2007.04.03
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『バベル』 人間の愚かな行為に抵抗する武器=教育

今回は、世界各地を舞台に人間の愚かさが生んだ悲喜劇を描く『バベル』です。

“愚かさ”を共通項に世界各地がリンクする物語

昔、地球の大陸はひとつしかなかったという説があるのをご存知ですか? それが長い時間を経て大陸移動していったのだとか。そんなことから想像していくと、人間ももともとはひとつの民族から分かれていったと考えても不思議ではないでしょう。たまたま住んだ場所の気候や食べ物などにより、長い時間かけて変化し、今のように様々な人種ができたといっても何の不思議もないのです。
『バベル』を見ていると、その説が裏打ちされたような気分になります。物語はモロッコからアメリカ、メキシコ、日本と各国にまたがって展開していきますが、その国々で展開する話に出てくる登場人物たちには、共通項が見え隠れするからです。ではそれは一体何なのか。簡単に言ってしまえば、それは“愚かさ”です。

モロッコでのある家族の愚かさが生む悲劇

 すべてはモロッコから始まります。山羊使いの兄弟2人が父親から渡されたのは、ある一丁のライフル銃。これで山羊を狙うジャッカルを退治しろと言われるのです。まだ年端もいかぬ子どもたちが銃を持つ……。日本のように銃規制がきちんとされている国の人間からすればゾッとする話ですが、モロッコではそれは大したことではないのです。銃規制が比較的ゆるいアメリカでも(そのせいで学生が学校で乱射するなど、銃に関する問題がいろいろと発生。アメリカでは銃による死亡者が年間1万人を超える)、まさか家族が小学生の子どもに銃を与えるなんてことはしないでしょう。しかもこの兄と弟は早く一人前として認められたいという想いが強かったのでしょう。何かといえば2人で争っているのです(ま、幼い兄弟によくありがちな話ですが)。特に銃に関しては弟の方が上手だったため、兄は余計に悔しかったのかもしれきせん。ちょっとした言い争いが発展し、走ってきた観光バスを試し撃ちしてみるという発想に至ってしまうのです。

 私が子どもの頃、近所の悪ガキたちが水風船を車にぶつけて遊んでいて、大人たちに大目玉を食らったことがありました。水風船自体には殺傷能力がなくても、ドライバーが驚いてまかり間違えば運転を誤る危険性は大いにあるわけですから、それは当然です。でもこの山羊使いの少年たちの場合は、なんといってもライフルで撃つわけですから。水風船どころの騒ぎではありません。事実、狙いの上手な弟が撃った弾丸は、見事にバスを直撃。よりによって夫婦の壊れかけた絆を取り戻すために旅行にきていたスーザン(ケイト・ブランシェット)の体を血で染め上げます。

 常識的に考えて銃を撃てば何が起こるかわかるだろうと言いたいところですが、そこが後先を考えない人間の愚かさ。しっかり学校などに行き、ちゃんと勉強していれば、もう少し先を見通せる目を持てていたのかもしれませんが、どう見ても学校に行くよりは山羊飼いの仕事で精一杯という感じの2人には、そういう知恵が養われなかったのでしょう。事実、彼らの父親も息子たちが事件を起こした時に取った行動は“逃げる”ということだけ。ただでさえ世界は今、9.11の影響でテロ問題に敏感になっているというのに、逃げたりしたらもっと大変なことになることを、この父親は教育を受けなかったがため、理解できなかったのでしょう。そこからさらなる悲劇を生むことになるのです。

アメリカで、メキシコで、些細な出来心が生む悲劇

一方、モロッコの辺境を旅しているアメリカ人もアメリカ人です。テロリストはひとまずいなくなったと言われていたとはいえ、なぜリチャード(ブラッド・ピット)とスーザン夫妻は、危険な事件が起きても不思議ではないこの地を訪れたのか。しかも2人の可愛い子どもたちを置き去りにしてまで、なぜ旅をしているのか。欧米では個人主義が定着しているため、両親は両親、子どもは子どもと分けて考えがちですが、いざ事件が起きた時に結局一番会いたいと思うのはその子どもたち。ならばそんなに大切な子どもたちを置いていかなければいいものを。置いていくなら、「ひょっとしたら一生会えなくなるかも」くらいの覚悟をすべきなのです。「何を大げさな」と思われる方もいるかもしれませんが、本当に人間なんていつどこで亡くなってしまうかわからないのですから。
そしてリチャードとスーザンの愛する子どもたちは子どもたちで大変な目に遭遇します。彼らはメキシコ人の乳母に預けられているのですが、その乳母が自分の息子の結婚式にどうしても立ち会いたいがため、メキシコまで強引に彼らの子どもを連れていってしまいます。アメリカからメキシコに入るのは簡単なのですが、メキシコからの不法入国者が多いため、メキシコからアメリカに入るのはとても大変。にも関わらず、クルマで送ってくれた乳母の知りあいが酒に寄った勢いで国境の警備員をからかい、あげくの果てにアメリカに逃げてしまったため、子どもたちも含め全員が不法入国者と見なされて追跡されることになるのです。

