2007.06.05
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『300 スリーハンドレッド』 …子どもたちの未来に何を遺すか?

今回は、ペルシア軍とギリシア軍のテルモピュライの戦いで活躍した勇敢なスパルタ兵たちを描く『300』です。

子どもを節度と厳しさで育てるスパルタ教育法の意義

先に断っておくが、この映画は史実に忠実な作品ではない。もちろん映画で描かれるテルモピュライの戦いは実際にあったもの。紀元前480年8月、南下を進めるペルシア遠征軍とスパルタを中心とするギリシア連合軍との間で行われた戦いだ。この時、ペルシア軍は100万人以上であるのに対し、ギリシア連合軍はスパルタの重装歩兵300人を中心とするわずか5000人あまり。圧倒的にペルシア軍が優勢! と思いきや、ギリシア特有の土地を利用した攻撃で、ギリシア連合軍はなんと3日間に渡って敵の進行をくいとめ、甚大な損害を負わせることに成功したのだ。

 そんな歴史的戦いを『シン・シティ』で日本でもその名が知られるようになったフランク・ミラーがグラフィック・ノベル化。それを映像化したのが本作だ。
 そのため映像はかなりスゴイ。ケレン味たっぷりの演出で、迫力満点の戦いのシーンが綴られていく(戦闘シーンが主になるだけに、時には残酷な場面も登場するが…)。とにかく映像美学を追究したシーンの連打には圧倒されっぱなし。そんなカッコ良さ優先の傾向があるせいか、登場人物は史実のイメージとは異なる。例えばペルシア軍の王の姿は、まるでゲームキャラのような雰囲気の、いわゆるビジュアル系だったりする。
通常ならこの手合いの映画はここのコーナーでは紹介しない。それなのになぜこの映画を「観てほしい」と声高に叫びたくなったのかといえば、主人公のスパルタ王・レオニダスの生き方に、今の現代人に希薄となったさまざまなものがうかがえたからだ。
 そのひとつが教育。最近では滅多に聞かなくなった“スパルタ教育”の語源ともなった厳しい教育がスパルタでは行われていた。レオニダス王も12歳になった時に厳しい訓練を課せられ、その課題をすべて克服して逞しい大人へと成長したのだ。このスパルタ教育方法――親が子どもを自由に育てられず国がとりしきるという点や、厳しい訓練の結果、体に障害が出た者は殺してしまうという点に関しては、私も多いに疑問を感じるところではある。しかしその一方で、この鍛え方には一理あるのではないかと思えてならない。

 実は私の友人に子どもをうまく叱れない人がいる。いや、本人はキチンと叱っているつもりらしいが「○○ちゃん、ダメでしょ」とか「そんなことはいけません」と言葉では「ダメ」だの「いけません」と言っていても、その言葉に全く気迫がない。人間というのはもともとずる賢い生き物であり(だからこそ、ここまで進化してきたのだと思う)、特に子どもは親の“怒り”などの感情に対しては敏感だ。つまりその瞬間に相手をなめてかかってよいかどうか、意識しなくても本能的に嗅ぎ分けてしまう。つまりそこで甘えを許してしまったならば、もう子どもは確実に親を心のどこかでなめてかかることになるのだ。

案の定、その友人の子どもは自分天下のまま育ってしまった。どんな時でも自分が中心でないと気が済まず、親の言うことはほぼ無視。そのくせ都合が悪くなると親の懐に逃げ込む。こんな事態を親は我が子可愛さのあまり見えないのだろうが、他人の私から見れば、親は完全に「なめられている」。
 そういえば先日も銀行で、まだ4歳くらいの男の子が母親に対し「早くしろって言ってんじゃねーかよ!」と口汚く呼びかけているのを見て呆然としたことがあった。しかもその母親がニコニコしながら「はいはい」と返事をしているではないか。こんなことでは真っ当な大人に育つわけがない!! 人間だって動物。所詮、親がキチンと子どもに躾をしなければ、ただの無法者になるのがオチ。厳しさも愛情の裏返しというが、まさにそういうことなのだ。

 しかし、悪さをした子どもに反省を促せる大人が、今はどれだけいるのだろうか。先日もテレビ番組で「子どものことが怖いから怒れないという親が増えてきた」というレポートがあった。「(子どもたちが)何を考えているかわからない。だから怖い」とそこで登場した親たちは堂々と答えていた。そんな風に腫れ物に触るように接しているから、子どもたちの悪行を助長することになり、最終的には子ども自身が「何をどうすればよいのかわからない」という悪循環を招くことが、彼らには理解できないのだろうか?

 『300』に描かれているようなスパルタ教育までいかないまでも、やはり子どものうちはある程度の節度と厳しさで制限することも大事ではないだろうか。「獅子は子を谷に突き落とす」というたとえがあるように、あえて子どもに難行苦行を与えるというのも一つの教育法だろう。優しく接すれば接するほど、人は成熟した大人になるチャンスを失ってしまうものなのかもしれない。

目的に向かって生きているか? と問いかける作品

次に重要なテーマとなるのが“生きる意味”だ。スパルタの精鋭300人の兵士たちが、命を散らすとはわかっていても戦いに行ったのはなぜなのか。
 それはレオニダス王が本当にスパルタの未来を考えてのこと。ペルシア軍がギリシアに攻め入れば確実に国は滅びる。女や子どもたちはペルシアの奴隷と化してしまう。その前に海岸線でなんとか足止めしたいと考えたレオニダスは、まずは開戦してよいものかどうか、ご神託を聞きに神殿へと向かう。当時は神のお告げが絶対だったからだ。だがご神託の結果はNO(実はご神託を告げる者たちが買収されているのだが)。それでも国の危機を感じとっていたレオニダスは自分の心を信じ、開戦ではなくただ散策にでも行くような体裁で精鋭兵士たちを連れて海岸へ。そこで圧巻の強さをペルシア軍に見せつけることになるのだ。

