2011.05.31
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『あぜ道のダンディ』 一番身近で一番わからない存在、親子

今回は、一番身近な存在なのに、一番わからない存在でもある「親子」をテーマにした『あぜ道のダンディ』です。

親子の断絶? 父親の威厳は空回り

筆者の両親も段々年を取り、今までは見せなかった面を見せるようになってきた。思った以上に素直に非を認めたり、思った以上に頑固なところは頑固で、融通が利かなかったり。「なぜ、ここで泣く!?」と思うようなところで涙を見せたり、仰天するような昔話を突然教えてくれたり。とにかくここのところ、そういう両親の意外な一面を見ることが立て続けに起きていた。

その度に感じるのは、自分は今まで家族の何を見ていたのか……ということ。実は家族って互いにわかりあっているようで、本当は一番わかりあっていないのではないか。そんな気がしたのである。

夫婦という家族の核を作る時は、他人同士が一緒になる分、懸命に相手を理解しようとする。なにしろ生まれ育ちが違うのだから、すべての考えがピタリと簡単に合う訳がない。何度もぶつかったりしながら、少しずつ歩みよろうと誰もが努力するものだ。

けれども親と子の場合、どこかそこに油断がある。親は自分たちが生んだ子だから理解できない訳がないと思う。一方、子どもは生まれた時から親の一挙一動を見て育つから、自然と親を理解していると思い込む。例えば親がこんな考え方をするのは過去にどんな事があったからなのかとか、そういうところまではなかなか見ようとしない。ただ、やたら親と衝突してしまう、または親から虐待を受けているような子どもは、必死に親を観察するかもしれないが、そのようなケース以外では、子ども自身が年を取って人生の後半にさしかかったあたりでやっと親を客観的に見られるのではないだろうか。

で、『あぜ道のダンディ』である。この映画で描かれる家族の関係はとても微妙だ。光石研演じる主人公の宮田淳一は、配送業を営んでいる50歳だ。妻は39歳で他界し、子どもたちとの3人暮らし。長男の俊也は大学浪人中で、長女の桃子は高校3年生だが、二人とも普段は淳一と全く口を利かない。帰ってきても父親に「ただいま」も言わず自室に閉じこもるのが日常なのだ。桃子などは受験して大学に受かったのに、それすらも父親に報告しに行かない有様。そんな子どもとの折り合いの悪さに淳一は苛立ちを感じている。

だがそういう淳一も決して愛想が良いとは言えない。配送業の相方が何か語りかけてきてもムスッとした表情を返すだけ。あまり食事をとらない淳一を心配して相方が声をかけても無視しまくる。誰とも話をしたくないのか!? とツッコミたくなるほどだ。

しかも淳一はどんなことがあっても子どもには威厳ある態度で接しようとする。常に「俺は頼れる父親だ! 何かあったなら俺に言え!」と言わんばかり。子どもの前では強い父親であろうとする。だから実はお金がなくて大変でも、それが言えない。俊也と桃子が同時期に大学に受かり、一度に2校分の入学金を払い、さらに二人を東京でそれぞれ一人暮らしさせるのは経済的に全くもって無理なのだが、それさえも子どもには明かせない。

本当は妻の死が哀しくて淋しくてやりきれないのに、それも態度には出せず、テープレコーダーに吹き込まれた妻の声と、なぜか妻がアカペラで歌った“うさぎのダンス”を聞いてウツウツとした夜を過ごしているだけ。また淳一は胃の調子がとても悪く、亡き妻と同じような症状であることから自分が胃ガンにかかり余命いくばくもないと感じるが、それすらも子どもたちに明かすことができない。ただただ最後に、子どもたちといい思い出を作っておきたいと苦悶しているだけだ。

息子や娘に弱みを見せたくない父親

そこで彼はある日、ついに行動を起こす。まず取った行動は子どもの目線に立つということ。俊也が家に帰ると自室で携帯ゲームに興じていることを知っている淳一は、携帯ゲーム機を買ってきて「一緒に対戦しないか」と声をかける。だがよく知りもしないで購入してきたため、同じ携帯ゲーム機でも機種が違うものを買ってしまい、結局はただの無駄に終わってしまう。

次に桃子が友人とよくプリクラを撮っていると知った淳一は、一緒にプリクラを撮らないかと誘うために友人の真田を連れて下校する娘を尾行する。だがそれは残念ながら女子高生を狙う“変態おじさん”のようにしか見えない。もちろん家族再編のために行動を起こしたのは悪くない。けれどもそのやり方があまりにもトンチンカンでつい苦笑いが浮かんでしまう。

こんな淳一が本音を見せられるのは、中学からの同級生・真田だけだ。真田とは仕事が終わった後、居酒屋でささやかに杯をくみかわし、様々なグチを言いあう仲。同級生なのにどこか弟分的な真田には、淳一は時にエラそうな態度を取ることもあるが、彼の前では涙を流すこともできる。自分が胃ガンであるらしいことも告白できるし、子どもたちとの関係をいかに修復すべきなのか相談することもできる。人間らしくいられるのは唯一、真田の前でのみなのだ。はたしてなぜ淳一は彼の前では自分をさらけ出せるのに、家族の前では自分を洗いざらい見せられないのか。

それは実は淳一がカッコいい男であり続けたいと子どもの頃に望んだからなのだ。中学の時に真田と共にいじめられた経験を持つ淳一は、やり返せなかった自分がみじめに思えてならなかった。その時に彼は真田と誓ったのだ。「カッコいい男になろう」と。そのために努力し、ダンディズムを決めてやろうと。その強い想いが実は淳一自身を縛りつけ、家族に弱みを見せられない父親像を作りあげてしまっていたのだ。

