真面目で優秀な社員がある日突然、解雇に!
『幸せの教室』は“社会的にダメ”烙印を押された男と、教師という仕事に全く情熱を失った女性が大学のクラスで出会い、それぞれに影響を及ぼしていくという物語。となると何やらすごく感動的な、例えて言うならロビン・ウィリアムズ主演の名作『いまを生きる』のような、先生と生徒の熱い絆をメインにしたイメージを勝手に思い浮かべがちだ。タイトルからしても何やらそういうニュアンスが漂っているし。
しかし、この映画は決してその方向の作品ではない。原題が『LARRY CROWNE』と、監督も務めたトム・ハンクス(ちなみに彼が監督をするのは96年の『すべてをあなたに』以来2度目)演じる主人公の名前になっている通り、あくまで描かれるのはラリー自身の心の機微と彼を取り巻く環境や人々。さらに最終的にはジュリア・ロバーツ演じる女性教師とのラブストーリーにまでなっていく“変わり身のある”ストーリーなのだ。ということを踏まえて観ていただきたい。この映画、勝手な思い込みなしで見てみると、かなりユニークで、時に辛辣で、胸に刺さる一面もある作品に仕上がっている。
そもそも主人公のラリーは真面目にコツコツと生きてきたタイプの人間だ。高校卒業後はすぐに従軍。といっても紛争地帯でバンバン撃ち合うようないわゆる前線ではなく調理場担当。海軍付きのコックとして世界各国を船に乗って巡りながら、兵士たちの胃を20年近く満たしてきた男なのだ。その後、軍を辞め、大型スーパー「Uマート」に就職した。
映画のオープニングで出勤してきたラリーが、駐車場に落ちていたゴミを拾ってゴミ箱に捨てるシーンがあるが、その1シーンからもわかるように、彼は仕事にとても一途な人間なのだ。実際、優秀な販売員に贈られるという「今月の人」にはもう8回も選ばれている。スーパーのために身を粉にして働くタイプなのである。しかし現実は残酷。そんな彼にリストラが言い渡されるのだ。こんなに懸命に働いてきたのに一体何故!?
アメリカの教育システムは多くの人々に幸せをもたらす
とにもかくにもラリーは中年真っ盛りで、不況の風が吹きすさぶ中で仕事を失ってしまうこととなる。当然落ち込むラリー。さらに、離婚して家をもらった分、その家のローンを払い続けねばならない。うかうかしていたら破産してしまう。ガソリン代をケチるため、クルマではなくスクーターを使ったり、いらないものはどんどん処分したりと、様々な節約術を行うが働かないことにはどうにもならない。しかし、そう簡単に再就職先は見つからない。そこでラリーは隣人から「知識は武器になるから教育を身につけろ」と勧められたこともあり、イーストバレー短期大学に通うことを決める。
ここで目を引いたのはアメリカにおける大学のシステムだ。州によっていろいろ違いはあるようだが、例えばカリフォルニア州の場合はUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)やUCバークレー(カリフォルニア大学バークレー校)といった、成績トップ10%が進む大学がある。その次に成績トップ30%が進むCAL STATEと呼ばれる州立大学があり、それ以外の学生が行くコミュニティ・カレッジというものがある。ラリーが入学したイーストバレー短期大学はこのコミュニティ・カレッジ(以下CC)なのだ。
CCは基本的に2年生の短期大学で、18歳以上、かつ高校を卒業していれば誰でも入学ができる。入学試験はなく、入学後に試験があり、学生の能力に応じてカウンセラーが取るべきクラスをアドバイスすることになるのだそうだ。料金は例えばロサンゼルス・バレー・カレッジという実在校では、1単位の授業料は州民ならば36ドル、州外の住民なら1単位190ドル、外国の学生ならば1単位が207ドルだという。つまり州民であればかなり手頃な値段で勉強することができるというわけ。そして卒業するには大体60単位を取ればいいのだとか。だから4年制の大学に編入するためにCCに通う人もいるし、ラリーのようにキャリアアップのために年を経てからCCに入るという人も結構多いのだそうだ。
そういえば以前、筆者がフロリダに旅行に行った時にタクシー運転手のダンという人と仲良くなったのだが、彼は数学の勉強をとても熱心にしていた。聞けば大学に入って勉強し直していて、「来年にはタクシー運転手は辞めるつもりだ」と語っていたが、今思えばダンが通っていたのもCCだったのだろう。いくつになっても勉強し直すことができ、人生の選択がさらに広がるというアメリカの開かれた教育の現状は実際、多くの人々に様々な幸せをもたらしているらしい。
教育を身につけ、人生の選択肢を増やす
こうしてラリーは「人の心をつかむスピーチ」を教えてくれるメルセデス・テイノー先生(ジュリア・ロバーツ)のクラスと、マツタニ教授の経済学のクラスに通うこととなり、海軍仲間が経営するレストランでコックのバイトをしつつ、授業に熱心に顔を出すようになる。すべてが新鮮で、充実した日々を送るようになっていくラリー。“学ぶ”ことで彼の人生はどんどん活性化していくのだ。ちゃんと予習することで難しい経済学も面白いように理解できるようになり、その結果、ローンで苦しむよりも家を銀行に譲渡して新天地へ引っ越すことが良いという判断も自ら下せるようになる。
単純に勉学だけではない。彼自身の見かけも生活も変わっていく。映画に登場し始めの頃のラリーは、ズボンにシャツをインして歩く野暮ったいタダのオヤジだ。しかし経済学の授業で隣り合わせたタリアというファッションにうるさい女子大生と出会ってからは、タリアの見立てでどんどんファッションセンスが向上していく。また気ままなひとり暮らしで、家の中がとんでもない事になっていたラリーだが、彼女の風水に従った家具の配置で、家の中はとんでもなく綺麗に片づいていく。タリアの勧めでスクーター仲間もたくさんできたことで、CC生活もより楽しいものへと変化していく。まさに何もかもが心機一転。そういったことひとつひとつがラリー自身の魅力をアップし、ついにはテイノー先生の心までゲットしてしまうこととなるのだ。なんと素晴らしいことか!
