2006.12.05
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『プラダを着た悪魔』 若者の仕事への価値観とは?

今回は、人々の仕事への価値観の相違を浮き彫りにする『プラダを着た悪魔』です。

雑用に忙殺され不満足なヒロイン

『プラダを着た悪魔』。タイトルだけ聞き、しかもこのプラダを着た悪魔とは、上司のことを指していると聞けば、それこそお局さまがいじわるばかりする、なにやら相当に陰険な作品を想像してしまうかもしれません。 しかし本作は、若い人はもちろんですが、かなり年配の方にまで楽しめる痛快な作品であり、とても考えさせられる一本になっています。

 主人公は大学を出たての女性アンディ。彼女の夢はジャーナリストになること。その夢をかなえるためにニューヨークに出てきたアンディですが、ありつけた仕事はなんとマスコミ業界ではあるものの、ジャーナリズムとはほど遠い一流ファッション誌“RUNWAY”の編集長・ミランダのアシスタント。てっとり早くいえば、秘書兼雑用係。朝から晩まで24時間、携帯電話でミランダから用事を言われ、こき使われる。それも注文してあるスカーフを取ってこいとか、コーヒーを買ってこいとか、雑用係の仕事ばかり。原稿なんて全く書けない日々。こんな仕事ばかりなのに、世界中の何万人もの女性がミランダのアシスタントになりたがっているのです。それはミランダが単なるファッション誌の編集者ではなく、世界のファッションを動かす第一人者でもあるから。世界のデザイナーが、彼女の言葉に耳を傾け、批判を恐れる。ミランダはそんなセレブな女性なのです。

 とはいえ、アンディは最初、この仕事に全く満足できません。それは彼女自身がファッションに興味がないから。たかだかベルト1本で大騒ぎしたりする世界が彼女にはバカバカしくて仕方ないのです。そんなアンディにミランダも「あなたのファッションはセンスゼロ!」と言い放ち、徹底的にアンディを馬鹿にし、ついには「クビ」を言い渡す始末。

仕事に“腰かけ”はない

この映画を見た人の大半は、そんなアンディを「かわいそう!」と思い、応援する人が多いでしょう。ミランダをまさしく「悪魔のような女」と決めつけ、「無理して彼女の下で働くことなんかない」と思う人も多いでしょう。でもそこに多くの日本人の心に潜在する、“甘えの構造”の一端が見え隠れしているのではないでしょうか。

 どんな人でも“仕事”をするには中途半端なことはできません。どんなに大変でも仕事であるからには与えられたものをやり遂げること。それは最低限の義務です。その上で、より良いもの、相手から求められている以上のことを、自分で創造し工夫していく。それが本当の意味での“働く”ということです。

 そう考えれば、アンディがいかに甘いかがわかるでしょう。彼女は最初からアシスタントという仕事を“腰かけ”と思っており(本来目指すべきジャーナリズムの世界に行く上で、1年間ミランダの下で働いたといえば箔がつくと考えている)、ファッション自体に真面目に取り組んでいません。だから1枚の洋服でアレコレ悩む人達の姿が、ただの愚かな人間にしか思えないのです。しかし本来、ファッション誌の編集に携わっている者ならばその1枚の服でなぜ悩むのか、その動機を理解することは非常に大切な仕事であるはず。ある時、ファッション・ディレクターの男性から「君は努力していないね」とズバリ指摘され、衝撃を受けるアンディ。それを機に彼女は指示された仕事だけではなく、プラスアルファーの部分までも懸命に勉強していくようになります。

時には猪突猛進さも必要

最近の企業では、言われたことはやるけれど、それ以上のことを創意工夫できない、本当の意味で“働けない”若者が多いといわれます。注意すれば簡単に逆ギレしてしまい、簡単に辞めてしまう……。どんな仕事でも最低3年はやらないと芽が出ないといいますが、その3年さえも続けられないのは、他者への依存心が強い、甘えの心があるからではないでしょうか。ミスをしたらそれを認め、謝り、次からは同じミスを犯さないように新たな努力をする。そのような勇気ある行動をとらなければ、いつまでも“甘え”を引きずるだけでしょう。

 その点、アンディは自分の間違いを認め、興味がなかったファッションについても徹底的に勉強していきます。おかげで彼女のセンスは驚くほど磨かれていき、ミランダも目を見張るほどに。すっかり美しくなった彼女は、男性をも虜にし、危険な火遊び目当ての男までが近づいてくるようになっていきます。もちろん仕事のほうも完璧にこなし、ミランダの命令を先読みして動くようにも。ここまで気遣いができるようになった彼女は、ミランダに認められ、ついにパリ出張のスタッフに抜擢されます。こういったアンディの姿勢は猪突猛進ともいえますが、何かに打ち込むことが少ないといわれる今の若者には、見習うべき点だと私は思います。

仕事優先か?家庭優先か?

