2013.04.02
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『ヒッチコック』 鬼才監督とその妻との愛の行方、そして映画製作の裏側を描く

今回は、映画製作の裏側を舞台に、サスペンス映画の巨匠とその妻との愛の行方を描く『ヒッチコック』です。

映画製作の裏側で起きているのは・・・

以前、メイキングビデオを回すという立場ではあったが、ある映画の裏側をどっぷりと見せてもらったことがある。

そこでわかったのは、映画ライターとしての取材という立場では決して知り得ない、それこそ1本の映画を作るまでの一大バトルと言ってもよい、非情なまでのやりとりであった。例えスターであろうと「××さんは芝居下手だからこの作品には向かないでしょう」とバッサリとキャスティングから切り捨てるプロデューサーの容赦ないひと声を聞いたこともあった。予算がないため、現場で洒落っ気たっぷりに募金のような形でカンパ箱を設置している美術さんたちの姿も見た。朝一番に来てロケ場所をセッティングし、ロケ後は一番最後まで現場に残り徹底的に片付けるため、寝られずに倒れる制作部の人の姿も見た。大袈裟ではなく、本当に過労死してもおかしくないほど、スタッフが根を詰めて頑張っている、まさに命を削るような撮影の現場を見ることができた。

もちろん映画の現場が大変なことはわかっていた。でもライターとして現場にかかわるのと、自分で飛び込んで裏方に回るのとでは大違い。撮影現場はかなり刺激的な場所であることを改めて知った。そして、映画にはその現場の様子や、監督の心情などが大きく影響を及ぼすことを、それらを目の当たりにして強く感じたのだった。
で、この『ヒッチコック』という映画である。『裏窓』や『めまい』『北北西に進路を取れ』など、サスペンス映画の巨匠と言われ、後々の映像作家に大きな影響を与えたアルフレッド・ヒッチコック。その彼の最大のヒット作でもある『サイコ』を製作している時の、映画監督・ヒッチコックに迫っていく物語だ。
驚いたのは『サイコ』を撮影する時点で、すでに大メジャー監督になっていたヒッチコックなのに、『サイコ』に関しては映画会社が快く製作にウンとうなずいていたわけではないという事実。むしろ『サイコ』に関しては否定的で、それでもなんとか映画化を望んでいたヒッチコックは、ギャラはいらないから、興収の何割かが欲しいと交渉。つまり製作費は自分で持つから配給だけしてほしいと、映画会社に働きかけたのだ。かくしてようやく公開のメドをつけたものの、自宅を抵当に入れてまで映画製作に乗りだすこととなる。

夫・ヒッチコックを縁の下で支える妻・アルマの存在

さらに驚いたのは、ヒッチコック映画には妻のアルマの存在がとてつもなく大きかったこと。アルマは基本的に撮影現場に姿を見せることはあまりなかったのだが、脚本執筆の際に、編集の際にと、ヒッチコックにとって一番信頼できる相談役として、常に寄り添い映画作りをしていたのだ。ところが、この『サイコ』の時にはよりによってその夫婦関係に危機が訪れる。

ヒッチコック映画のヒロインは大抵がブロンド美女だ。しかし実際のアルマはブロンドではなく、決して美人というわけでもなかった。才能あふれるヒッチコックの周りには常にそういった美しいブロンドの女優たちが取り巻いており、時に監督はそんな美女たちに本気で惚れ込んで撮影をしていた。

私も舞台の演出などをするのでわかるが、実際に演出をしている時はヒロインなりヒーローなりには並々ならぬ想いを寄せてしまうものである。だからと言ってそれがそのまま不貞につながるわけではないのだが、人間だから感情的に惚れ込んでしまう部分は、クリエイターなら誰だって多かれ少なかれあると思う。アルマもそういった監督の浮ついた気持ちをずっと知りつつも耐え忍んできた女性であった。それでも自分はあくまでも鬼才ヒッチコックの縁の下の力持ち的立場なのだと、十分に自覚していたはずだった。