実はそういう淳一の態度こそ、すべての元凶にあることを淳一はわかっていない。俊也や桃子が父親と全くコミュニケーションを取ろうとしないのは、取ろうとしないのではなく取れないだけなのだ。最近ACの広告で、「こだまですか? いいえ誰でも」のCMが話題となったが、それと同じで淳一が腹を割って話さない以上、子どもたちだって腹を割って話せないのである。だって子どもは親を見て育つのだから。親と同じに子どもは成長する。非常に簡単なことなのだが、意外とこれがわかっていない親が多いのではないだろうか。

例えば実際にこんなことがあった。あそこのスーパーはこっちのスーパーより20円安かったとか、そういうことをよく普段から喋っていた夫婦。別段ケチというわけではないが、なぜかお金の話題をすることが多かった。彼らには中学生になる息子がいるが、その息子が友人と出かける時に遠回りだが運賃が安くなる方法で出かけたという。すると奥さんがこう言ったのだ。「そのためにわざわざ朝早めに出ていったのよ。たった40円の違いのために。ケチよねぇ」と。いやいやいや。それはいつものあなた達の会話を聞いているからですよ、自然とそういう金銭感覚が身についているのですよ……と喉まで出かかった。自分が取っている行動が、子どもに大きな影響を与えていることには意外と気づかない。親とはそういうものではないだろうか。

親子の互いの想いは、ボタンのかけ違い

 筆者も今のパートナーに出会った時「君はマイナス思考だね」と言われて驚いたことがある。そういう意識がまるっきりなかったからだ。私の母親は明るい性格だし、誰からもそう言われている人なので、自分はその明るさが似ていると勝手に思い込んでいた。しかし、よくよく考えてみるとそんな母親も実は家ではマイナス思考だったのだ。必ず最初に悪い想定をし、その最悪の事態に陥らないようにするというのが母の教え。だがそれは、最初にプラスに考えないということ。石橋を叩き過ぎて割ってしまうタイプの考え方だ。それに気づかされた時は正直、自分でハッとした。

冒頭で両親の意外な一面が見えてきたと言ったが、今まで気づかなかったことが見えてきただけなのかもしれない。あるいは母も年を取って、マイナス思考に拍車をかけてきたのかもしれない。身体の動きが鈍くなったこと&もの覚えが悪くなったこと=人に迷惑がかかると考え、楽しみや趣味ですら遠ざけるようになってきた。私が「娘なのだから迷惑なんてかけたっていいのだから、自分の思うようにしなよ」と言ってもできない。淳一のダンディズムじゃないが、きっと私の母にも何かそういう頑なな思いがあるのだろう。

そう、この『あぜ道のダンディ』で描かれるのは、おそらくはどこの家庭でも起きているであろうことなのだ。「家族とは何ぞや」。それを考えさせてくれる作品。一番理解していそうで、実は一番理解しあえていない家族の問題が丁寧に綴られる。それが男の守りたいダンディズムと共に、時に淡々と、時にユーモアたっぷりに魅せてくれる。誰の身にも起こりうることだから、この映画を見るといろんな想いが自然と湧いてくるのだ。

ちなみに、「親の心、子知らず」に見えた俊也と桃子であるが、実は二人とも淳一がどんな人間であるか、彼らなりに理解していた。特に俊也は家にお金がないことも知っていて、父に内緒でバイトもしていた。そして自分と桃子の一人暮らし分に使えるくらいのお金も貯めている。ただそれを言っていないだけ。

面白かったのは真田が淳一のために、淳一の真実の姿を明かすべく、またもう少し父親に優しくしてほしいと俊也を呼び出して語り始めるシーン。それまで話をおとなしく聞いていた俊也が、突然「わかっています!」とキレ始める。父親がどれだけ自分たちのことを愛しているか知っているし、自分も桃子も父親には感謝しているし、愛はあるのだと。だけどそれをどう表していいかわからないのだ……とぶちキレるのだ。淳一が心配していたように、子どもたちは自分のもとから去ったわけではなかった。本当は目の前に愛を持って突っ立っていたのに、それが見えなかっただけだった。

このなんとも言えないボタンのかけ違い感覚というか、親も子も、ホント家族って仕方ないなぁという感じが胸をキュッと締めつけた。それと同時に自分自身の家族への熱い想いもパーッと胸に広がった。もし自分の子どもたちとしっくりいかずに悩んでいる人は、この映画を見れば何か解決の糸口が見つかるかもしれない。

Movie Data
脚本・監督:石井裕也
出演:光石研、森岡龍、吉永淳、山本ひかる、染谷将太、綾野剛、螢雪次朗、藤原竜也(友情出演)、岩松了、西田尚美、田口トモロヲほか
(c)2011『あぜ道のダンディ』製作委員会
Story
宮田淳一と友人の真田は13歳の頃、サエない毎日を送り「カッコいい男になりたい」と希望を燃やしていた。やがて二人は50歳に。宮田は妻を早くに亡くし、二人の子どもと暮らしているが、子どもたちとの会話はいつも噛みあわない、そんな宮田の楽しみは、真田と居酒屋でひっかける酒だけ。ある日、自分を胃ガンと思い込んだ宮田は真田と相談を……。

文:横森文

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(c)2011「星守る犬」製作委員会

文:横森文  ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室を展開。

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