 レオニダスのように本気で責任を持ち、命をも賭けて生きられる大人が、今はどれだけいるのだろう。自分たちの子どもの未来のために自分を犠牲にできるその精神は本当にすごい。前述した、子どもたちを怖がって疑う親が増えた中、子どものために命を投げ出せる人は、一体どれくらいいるのか?
 しかもレオニダス王の唯一の望みは、こうやって戦いに赴いた300人の人間がいたということを皆に忘れないでほしいということだけ。それ以外は何も望まないと告げる。そういった遺志が最終的にはギリシア全体を動かし、ペルシア軍との本気の対決に繋がっていくのだ。

自分の人生が死ぬまでの間にどんな意味を持つか、とても大切なことだろう。この映画を見ているとそう思う。普段の生活では、どうしてもそんな“生きる意味”を忘れがちだ。人はアッという間に歳をとり、どんな人間にも平等に死が訪れる。せっかく人間として生まれてきたならば、死ぬ時に自分の人生に対してちゃんと「よく生きた」と思って死にたいではないか。後悔などしない人生を生きたいではないか。
 最近では大人でも“自分探し”と称して、突然仕事をやめてしまったり、点々と転職したり、あるいはいろいろな習い事をして資格・免許を取るけれども、自分のやりたいことが一向に見つからず悩む人も多い。しかし、否応なく日々は過ぎていく。あれこれ迷うことも時には必要ではあるが、実行が伴わなければほとんど意味がない。何かやりたいことがあれば、自分の心に素直に従ってみるべきだし、そのためにはたゆまぬ努力が必要だ。自分の人生に責任をとれるのは自分自身しかいないのだから、その覚悟で目的に向かって挑むべきだと思う。
「あなたはちゃんと生きているか?」――『300』を観ていると、そんなふうに問われている気がする。映画を観終わって、私はそのことをぼんやりと考えた。ありがたいことに、私はこのライターという仕事を得て、将来はわからないけれど、とりあえず今は生活できるだけのお金をいただき、一方で大好きな芝居の世界にも飛び込み、作・演出の演劇ユニットまで率いることができた。格別褒められるような人生でもないが、私自身、後悔するようなことはしていない。世間ではもうチャレンジは止めて無理するなと言われる年齢ではあるが、そんな気持ちもサラサラない。もっともっと頑張って前向きに生きていきたいと思っている。この映画を観ることで、皆さんも自分の生き方を見つめなおしてもらえたら幸いだ。
 さらに、戦争は悲惨なものだ、愛する者を奪われる可能性があるのだという事実を、今一度思い返してほしい。本来、戦争など起こしてはならないし、戦争によって尊い人命が失われてはならない。その普遍的メッセージを『300』は命の重さや生きることの意味を描きながら、観る者に伝えてくれるから面白いのだ。心して観てほしい。
Movie Data
監督・脚本:ザック・スナイダー
出演:ジェラルド・バトラー、レナ・へディー、デイビッド・ウェナム、ドミニク・ウェスト、ビンセント・リーガンほか
(c)2007 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC.
Story
紀元前480年。スパルタ王レオニダスのもとにペルシア帝国からの使いが。千もの国々を征服した大帝国が次なる標的に定めたのは、スパルタを始めとするギリシアの地だった。しかし使者に「服従か、死か」と問われたレオニダスは使者を葬り去り、100万の大軍を敵に回すことに。そこで王は海岸線の狭い山道に敵を誘って大軍の利点を封じる作戦を。

構成・文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

子どもに見せたいオススメ映画
『シュレック3』 責任を果たすことと努力の大切さを伝える
『シュレック』シリーズといえば、どちらかといえば毒舌系のギャグのオンパレードで知られる作品だった。ところがどっこい、今回はその要素が薄まり、誰もが楽しめる作品に仕上がっている。
 というのも今回は物語自体が“責任”という問題に関わっているからだ。本作では怪物シュレックに二つの問題が持ち上がる設定。一つは愛するフィオナ姫の妊娠。そう、ついにシュレックは“父親としての責任”を果たさなければならなくなるのだ! 
 そしてもう一つは、シュレックがフィオナ姫の実家である王国の王として世を継いでほしいと言われること。気ままな暮らしを望むシュレックは、窮屈な宮廷暮らしを嫌がっているのだが、それは姫の夫である以上は仕方がない。そこでも“責任”が問われるという仕掛けなのだ。
 さらにそこにおとぎ話の悪役たちが、「悪役として虐げられるのはもうまっぴらだ、表舞台に登場したい!」とフィオナ姫の国に襲撃をかけてくる。そこには、人は努力すれば最終的には自分のなりたいものになれるし、変われるというメッセージが込められている。
 このように三作目は過剰なギャグや人を小馬鹿にするような毒がかなり減り、真面目な作風。「それが嫌だ、前二作が好きだ」という人もいるだろうが、子どもが見るには良い作品に仕上がっている。
監督:クリス・ミラー、ラマン・フイ
声の出演:マイク・マイヤーズ、エディ・マーフィー、キャメロン・ディアス(日本語吹替え版:浜田雅功、藤原紀香、竹中直人、山寺宏一ほか)
SHREK THE THIRD TM & (c) 2007 DREAMWORKS ANIMATION LLC.

文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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