しかし、人間はわかっていても、自分の現状にイラつく時がある。アルマも例外ではなく、自分の立場というものにちょっと嫌気が差してしまうのだ。もっともっと自分の力で翔んでみたいと強く願うようになってしまうのだ。才能のある夫を支えることの大切さは頭の中では理解していたとしても、時には「彼を支えているのはこの私なのよ」と世間に認めてほしくなって叫びだしたくなる感覚は想像に難くない。人間には他者に自分の存在を認めてほしい願望がどこかしらにあるものだ。だからこそ本気で誉められれば嬉しくなるし、つい自慢したくもなる。こうしてアルマも、自分でいろいろとやってみたいという欲望が頭をもたげることになるのだ。
アルマの場合は、それがある男性との共同脚本という形で動き出す。もしかしたらその男性は単純にヒッチコックに自分を売り込みたくてアルマに近づいたのかもしれない。でもアルマにとって、そんな真実はどうでもよかった。自分で羽ばたくチャンスを掴むことが最も大事だったからだ。だがその執筆活動に入るタイミングがまずかった。家を抵当に入れて製作するということは、もし『サイコ』が失敗したら、ヒッチコック夫妻は本気で路頭に迷うことになるのだ。ただでさえ追い込まれているヒッチコック。なのに、そこに妻が全力でサポートしてくれない。彼は次第に不満を感じるようになっていく。
加えてこの映画を観る限り、ヒッチコックは独占欲が強いという短所があったらしい。アルマの行動を浮気ではないかと勘ぐり出すようになる。そういった夫婦の行動のスレ違いが、いつしかヒッチコック自身をさらに追い詰める要因となっていく。

ヒッチコックとアルマ、二人の心に生じるさいぎ心、不安、恐れ……大人の夫婦ならではの丁々発止の心理描写がスリリングに描かれていく。そして、この後さらにある出来事が二人の身に降りかかり……。果たして、二人の関係はどうなっていくのか? 夫婦の愛はどこへ行くのか? 劇場でのお楽しみにしていただきたい。

「のぞき見」感覚で人間の暗部を描き出す作品

ここで『サイコ』について少し語っておこう。『サイコ』は実際の殺人犯、エド・ゲインをモデルにしている。アメリカの殺人史にも残るような人物であるエドは、例えば『羊たちの沈黙』の女性の皮を剥いでドレスを繕おうとする猟奇的殺人犯のバッファロー・ビルや、『悪魔のいけにえ』の登場人物像にも影響を与えたと言われている。そして、『サイコ』に出てくるベイツ・モーテルの主人公ノーマン・ベイツ像にも大きな影響を与えていた。

『サイコ』の犯人の深層心理に迫る演出をしたいヒッチコックは、懸命にエド・ゲイン自身のことを調べ始める。その結果、彼の心の中にエド・ゲインの影のようなものが住み着くようになっていく。それが家を抵当に入れてまで映画作りに着手したことへのプレッシャー、妻アルマへの疑惑、金儲けしか考えずに力を貸してくれない映画会社への怒りや、やたらと表現にうるさかった当時の映倫への苛立ちなどと相まって、ヒッチコック自身の精神状態を蝕んでいくことにつながっていく。

ところが、かえって彼の演出は冴えわたり結果、『サイコ』を大ヒットさせていくことになるのだ。まさしく監督の心情が映画の出来を左右する様を見せつけられた。この辺の繊細な心情の描き方が、この映画はとても見事なので、ぜひ劇場で注目してもらいたい。

この映画はヒッチコックという監督の実像に迫りながら、映画製作の裏側を描いた作品であり、実はヒッチコックとアルマとの大人の関係を描いた素晴らしいラブストーリーにもなっているというわけ。そしてどんなものにも裏側があり、その裏側では様々なドラマが巻き起こっていることをこの映画は教えてくれる。
ヒッチコックは他人の家をのぞき見していて殺人を発見してしまう『裏窓』に代表されるように、「のぞき見」感覚で人間の暗部を切り取る作品をずっと作り続けてきたが、この映画自体がそんなヒッチコック手法を取り入れ、ヒッチコックとその周囲の暗部をあぶりだす作りになっているのである。そういう意味でもとても面白い作品だ。
Movie Data
監督:サーシャ・ガヴァシ/原作:スティーブン・レベロ/出演:アンソニー・ホプキンス、ヘレン・ミレン、スカーレット・ヨハンソン、ジェシカ・ビールほか
(C)2012 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.
Story
観客に高評価な作品を提供してきたアルフレッド・ヒッチコック監督は、1959年に『サイコ』の製作に着手。だが独創的すぎて『北北西に進路を取れ』のようなサスペンス・アクションを望む映画会社には歓迎されない。そこで自力で製作することにしたが、資金繰りに難航。さらに最大の理解者である妻ヘレンとの関係にもほころびが生じて…。

