過酷な課税を逃れるため、町民があるリスキーな賭けに出る
景気が良くなったとも悪くなったとも言われる日本。ま、どっちにしても庶民はお金の問題で苦労を抱えている人の方が多いのではないだろうか。
この映画を見るとまず感じるのは、今の時代の人々であれ、映画に出てくる江戸中期の人々であれ、お金に苦労させられながらも懸命に生きようとしている姿は変わらないということ。ただ昔の方が本気でどうしたら世界が良くなるか。そこに取り組んできた人が圧倒的に多いのだなと感じてしまう。
この映画を見るとまず感じるのは、今の時代の人々であれ、映画に出てくる江戸中期の人々であれ、お金に苦労させられながらも懸命に生きようとしている姿は変わらないということ。ただ昔の方が本気でどうしたら世界が良くなるか。そこに取り組んできた人が圧倒的に多いのだなと感じてしまう。
舞台となるのは仙台近くにある小さな宿場町の吉岡宿(現在の黒川郡大和町)。なぜかあまり旅人に通ってもらえない上に、藩が課す重い年貢や労役で皆困窮し、夜逃げが相次いでいる町だ。士農工商で言うと、ここの町の人間は全員「農」、当時の言葉では「百姓」となるのだが、宿場町として成り立つために、様々な仕事をしている。そんな百姓の一人、造り酒屋を営みながら、この宿場町の今後を憂いている穀田屋十三郎(阿部サダヲ)は、首をはねられるのを覚悟でお上に今の困窮の状況を訴えようとするが、この町一番の知恵者、茶師の菅原屋篤平治(瑛太)によって一命をとりとめる。そこで、篤平治は十三郎にあるアイディアを打ち明ける。それは「藩にまとまった金を貸し、その利子を最も過酷な課役である伝馬役に当てよう」というものだった。
伝馬役とはお上の物質を隣の宿場町から受け取り、次の宿場へと運ぶ役目。これが全て宿場に住む庶民の負担。お金がないのに馬を育てなければならないし、運ぶための人足も集めなければならない。それはもう大変な額となるのだ。もしもその負担が軽減されれば、もっと自分の仕事に精が出せるはずである。
無論、篤平治にしてみればちょっとしたアイディアのつもりだったに違いない。が、十三郎はこの閃きに光明を感じ、味噌屋の穀田屋十兵衛(きたろう)に声がけをする。そして町の肝煎(村民を代表する村役人)である遠藤幾右衛門(寺脇康文)、両替屋の遠藤寿内(西村雅彦)などにもその話は広がっていく。危険な賭けでもあるので、誰かが十三郎の熱意を止められないものか……篤平治は時にそんな思いを表情に浮かべたりもする。そこがまた人間らしくていい。言い出したのは彼だが、それがいかに大変なものかを彼こそがよくわかっているからだ。特に絶対に反対するだろうと思っていた肝煎が承諾した時の表情は、ありがたい話だけど困った感の混ざり具合が絶妙で本当に素晴らしかった。そういう人間像を丹念に描いているのも、この映画の魅力の一つなのである。
かくして発案者の篤平治が驚くほどあれよあれよという間に賛同者が次々と現れ、遂に地域の村や町を統括する大肝煎、千坂仲丸(千葉雄大)までもが賛同。一気に話は盛り上がっていく。ただし目標の集金額はなんと1000両。現代でいう所の3億円だ! もしお上に貸し付けて、利子を取ろうとしていることがバレたなら、打ち首は確実だ。そのような状況下で、一体どのようにして大金を集めるつもりなのか? こうして話に乗った9人の男達は、決死の節約を開始する。家財道具を売り払うだけでなく、家族も奉公に出るなどして、必死にお金を工面していく。
かくして発案者の篤平治が驚くほどあれよあれよという間に賛同者が次々と現れ、遂に地域の村や町を統括する大肝煎、千坂仲丸(千葉雄大)までもが賛同。一気に話は盛り上がっていく。ただし目標の集金額はなんと1000両。現代でいう所の3億円だ! もしお上に貸し付けて、利子を取ろうとしていることがバレたなら、打ち首は確実だ。そのような状況下で、一体どのようにして大金を集めるつもりなのか? こうして話に乗った9人の男達は、決死の節約を開始する。家財道具を売り払うだけでなく、家族も奉公に出るなどして、必死にお金を工面していく。
