2016.06.07
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『ペレ 伝説の誕生』、『シン・ゴジラ』 ≪夏休み映画スペシャル≫

今回は7月公開の2作品、『ペレ 伝説の誕生』と『シン・ゴジラ』を夏休み映画スペシャルとして詳しくご紹介します。

サッカーの神様ペレが、神様になるために必要だったものとは? 『ペレ 伝説の誕生』

裸足こそが自分達のプレースタイル

Jリーグのおかげで、今や国民的スポーツと呼んでも良いほど人気となったサッカー。時代はさかのぼりJリーグが始まるずっと以前、全世界を沸かせ、サッカーの神様とまで言われた選手がいる。それがブラジルの選手・ペレだ。

筆者がペレを認識したのは、シルベスター・スタローンが出演した『勝利への脱出』という映画で。これは第二次世界大戦下で、連合軍捕虜チームとドイツの精鋭チームがサッカー対決することになり、それに乗じて脱獄を企む物語だった。ペレはこれに連合軍捕虜チームの一人として出演。神業のリフティングなど、当時サッカーをほぼ見ていなかった筆者までもが釘づけになるような技を見せてくれた。

そんなペレだが、実はとんでもなく苦労に苦労を重ね、神様と呼ばれるようになった人物であることが本作には描かれている。

ちなみにペレは異名。本名はエドソン・アランチス・ドゥ・ナシメントという。ペレが生まれ育ったのは、いわゆるスラム街。学校が終われば親を手伝って働くのは当り前。さらに、家計のため靴磨きなどで稼がなければならない。そんな彼らの主な遊びは、洗濯物を丸めて作ったボールを使ってのサッカーだ。

バラックが立ち並ぶ中で行われるサッカーで、子ども達がよくやっているのは、いかにボールを地面につけないかで遊ぶ方法。裸足で元気に遊ぶ彼らは、いつの間にか巧みなコントロールを身につけていたのだ。その中でも抜きん出た才能を発揮していたのが、元サッカー選手の父親を持つペレだった。

街で行われるあるサッカー大会に出ることを、こっそり決めたペレと友人達は、その個人個人の能力の高さで快進撃を続けていく。だが優勝候補の敵チームに「裸足」であることを馬鹿にされたのがキッカケで事態はおかしな方向へと転がっていく。

元来、裸足こそが彼らのプレースタイルのはず。ところが馬鹿にされたことが悔しくて、彼らは何とかして靴を手に入れようとするのだ。そのために駅からピーナッツの荷を盗み、それを売って中古靴を揃える。

が、慣れない靴での試合、洗濯物ボールと違い、想像以上に飛ぶボール……いつもと違う感覚が、彼らの理想のプレーを奪っていく。

そのことに苛立ちを感じたペレは、裸足とからかわれてもいいと自ら靴を脱ぐ。仲間達もペレにならい、自分のスタイルに。その結果、伸び伸びとプレーができるようになった彼らは、見事に優勝を果たすのだ。そしてペレは試合を観に来ていたサントスFCのスカウトから声を掛けられることに。

だが荷物を盗んだ彼らは優勝の喜びもどこへやら、泥棒として追われることとなり、その結果、仲間の一人が事故死してしまう。

かくしてペレは、このことで自分を責め、もう二度とサッカーをしないこと、真面目に勉強することを、サッカーをすることに反対している母親に誓い、ひたすら父親の手伝いと勉強に明け暮れるようになっていく。

自分の才能を花開かせるのは、自分しかいない

さて、なぜ母親はペレがサッカーをすることにそもそも反対だったのか。それは夫の現実を見たからだ。サッカーの選手だった夫は、プレー中に膝を痛めてしまう。その後、夫はコーチに雇われることもなく、まるで使いものにならない道具を捨てるかのように、解雇されてしまう。 そして選手生活に終わりを告げ、現在は病院のトイレの清掃人として働き、わずかな賃金を得るのがやっとな状況。その現実を息子に味わわせたくないという思いが母親には強かったのだ。

しかし、ペレの父はそれでも息子にサッカーをさせたいと思っていた。そこで、ペレと一緒に病院で働きながら、自分流の稽古を伝授していく。それはマンゴーの実を使った練習法。正確な球体ではないマンゴーで、リフティングしたり、シュートの練習をさせたり、頭の上にあるマンゴーを蹴らせたり。こうした練習が実を結び、ペレはサッカー選手としての技術を上げていく。

