達成感を得たからこそ、そこを追求したいと思うようになったというのはあります。そういう人生を歩めたから今の自分のようになれたのだとも感じます」と述懐した山崎監督。

山崎監督「教育という場所はできなかったことができていく場所。時にはもしかしたら泣いたりとか、注意されたりすることも必要だと思うし、それこそ残さないといけない部分なのではないでしょうか」

そう考えると、演奏のことで怒る教師は今は稀有な存在なのかもしれない。

山崎監督「なかなかああいう先生たちが指導するのがやりづらい時代ですよね。親たちからの心配とかそういうのがありますから。私もああいう先生たちに育てられていたし。当時は嫌だったという記憶もある。でもやっぱりそれが自分を作ってくれたのは間違いない。私はたまたまこういう映画を撮ることでその事に気づきましたが。今は多分、厳しくしないほうがやりやすい時代ですけれど、関係性があって愛情があれば成り立つことだと思います。映画に登場した怒った先生も別に急にキレたわけではないですし。前後のフォローなども考え抜いて、他の先生もいるからこそできるやり方だと思います。そういうことが大事な時もあるのではないでしょうか。でもそういう先生たちの姿を多めに取り上げたというのは、自分にとってのこだわりだったかもしれないですね」

うまく企画がまわらず、挫折しかけたことも…

© Cineric Creative / NHK / Pystymetsä / Point du Jour

山崎監督「悔しいことがあったら、友達同士でなだめあったりというのが本当に多くて。それも日本の小学校の特長なんです。他人のことを自分のように思えるシステム。悪くいうと同調圧力を促す結果にもなるのですが、いいところでいうと思いやりとか助け合いが強くなる。もちろん世界にないわけではないですけど、日本ではその割合が多いのかなと。それは今の教育制度の結果なのでしょう」

ちなみに山崎監督はこの企画に2014年頃から着手した。しかし正直、うまくいかずに挫折しそうになったこともあったという。

山崎監督「一番諦めそうになったのは、自分の小学生時代の先生が今は管理職になられていて。話に乗ってくれるのではないかと思っていた先生から、この企画は難しいと言われたことでした。こんな面倒臭い話を引き受ける学校なんてないよ…とおっしゃるのを聞いた時に、私が考えていることはやはり無理なことなのかと。もちろん負担がかかるのはわかるんですけど、それに値する意義や価値があると思っていたので。ショックでしたね。それがどうにかできたのは、東京オリンピックの年に世田谷区がアメリカのホストタウンをやると。その時に世田谷区の小学校をアメリカや全世界に紹介するみたいな話をしたら話が通せるのではないだろうか…と。その閃きで結果うまくいきました。それに気づくまでは体当たりで失敗…を繰り返していましたね」

企画が通ってからは、この公立校に通う1年生になる子どもたちを保育園の頃から追っかけ、教室の中には机があってカメラがあり、新しい先生や人間とともに山崎監督がいるのも当たり前と子どもたちが自然と思えるまで、とにかく教室に通い詰めた。そのおかげで入学式から驚くほど子どもたちの自然な姿がカメラに納められている。

山崎監督「学校は1年間で200日くらい授業や行事があるらしいのですが、そこに150日間通いました。行事以外はカメラは基本1台で回して700時間を撮りあげました。その撮影したものを観て、どういうストーリーになるのか、いろんなバランスを見つつ、伝えたかったこと、見たことを凝縮して、編集して詰めていきました。でも正直、700時間撮影しても素材的にはこれでギリギリ一本作れたという感じでしたね」

その上で監督が感じた日本の小学校教育の弱点とは何だろうか?

山崎監督「集団と個性重視の教育のバランスはいかに進化したとはいえ、やはりまだ集団の方に寄っていると感じました。でも個人的には6歳〜12歳までは集団を意識して教育した方が良いのではないかと思います。集団の中で他人と一緒にどう暮らしていくか。コミュニティとして団体として組織としての生き方を学んだあとに、段々自分の色、個性というのを見つけていければいいんだと思います。やっぱりまずは人を見極めて指導をすることが大事で、時には乗り越えるべき試練があるのであれば、それをするみたいなことに対し、まだ日本の学校では躊躇みたいなのがあるのかなとは思いますね。一番の課題は今回の映画には取り上げてないですが、不登校など学校に来れない子どもたちがたくさんいるわけですから。それに対してもフリースクールとか選択肢が増えているという点。いろんな選択肢が増えていくシステムの方が、よりいろんな人達に対応できる。そこらへんは日本の教育はいろいろ進んだとはいえ、まだまだできることもあるんじゃないかと感じます」