そして、そんなラリーとは対照的に、ぐうたらな自称・小説家の夫を抱え、結婚生活への不満から酒に逃げるようになり、いつしか教えることへの情熱を失ってしまったテイノー先生だが、彼女も変わっていくことになる。ラリーの姿、ガンバリぶりに刺激され、夫との離婚という人生最大の選択をし、自分らしさを取り戻していくことになるというわけ。
よく学ぶことに遅すぎることはないと言われるけれど、この映画を見ていると、学びたいという気持ちを抑えつけず、変化を恐れず受け入れていくことで、いくらでも自分自身を変えることができるのだということを痛感できる。逆に言えば、変化可能な人生を変化させず、ただただ引っ込み思案に流される人生を送るなんてもったいないという気にすらなる。
ちなみに、トム・ハンクス自身、実は高校卒業後にCCへ進学したのだそうだ。「70年代半ばの高度成長期で、人々には上昇志向があった。クラスには初老の人や50代の人、ベトナム帰りの人もいた。クラスのほぼ全員と友達になり、彼らの中でとても豊かな経験をした。それをもとにラリー・クラウンという人物を作り出したんだ」とトム自身語っている。実際にそういう経験があったからこそ、臨場感ある教室風景が描かれたのだろう。スピーチのクラスのシーンでは出演者たちに自分でトピックを選ばせ、アドリブで話をするという課題を与えることで、さらにリアリティーを持たせるという演出が施されている。つまりトム自身も、CCで学ぶことで自分をいくらでも変えられるし、人生の選択肢を増やすことが可能なのだとわかったのだろう。だからこそオスカーを2度獲得した名優でありながら、そこに甘んじず、監督業に進出するなど、常に前向きに新しいことにチャレンジしているのかもしれない。
もちろんこの映画の登場人物はトムのように名声も地位も手に入れた人ではない。ラリーをはじめ、本当に一般的な人々ばかり。職場組織ではみんな取り替えがきいてしまう歯車でしかなく、どんなに必死で働いても自分が認められているのか、何かの役に立っているのかわからないという生々しい不安感が映画全体に漂っている。しかし「きっと、そんな人生を送っている人は少なくないんだ、例えクビになって一時落ち込んでも、次には前向きに生きていかねばならないもの。それが人生なんだ」と気づかせてくれる。本作はそんな風に人生がマイナスになってしまった人、ポジティブに生きられなくなった人の背中をもう一度押してくれるような心優しいストーリー。不安なのは決してあなたひとりではなく、誰もが感じていることなのだということを、本作を通して是非感じていただきたい。
- Movie Data
- 監督・脚本・製作・出演:トム・ハンクス
出演:ジュリア・ロバーツ、ブライアン・クランストン、セドリック・ジ・エンターテイナー、タラジ・P・ヘンソンほか
(C)2011 Vendome International, LLC. All Rights Reserved.
- Story
- 大卒ではないという理由でリストラされたラリー・クラウンは、再就職のためのスキルを身につけようと短期大学に入学する。初めてのキャンパスで年齢も境遇も違う様々な人々と出会って世界を広げ、今までにない充実した日々を送るラリー。そんなラリーとの出会いで人生を放棄気味だった教師メルセデスも、自分の人生と再び向き合い始める。
文:横森文
※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。
子どもに見せたいオススメ映画
声の出演:美山加恋、優香、西田敏行、山寺宏一、チョー、小川剛生ほか
(C)2012『ももへの手紙』製作委員会
文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)
映画ライター&役者
中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。
2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。
この記事に関連するおススメ記事

「教育エッセイ」の最新記事