そして遂に少年時代のペレに白羽の矢を立てていたスカウトマンを頼って、ペレはサントスFCへ。自分の道、サッカー選手を目指し始める。

しかしそう簡単に女神は微笑んではくれない。ペレのプレースタイルは、ブラジル人の魂ともいえる“ジンガ”がベース。ジンガとは、「ふらふら歩く、揺れる」という意味のポルトガル語。サッカーでは「しなやかでリズミカルな動き、ステップ」の意味で使われているが、それだけではない。実は、ジンガはブラジル人の歴史――奴隷として捕らえられ、ブラジルに連れてこられた者達が生み出した魂でもあるからだ。

奴隷達は自分達の身を危険から守るため、鎖で繋がれていても戦える舞踏のような格闘技「カポエイラ」を作ったり、魂の解放としてサンバなどを生み出したりした。ジンガはそれらの流れの中にあるもので、自然とサッカーのプレーにも活かされている。だからブラジル人は、元々一人で巧みなドリブルテクニックを駆使し、何人ものガードを抜いたり、オーバーヘッドキックをしたり、いわゆる個人技を活かしたプレーが得意なのだ。ところがペレがクラブに所属した頃は、ブラジル流のやり方ではなく、欧州のプレースタイルや、戦略に主眼を置くチームプレーをメインにしていたのだ。

と言うのも、前回ワールドカップで負けたブラジルは、「個人技主体の戦略は古すぎる」とあちこちから叩かれ、必死に欧州スタイルを学んでいる時期だったのである。それにより、ペレも子どもの頃から培ってきたジンガスタイルのプレーを封印されてしまう。そのせいでなかなか自分の力を思うように発揮できないでいたのだ。

そう、これは子ども時代の、ペレ自身の道を切り開くことになった試合と全く一緒。自分であること、自分らしいスタイルを曲げては、大事なものを見失ってしまうのだ。しかもペレは、プレー中にジンガスタイルをやるべきか迷ったせいで、父親同様、膝を痛めてしまうことに……。果たして、ペレの運命は!?

もちろん、現在ペレがサッカーの神様と言われている以上、この困難も乗り越え成功するに決まっているのだが、こんなにも神様が神様になるには、紆余曲折あったのかと驚かされる。

いや、あるいは、誰でも何かしらの才能はあり、それを本当に花開かせることができるのは、あくなき追求をし続けた者のみであるということか? 本作を観ていると、そんな思いが強く湧いてくるのである。

そう、結局は自分次第なのだ。

ペレは皆が寝静まった後でも、一人欧州スタイルを取り入れるために、懸命に練習を積んでいく。報われるかどうかはわからない。でも自分を信じ、懸命に集中して情熱を傾ける以外、何事も技術の向上は有り得ないのだ。スポーツだけではない。音楽でも、華道でも、オフィスワークにおいても、自分を向上させるのに近道はないのである。

実際のペレの映像を見ればわかるが、彼のプレーは本当に多彩だ。一人の選手とは思えないくらいなのだが、それも彼が自分のスタイルのみならず、他者のスタイルも取り入れようと、睡眠時間を削ってまで取り組んだ結果なのだろう。またブラジル人が苦手と言われた戦略メインのやり方も、ペレはマスターしていたらしい。だから司令塔としても活躍し、ペレが辞めた後はチームが勝てなくなったりもした。

神様が神様になるのに必要だったのは、実行力と強い意志。その大切さを本作から子ども達も感じ取ることができるだろう。本作は最高の教材にもなる映画と言える。

Movie Data

監督:ジェフ・ジンバリスト、マイケル・ジンバリスト/出演:ケビン・デ・バウラ、ディエゴ・ボネータ、コルム・ミーニイほか
(c)2015 Dico Filme LLC

Story
子どもの頃に才能を見出だされ、念願のサントスFCでプレーすることになったペレ。だが、欧州的なサッカー手法を取り入れたいと躍起になっていた当時のブラジルで、古いスタイルの選手であるペレにはなかなか陽の光が当たらない。遂にはチームの元を去るべきか、悩み始めてしまうのだが……。

文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

子どもに見せたいオススメ映画
今の日本にゴジラが現れたら? 本気のディザスター映画を観よ! 『シン・ゴジラ』

核の脅威の象徴・ゴジラが出現!