 どれもこれもちょっとした先見の明を持っていれば回避できたこと。でも人間の世界にはそんな些細な出来心のような、闇に落ちる瞬間というのが確実に存在していて、そこに“愚か”にも落ちてしまうと、もうどうしようもないのです。

日本の女子高生の自暴自棄が生む悲劇

中でも日本のエピソードは、特に小中高生の胸に響くはず。聾唖の女子高生チエコ(菊地凛子)は自分を認めてくれない世間に対して苛立ち、自暴自棄に陥っていきます。年頃のこともあって、チエコは誰かに愛されたい気持ちでいっぱいですが、街のナンパな男たちも声をかけて彼女が聾唖だと知ると潮が引くように逃げ出していく。そんな状況に彼女は哀しみを覚えてしまう。「もともとナンパ男なんて大した男じゃないことが多いのだから気にすることないのに」なんて思うのは野暮な話。異性から愛された記憶がないと、ティーン時代は不安に陥りやすいもの。ましてや、チエコの母親は自殺し、彼女をひとり遺していったわけですから、余計に彼女は誰かと繋がっていたいという欲望に駆られてしまったのでしょう。本当は決して自分はひとりぼっちなんかではないのに、まだ自分のことや自分世界で手いっぱいのティーンの頃には、それは理解できないのだと思います。

 確かに孤独は嫌なもの。できれば誰かと愛し愛される関係を築きたいというのは、世の中の誰もが思うことです。しかし本当に人間というのはひとりぼっちなのかというと、そんなことはないのかもしれません。それはこの映画が逆説的に教えてくれます。これだけあちこちの国で、全く違う人種が同じように愚かなことをして苦悩にあえいでいるではありませんか。今回はたまたま一丁のライフル銃が世界各地を紡ぐ形になっていますが、広い世界のどこかでは必ず自分と同じような悩みを持ち、苦しんでいる人がいるのです。

 結局、人間は誰もが“一緒”なのです。愚かしいことをくり返し、その中で傷つきつつも懸命に生きていくのが人間です。劇中に登場するアメリカ人夫妻はかなりお金持ちに見受けられますが、お金持ちだろうと貧乏人だろうと関係なく、人間は“等しい”ことをこの映画は声高ではなく観ている私たちに悟らせてくれます。

世界中から愚かさをなくす方法は、やはり教育

 またこの映画は主な登場人物以外にも“愚かしい”人々が登場します。例えば撃たれたスーザンと同乗していたバスの他の観光客たち。彼らは「もしも発砲がテロリストの行為だったら大変だから」と、手当て中のスーザンたちを村に預け、自分たちは先に出発したいと言い始めるのです。他人のために自分の命を危険にさらしたくないというわけです。
 またアメリカ政府は政府で、政治的な問題からスーザンの救助に手間どります。一刻を争う時なのに、各国の様々な思いが彼女の命を風前の灯火にさらしていくことに……。保身のために馬鹿なことをしでかすのも、まさに人間ならでは、なのかもしれませんね。

 では、この映画で描かれるような“愚か”な行為に陥らないためにはどうすべきか? やはり自分の知識を深め、自分の頭できちんと考え抜き、先を読む力を持つことが一番。つまり“学ぶ”ことが最大の武器になるのです。例えば災害などに直面しても知識がなければ焦るばかりですが、知識があり自分で判断する力があれば落ち着いた行動が取れるもの。だからこそ日々、いろんなことを学んで吸収していくことが大切だと、本作は教えてくれます。

 そしてもう一点、悩んでいるのは決して自分ひとりだけではないということも伝えてくれます。最近はうたれ弱い人が多く、安易に死を選んだり、逆ギレしたりする人が多いと聞きますが、世間には自分と同じか、それ以上の葛藤を味わっている人もたくさんいるのだと、どっしりと構えていてほしいものです。そうすれば相手のことを思いやる心も自然と生まれてくるはず。相手を思いやることができれば、人間の最も愚かな行為である“戦争”だって消えてしまうはず。つまり自分の心の持ち方ひとつで、世間を変えることだってできる! そんなことを考えさせてくれる、とてつもなく面白い作品です。

Movie Data
製作・監督・原案:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、菊地凛子、役所広司、ガエル・ガルシア・ベルナルほか
(c)2006 by Babel Productions.Inc.All Rights Reserved
Story
モロッコで銃を手にした兄弟が、観光バスを遊び半分で銃撃。そのせいでアメリカ人夫婦が悲劇に見舞われる。そして夫婦が予定通りに戻れなくなったため、彼らの子ども2人を連れてメキシコ人の乳母は息子の結婚式へと出かけていく。さらに日本ではそのバスを襲撃した銃の元の持ち主である男性と聾唖の娘のもとへ警察が来て…。

構成・文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

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出演:チャ二ング・テイタム、ジェナ・ディーワン、マリオ、ドリュー・シドラ、へヴィーD、ダメイン・ラドクリフ、レイチェル・グリフィスほか
(C) 2006 SUMMIT ENTERTAINMENT N.V.ALL RIGHTS RESERVED.

構成・文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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