文:横森文

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子どもに見せたいオススメ映画
『シュガー・ラッシュ』

「自分の人生はここ以外にあるのではないか?」と思う悪役が主人公

公開中のディズニーの新作アニメ『シュガー・ラッシュ』は、ぜひ小学生以上の子どもたち、さらには大人にも観てもらいたい1本だ。舞台はあるゲームセンター。ここに昔からずっと置かれているのがアクション・ゲーム「フィックス・イット・フェリックス」。壊し屋ラルフが破壊したビルを、魔法のハンマーを持つフェリックスJr.が直していくというゲームだ。営業期間中はプログラムに沿って子どもたちを楽しませるゲームキャラたちだが、本当は自分の意思を持っている。そして閉店後はコンセントを辿り、他のゲームキャラと交流を深めたりもしているのだ。
ラルフは悪役としてプログラムされているが、実際は悪党ではない。いつもたたき壊すビルの住人や敵であるフェリックスとも仲良くしたいと願っている。ところが「壊し屋」であるがゆえに、すぐにモノを壊す彼は疎んじられてゲームが終わっても一人きり。他のゲームの悪役たちが集うグループセラピーに顔を出しても、「悪役は悪役なのだから現状を受け入れるしかない」と皆に慰められるだけだった。そこでラルフは自分でフェリックスやビルの住人たちに認めてもらうよう働きかけるしかないと、他のゲームで活躍することを決意。別のゲームの金メダルを奪おうとレースゲーム『シュガー・ラッシュ』の世界に入り込む。そこでプログラムの不具合から、レーサーになれずにいる少女ヴァネロペとレースで1位になる夢を描き、友情を築いていくというストーリーだ。
一言で言うならゲーム版『トイ・ストーリー』ともいうべき作品。リッチ・ムーア監督によれば、この映画の企画にゴーサインが出たのは、同じことを30年間続けてきて、自分の人生はここ以外にもあるのではないかと思い始める悪役キャラクター像が製作サイドにウケたからだという。だから
「始めに決まったのはゲームの悪役たちのグループセラピーのシーン。あのシーンを成立させるために、現存するゲームに登場する悪役キャラを集める必要性があったんだ」 と監督自身が解説してくれた。
この映画は「自分で努力すれば、夢が叶う」というメッセージがギュウギュウに詰まった作品。とかく夢を見たがらない子どもたちにはよい刺激になるし、とりわけ諦めがちな大人が心突き動かされる作品だ。
面白いのは、ムーア監督自身、劇場長編作を撮るのはこれが初めてで、実際に自分の夢を叶えているという点。
「僕は子どもの頃に、ディズニーのアニメ『ジャングル・ブック』を見て、アニメーションに強く惹かれるようになったんだ。それからカートゥーン(マンガ映画)も大好きでね。ワーナーの“ルーニー・チューンズ”シリーズとかテレビでよく見ていた。だからカルアーツ(カリフォルニア芸術大学)に入ってアニメの勉強をした時、“ルーニー・チューンズ”の伝説的アニメーター、チャック・ジョーンズが特別講師として教壇に立った時は大興奮したよ。だから『シュガー・ラッシュ』には、そういったカートゥーンの要素や、ディズニー・アニメからの影響などが出ていると思う」。
映画の登場人物のみならず、ムーア監督の夢も叶えた本作は、観る者に一歩踏み出す勇気を与えてくれる、とても素晴らしい作品だ。

監督:リッチ・ムーア/声の出演:ジョン・C・ライリー、サラ・シルバーマン、ジャック・マクブレイヤーほか(日本語吹き替え)山寺宏一、諸星すみれ、花輪英司ほか
(C)2013 Disney. All Rights Reserved.

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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