1954年に『ゴジラ』が公開されてから約60年が経つ。以来、子どもから大人まで着実にファン層を拡大し、現在までに国内では計26作品が製作された。最初は人間の完全なる敵だったゴジラだが、子ども人気が高まったこともあり、怪獣同士のバトルがどんどんメインになっていき、悪い怪獣を倒すヒーロー的な立場になることもあった。

また、その人気は日本だけにとどまらず、2014年にはハリウッド版『GODZILLA』が誕生。全世界で興収570億円以上を記録し、今や“キング・オブ・モンスター”としてゴジラの名は世界にしっかりと刻まれている。

そんな『ゴジラ』映画の誕生のキッカケは、アメリカの水爆実験に巻き込まれて被爆した第伍福竜丸事件がベースになったと言われている。いわば原爆や水爆の象徴として描かれているのが、ゴジラという生き物なのだ。54年版『ゴジラ』がすごいのは、まだ第二次世界大戦が終結してまもない時期だというのに、ゴジラの出現で再び東京は丸焼けになり、街には焼け出され、親や子、兄弟を失って呆然とする人々の描写をキチンと撮っている所。そこには、例え戦争が終わっても核の脅威は終わらないし、いつまた人間を壊滅させるような何かの行為があるかわからないという、恐ろしさが満ちあふれていた。

で、60年後の『シン・ゴジラ』である。

本作紹介に当たり、極秘事項が多すぎて、正直、何を語れるのかという感じなのだが、確実に言及できるのは、これはどんどん子ども向け化された『ゴジラ』映画ではなく、54年版『ゴジラ』のスピリットを受け継ぐすごい作品になっているということ。例えば、その形態は、まるで人間の手を焼けただれさせたような不気味で小さい手、そして原爆のキノコ雲を彷彿とさせるような形の頭部。こういったディテールも、“初ゴジ”と通称で呼ばれる54年版ゴジラにそっくり。もちろん最新作らしい新しい仕掛けもたくさん用意されているのだが、『シン・ゴジラ』におけるゴジラは完全に核の脅威の象徴として描かれている。

ストーリーを明かすのも厳禁なので、細かいことは言えないが、基本パターンである人間社会にゴジラが現れ、大変な騒動になるという展開はいつもの通りだ。

しかし今までの『ゴジラ』映画と違うのは、その見せ方だ。『シン・ゴジラ』には、いわゆる余計なドラマ、例えるなら主人公の恋愛事情とか、ゴジラにかつて襲撃されて家族や恋人を殺された主人公が復讐の念を心に秘めているとか、そういった余計なドラマが一切ない。

では何があるかと言えば、ゴジラが本当に出現したことによる事象のみなのだ。

実は筆者は今回、『シン・ゴジラ』の撮影現場に行くという幸運に恵まれた。ちょうど私が見たのは、対策本部らしき場所で、米国から来たエージェントを囲んで話し合いをするシーンだった。

この手の映画だと大抵、なんだか無駄にカッコいい大きなスクリーンが登場したり、全員が最新型パソコンを使っていたり、どうにもそういう部分が嘘臭く映ったりするのだが、今回の現場では室内の壁前にはズラリとホワイトボードが立ち並び、様々な資料が貼り付けられていたり、机には大量の付箋が付けられた資料が置かれていたり、パソコンは古いノートパソコンやら新しいものが各省庁によって色々違いがあったり、まあアナログ感満載。だがそれがリアル。しかもそこでの会話内容や言い回しは、防衛庁関連の方も驚くほど、現実味を帯びているという。

そう、今回は怪獣が現れたという大嘘現象以外は、すべてが真実といって良い動き。つまり、今までに日本を揺るがした現実の災害での対応の仕方が、透けて見えてくる作りになっているというわけだ。だから見ていると、なぜ初動が遅いのか、対応の遅れが生じるのか、国の欠点までもが見えてくる。同時にどれだけの人々が躍起になって、血を吐くような思いで対策に回っているかも見えてくるのだ。

そういう意味で、社会勉強にもとても役立つ一本なのである。是非、中学生~高校生に見てもらいたい本気のディザスター映画だ。

脚本・総監督:庵野秀明/監督・特技監督:樋口真嗣/出演:長谷川博己、竹野内豊、石原さとみほか
(c)2016 TOHO CO.,LTD.

文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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