もちろん見所は、こんな奇想天外な方法で宿場を救えるのか? 本当に1000両もの大金が集まるのか……という点であり、そこにハラハラドキドキさせられるが、それだけではこんなに面白くはならない。一番のポイントはやはり、この作戦に乗り出す町の実力者達一人ひとりの魅力だ。カッときてすぐに喧嘩腰になる者や、常に冷静に判断して話す者、まとめ役がうまい者など、実に個性的な面々がこの計画のために尽力し、場面ごとに素晴らしい人間ドラマを展開していく。
奇跡の実話と深い人間ドラマに涙が止まらない
中でも目を見張るのは、十三郎とその家族の物語だ。十三郎はそもそも金貸しと造り酒屋をしている先代の浅野屋甚内(山崎努)の息子だ。ケチで厳しい取り立てをすると評判だった先代の後と名前を継いだ、十三郎の弟、現在の浅野屋甚内(妻夫木聡)も、“ケチでしみったれな”金貸しという評判。そう、兄の十三郎ではなく、弟が本家を継いだのだ。十三郎は「なぜ兄の自分が本家を継がず、養子に出されたのか?」という疑問を心の闇としてずっと抱えている。弟が優秀だからか。それとも弟が父と似たケチ気質だったからか。いずれにせよ、その事が明るく見える十三郎に暗い影を落としていた。実際、十三郎は近所であるにも関わらず、実家にあまり顔を出さず、弟・甚内のことも避けがち。利子で宿場町を救う作戦に甚内が荷担すると聞くや否や、お金は出すから私の名前は削ってほしいとまで言い出す始末。そんな十三郎を取り巻く、こじれまくった家族の物語がクライマックスに向けて徐々に明かされていくのだが、この内容が実に素晴らしく、涙を止めることができなかった。ネタバレになるので語れないが、人というものは実に深く、表面的な優しさや冷たさからは推し量れないものだということを、誰もが感じるだろう。
しかも驚くのはこれが本当にあった話だということ。原作の歴史学者・磯田道史は、古文書『国恩記』を読んで感動し、この奇跡の物語は何としても後世に伝えたいと思い、原作『穀田屋十三郎』を書き上げたという。
ちなみに『国恩記』は龍泉院の和尚、栄州端芝が記録として書き残したものだ。こんな良い話がなぜ普及しなかったのかと思ったらなんでも、偉業にトライした彼らは『つつしみの掟』というのを立てていたらしい。つまり自分がやったことは誰にも話さず、目立たぬように暮らせということだ。あれだけ『忠臣蔵』などに酔いしれる日本人が、よくここまでこの物語を放っておいたものだと思う。
ちなみに『国恩記』は龍泉院の和尚、栄州端芝が記録として書き残したものだ。こんな良い話がなぜ普及しなかったのかと思ったらなんでも、偉業にトライした彼らは『つつしみの掟』というのを立てていたらしい。つまり自分がやったことは誰にも話さず、目立たぬように暮らせということだ。あれだけ『忠臣蔵』などに酔いしれる日本人が、よくここまでこの物語を放っておいたものだと思う。
そしてその原作に感動した中村義洋監督から、映画化したいという話が持ち込まれたそう。
だからこの話は人情物語ではあるけれど、それだけではない深みがある。お金が中心となってしまった近代以降の世の中での金の価値観や政治問題や共同体の在り方など、様々な問題をこちら側にしっかりと突きつけてくる。明らかなエンターテイメント作品だが、生半可ではない主張を感じる作品なのだ。
だからこの話は人情物語ではあるけれど、それだけではない深みがある。お金が中心となってしまった近代以降の世の中での金の価値観や政治問題や共同体の在り方など、様々な問題をこちら側にしっかりと突きつけてくる。明らかなエンターテイメント作品だが、生半可ではない主張を感じる作品なのだ。
江戸時代の小さな町の人々がこれだけ知恵を絞り、町を良くするために、自分のことはさておき問題に取り組んできたというのに、今の日本では、世のため人のために尽くそうという者がどれだけいるだろうか。本当に少しでも世の中を良くしたいと思っているのか。最近あまりに酷いニュースが多いこともあり、本作を見ると、ついそう問い正したくなってしまう。
この映画はコミカルな部分が多々あり笑わされるが、決して無駄なギャグに走ることはない。登場人物達が懸命に頑張っているからこそ、その人達の可笑しみと情熱が胸に迫ってくる。傑作と呼ぶに相応しい一本だ。もちろん、歴史の勉強にもしっかりなる。是非是非生徒の皆さんと共に見ながら、アレコレと語り合っていただきたい!