次なる山崎監督の目標は大人の日本人を描くこと

© Cineric Creative / NHK / Pystymetsä / Point du Jour

ちなみに山崎監督が映画監督を志したのは14歳の時。インターナショナル・スクールで映像の授業を受けたのがキッカケだった。

山崎監督「もともとなんでも無難にできたんです。スポーツも勉強も。でもあきっぽかったので続かないというか面白いとは思わなくて。そんな時に小学校の課題図書で、たまたまイチロー選手の本を読んだんです。それで彼のように好きなことを見つけて没頭して努力をして大きな夢を持って一流になるという生き方に憧れを持ったんです。で、私にとっての野球に相当するものは何かと探し始めました。13歳の時に映像の授業を受けた時、難しくて落第しかけたんです。でもそれが私には自分のノビシロに思えたんですね。できないんだから、これを逆にやろうと決めた。だから自分に映像の才能があるなんて思ったことは一度もないですし、逆に一生かけてもっともっとできるようになるのではないかと思ったし。21世紀的な職業にも感じたし。つまり得意だったのではなく、自分でやる方向に舵をきった感じでした。だってイチロー選手は3歳から野球をやっているのに、私はその時にもう13歳。10年も遅れているんだと焦って選んでそれに絞ったんです。大学も映像の仕事に就く観点で選びましたし。とにかく時間を費やさないとうまくなれないということはわかっていたので、もしうまくいかなくても経験がないからだと。私の世代ではすぐに仕事を変える人が多いんですが、あまりそういうことを思わずに、とにかくやっていればうまくなれるはずだからと信じて学んでいきました。とにかくやり続けないとね。だって入社1年目なんて仕事が面白いわけがない。下積み時代に面白いと感じる方なんていないと思う。向いていないとかではなく、そこでどれだけ先輩などから吸収して自分の道をいけるかが大事、というのが私の考え方なんです」

淡々といかに自分を追い込んで映像の世界を作っているかを語ってくれた山崎監督。そんな監督の次なる目標は日本の大人たちを描くことなのだそう。

山崎監督「日本の特性は組織の中での、それこそ日本を代表する企業の変わり時というか、そこでいろんな層の人たちが今どう思ってどういう課題を持って企業の変革時期を乗り切っていくのかを描きたい。でも小学校のとき以上に許可をいただくハードルが高いかなと。10年かからずに製作できたらいいなと思います」

困難な道のりだが、そこを諦めることなく撮影したいと語る山崎監督。そうやって様々なことに挑戦し、時には砕けちりながらも、そこから学び、またノビシロを伸ばしていくのが山崎監督流の成長であり、モノ作りなのだろう。次はどんな作品を作って魅せてくれるのか、本当に先が楽しみ。今回の『小学校〜それは小さな社会〜』同様、観客にいろいろ考えさせる、学び甲斐のある作品に仕上げてくれるのは間違いないだろう。

Movie Data

監督・編集:山崎エマ
プロデューサー:エリック・ニアリ
撮影監督:加倉井和希
録音:岩間翼
エグゼクティブ・プロデューサー:    安田慎、杉江亮彦、國實瑞恵 

配給:ハピネットファントム・スタジオ
12月13日(金)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開

 (C)Cineric Creative/Pystymetsa/Point du Jour 2023

『⼩学校〜それは⼩さな社会〜』公式サイト

Story

4月。授業が開始され、新1年生は教室での挙手の仕方や廊下の歩き方、掃除や給食当番など、集団生活の一員としての規律や秩序について初めて学んでいく。そんな1年生たちの世話を焼くのは翌年には小学校を卒業する6年生だ。6年生は校内放送の運営や手洗い用ハンドソープの補充、士気を高めるためのスローガンの考案などを行い、下級生の模範になるのを誇りとしている。子どもたちはわずか6年の間に自分が何者であるかという自覚を持ち、6年生にふさわしい行動をとるようになる。コロナ禍で学校行事実施の有無に悩み議論を重ねる教師たち、社会生活のマナーを学ぶ1年生、経験を重ねて次章への準備を始める6年生。3学期になると、もうすぐ2年生になる1年生は入学式のために音楽演奏をすることになる

文:横森文

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横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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