ただ皮肉なのは、仕事優先の生活であるため、どうしても恋人や友人達との時間を二の次、三の次にせねばならず、その結果としてアンディは大切な人々との距離を置くハメになってしまいます。

 で、面白いのはここから。大抵の映画では「仕事よりも家族や友人を大切にすべき」と結論づけることが多いのですが、本作は「果たしてそれでいいのか!?」という疑問を問いかけているのです。その一例としてあるのが編集長・ミランダの人生。やはり仕事中心でやってきた彼女は2人の愛娘と夫がいます。けれど、その夫婦状態は壊滅寸前。仕事第一主義者の彼女に、夫はもう愛想を尽かしかけているのです。でも、本作ではそんなミランダを他の映画のように否定はしません。例えば、娘たちの学校で発表会などがあれば、それを優先しようと努めます(実現できないことが多いのですが……)。ミランダは娘たちのためには常に懸命で、家庭を全く振り返っていないわけではないのです。そういう子ども思いの母の姿が彼女の会話の端々から見えてきます。でも、彼女にとって仕事は生き甲斐。専業主婦という選択肢は頭の中には微塵もないのでしょう。

 世の中にはいろんな人がいます。愛する人と一緒にいさえすれば幸せだという人も、家庭にいたら息が詰まるという人も。それぞれ幸せに対する価値観は千差万別です。ミランダは自分のアシスタントに、ただ憧れだけでファッション世界に飛び込んでくる人間ではなく、そのファッション世界にすべてを賭けてもよい、自分と同じくらいの仕事人間を求めているのです。

 懸命に仕事に打ち込み、大切な恋人や友人まで失いかけていたアンディは、そこで初めて自分とミランダとでは“生き方が違う”という現実を思い知るのです。確かに仕事はしたいけれど、「仕事が全て」という生き方はしたくない。ミランダのような仕事の仕方ではどんなに華やかでも、愛されたい人からも愛されない、そんな人生なんぞごめんだということに気づかされるのです。同時に、「人にはたくさんの価値観があるのだ」ということも。こうして彼女はミランダの下で仕事をやり遂げたという自信を備え、女性として、人間としてひと回り大きく成長していくのです。

それぞれの価値観の違いを理解する

会社の終身雇用の時代が終わり、それにともなって人生の考え方も大きく変えていかなければならないはずなのに、未だに世の中には「勉強していい学校に入れば、どうにかなる」と思っている人も多いものです。確かに勉強は大切なものですし、学ぶ努力を怠っては何も得られないのも事実。でもいろんな人生があるのだから、ただただ勉強するのではなく、ちゃんと意志を持って勉強しなければ何の意味もないということを、大人は教える必要があるのではないでしょうか。そうすれば「親に勉強しろって言われたから」とか、「周囲が塾に行っているから私も行かなければ」という、ただ知識を覚えただけの若者や、働くことの本当の意味を知らない若者を減らすことになるのではないでしょうか。

 自分が将来なりたいものは何なのか、自分にとって本当に大切なものは何なのかを、人は幼い頃から考えることが大切だと思います。そして、人にはそれぞれ価値観の違いがあることを知り、その価値観の違いを理解する=他人の立場に立つことで、相手に対する思いやりも生まれるはず。それこそ、いじめ問題の解決にも繋がっていくのではないでしょうか。『プラダを着た悪魔』は、観る者に想像以上に深いテーマを突きつけてくる作品なのです。

 ちなみに本作は、実際に『ヴォーグ』誌で女性編集長のアシスタントを務めたことがあるローレン・ワイズバーガーが書いた原作を映画化したもの。その時の経験をもとにしていると言われているだけに、人物描写にはとてもリアリティがあります。真実の話だからこそ説得力があり、いろいろ考えさせられもします。ご覧になって本当に損のない作品です。
Movie Data
監督:デヴィッド・フランケル
脚本:アライン・ブロッシュ・マッケンナ
原作:ローレン・ワイズバーガー
出演:アン・ハサウェイ、メリル・ストリープほか
©2006 TWENTIETH CENTURY FOX
Story
ジャーナリスト志望でNYに出てきたアンディは、超一流ファッション誌“RUNWAY”のカリスマ編集長・ミランダのアシスタントという仕事に就く。だがそれは今まで何人もの犠牲者を出してきた恐怖のポストだった。恋人の誕生日も祝えず、夜中には電話で叩き起こされ、アンディの私生活はメチャクチャになっていくのだった・・・。

構成・文:横森文

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©DISNEY ENTERPRISES,INC. All rights reserved

構成・文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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