この映画はコミカルな部分が多々あり笑わされるが、決して無駄なギャグに走ることはない。登場人物達が懸命に頑張っているからこそ、その人達の可笑しみと情熱が胸に迫ってくる。傑作と呼ぶに相応しい一本だ。もちろん、歴史の勉強にもしっかりなる。是非是非生徒の皆さんと共に見ながら、アレコレと語り合っていただきたい!
- Movie Data
- 監督・脚本:中村義洋/原作:磯田道史/出演:阿部サダヲ、瑛太、妻夫木聡、竹内結子、寺脇康文、きたろう、千葉雄大、橋本一郎、中本賢、西村雅彦、松田龍平、草笛光子、山崎努ほか
(c)2016「殿、利息でござる!」製作委員会
- Story
- 今から250年前の江戸時代。重い年貢に夜逃げが相次ぐ宿場町・吉岡宿で、あるアイディアが生まれる。それは財政難の藩に1000両を貸し、その利子を年貢に充てようというもの。強欲奉行の嫌がらせを乗り越えながら、現代だと3億円に相当する大金を、貧乏庶民は集めることが本当にできるのだろうか?
文:横森文
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子どもに見せたいオススメ映画
『レヴェナント 蘇えりし者』
過酷なサバイバルから浮き出てくる人間の「生きよう」という本質
この作品のストーリーはいたってシンプルだ。1820年代のアメリカの開拓時代。ハンターであるヒュー・グラスは熊に襲われて瀕死に。ちょうどネイティブ・アメリカンの襲撃などもあり、仲間のジョン・フィッツランドらハンター達は、足手まといになると、ヒューを置き去りにすることに。そして反対したヒューの愛息子を殺してしまう。怒りに燃えたヒューは、凍てつく大地の上を這いずり回りながら執念で生き延び、息子の仇を追っていく……。
とにかくレオナルド・ディカプリオ演じるヒューの姿がすさまじい。熊に襲われて瞳孔が開きっぱなしの瀕死状態の表情もリアルすぎて恐ろしいが、地中に半分埋められたり、氷の張った川の中に入ったり、生きた川魚に喰らいついたり。挙げ句の果てに、寒さをしのぐため死んだ馬の腹を裂いてそこに裸で入ったりも! 演じているレオ自身も精神的におかしくなるのでは? と心配したくなるほど過酷過ぎるサバイバルが続いていく。で、そんなサバイバルから浮き出てくるのが人間の本質。息子への愛と仇への強い憎しみだけが詰まった皮袋と化し、ただひたすら動物として生きて生きて生き抜こうとするヒュー。そのすさまじい想いから、人間にはどれだけ「愛」が必要なのかを感じさせ、ベースはただの動物だが、そこに「愛」や「情」が加わるからこそ人間になるのだということがよくわかる。いやもう、話がシンプル過ぎる分、胸にズシンとテーマが突き刺さってくるのだ。レオが本作でオスカーを取ったのも当然だろう。描写のせいでR15扱いになっているが、高校生ならば、本作の深遠なテーマから、生きようという前向きな強さを受け止めるに違いない。
監督・脚本:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ/原作:マイケル・パンク/出演:レオナルド・ディカプリオ、トム・ハーディ、ドーナル・グリーソン、ウィル・ポールター、フォレスト・グッドラックほか
(c)2015 Twentieth Century Fox Film Corporation.All Right Reserved.
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文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。
横森 文(よこもり あや)
映画ライター&役者
中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。
2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。