2010.10.19
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『おにいちゃんのハナビ』 引きこもりの生活から出口を見出す青年

今回は、引きこもりの青年が妹の支援によって活路を見出す『おにいちゃんのハナビ』です。

病弱だが明るく前向きな妹と、引きこもりの兄

『おにいちゃんのハナビ』は、新潟県小千谷市片貝町の400年続いている町民参加の花火大会で、実際にあった出来事をベースにした作品だ。この町では地元の人々が資金を出し合い、成人や還暦記念、子どもの誕生祝い、そして亡くなった人への追悼供養などのために花火を打ち上げるという。

 05年、新潟県中越地震後の被災地を映したテレビドキュメンタリーが放送されたが、その中のエピソードの一編を本作ではベースとしているのだ。いや、むしろその元となったエピソードを実にうまく脚色したといったほうがいいだろう。

 本作の主人公はその片貝市に東京から引っ越してきた兄と妹。二人は驚くほど対照的だ。妹の華は白血病にかかり、余命いくばくもない状態。しかも治療の副作用で髪がすべてなくなってしまっている。「髪は女の命」といわれるくらいだから、まだ高校生の華は髪の毛を失うことがわかった時、相当に落ち込んだことだろう。しかし華は悲嘆にくれ続けない。むしろポジティブにこの状況をとらえている。たとえば様々なウィッグを買い揃え、まるで着せ替え人形のように楽しみながらウィッグを鏡の前で試していく。だから冒頭のシーン、退院直後のタクシーの中で、彼女はこちらがびっくりするくらいにあっけなく、ウィッグをとって「かゆ~い!」と頭をボリボリと掻き始めるのだ。

 そんな妹に対して、兄の太郎はかなりのネガティブ男。そもそもこの兄妹が東京から新潟に引っ越すことになったのは、幼い頃からずっと体が弱かった華の療養のためだ。しかし引っ込み思案な太郎は快活な華と違い、転校先の高校になじめないまま卒業してしまう。そして、高校を出たものの進学する気もなければ、働く意欲も湧かない。ある日、いつまでもブラブラしている太郎に説教していた父親は、太郎の「(妹のために引っ越したけど)俺のために何かしてくれたことってあるのかよ」という言葉にカッとなって、太郎を殴ってしまう。以来、引っ込み思案にますます拍車がかかった太郎は完全な“引きこもり”と化し、両親が家にいる時は自分の部屋から出なくなってしまう。その引きこもり度はかなりなもので、華が退院してようやく家に帰っても顔も見せないほどだ。

妹の強引な後押しで、少しずつ社会復帰していく兄

 精神的には強いけれど体が弱い華に、身体は強いけれど精神的には弱過ぎる太郎。まさに真逆な兄妹。面白いのは華がこんなダメダメな兄貴の閉ざした心の扉を容赦なく開けていくところ。たとえば、華と太郎の部屋は繋がっているが、太郎側が大きな棚を置いて入り口を塞いでいる。ところが華はなんとその棚をまず倒し、ずかずかと兄貴の部屋に踏み込んでいくのだ。さらにご飯を運んできた母親に「お兄ちゃん、皆と一緒に食べるって」と言い放ち、父親のいない隙に太郎を食卓まで連れ出す。さらには両親のいない間に、火事だと嘘をついて太郎を外に引っ張り出し、強引に自分と同級生の買い物に付き合わせた上、さらに太郎に新しいTシャツを試着させようとする。

 まさに人の心に土足で立ち入るような行為。だが、心が壊れてしまった人には、たまにはこんな荒療治も必要かもしれない。本作では、元の生活に戻るきっかけを失っていた太郎に、これらの出来事がいいチャンスを与えることになった。もし同じ事を両親が行ったら、太郎が反発している相手だけに、ただ「うざい」だけで終わってしまったことだろう。華だったからこそ、うまくいったケースといえるかもしれない。

 かくして太郎は病気の妹に背中を押される形で、少しずつだが社会へと復帰していく。その一番のポイントとなったのは、なんといっても妹と妹の友人に買い物に連れ出された時だろう。ちょっと華が目を放した隙に、なんと友人の女子高生たちが不良に絡まれてしまう。しかし、太郎はその不良たちを止めることができず「俺には関係ない」というような態度を取る。そこへ突っ込んでいくのが華だ。不良たちに突き飛ばされ転んでしまう華。その時、彼女のウィッグが吹っ飛んで、スキンヘッドが露になる。一瞬、何も言えなくなる不良たち。気にせず落ちたウィッグを拾いあげる華。さすがに不良たちもこれ以上はやめようと引き揚げていく。

 この一連の出来事があってから、太郎の態度は変わっていくのだ。多分、妹が病気だと知識としてわかっていても、あまりにも明るくて誰からも愛される妹が今も病に冒されているという事実を実感できないでいたのだろう。この時、スキンヘッドを見て初めて意識したに違いない。さらに、妹から「ずっと引きこもっていて、私や両親が亡くなった時にどうするのか?」と、現実を突きつけられたのも大きかったのではないだろうか。「そうなったら働く」と答える太郎だが、世の中そんなに甘くはない。あまりにも長い間引きこもってしまうと、社会復帰はますます困難になる。

考え方一つで、人生は素晴らしいものに変えられる

 そう、この映画は若くして亡くなってしまう華の生涯にスポットを当てた作品ではない。道に迷ってしまった兄が妹らの助けを得て、自分でその出口を見つけ出し、人として大きく成長していく様子を描いている。誰にでも傷ついてなかなか立ち直れないようなことは起こり得る。どんな理由であれ、そこから立ち直るのは本当に苦しいものだ。だからといって逃げていたら何も変わることはない。

 しかし、どんな状況でも、考え方一つで人生を素晴らしいものに変えることはできるはずだ。たとえば、太郎が自分を卑下して「俺なんて、人見知りで、ダサくて、暗い」という。すると華はすかさずこう言うのだ。「人見知りじゃなくて遠慮深いんだよ。ダサいは個性的。暗いはクール」と。ほんの少し、気持ちの持ち方を変えるだけで世界は驚くほど変化する。

 さらに、華に推し進められて、太郎は同級生たちによる成人会に連れていかれる。中学の同級生たちが20歳の年に一緒に花火を奉納するのが、この町の習わしだったのだ。しかし最初、同級生たちは太郎のことをほとんど覚えていない。それは転校して学校になじめなかった、いや太郎自身がなじむための努力を怠ったために、誰の記憶にも残っていないからだ。そのため、最初は会に入ることさえも断られてしまう。でも思い出がないなら今から作ればいいという華のプッシュを受け、ついに太郎はその同級生たちの会に入れることに。そしてただただ引っ込み思案になっているのではなく、小さい声でも自分の意見をはっきり言うことで、少しずつだけど仲間たちにも認められ、次第に素晴らしい友情が紡ぎあがっていく。

 そんな変化が太郎をバイトにも向かわせていく。新聞配達のバイトだが、彼をわざわざ待って迎えてくれるおばあちゃんたちに出会うことで、太郎はバイトの楽しさを覚え、他人に自分からきちんと挨拶するようにもなっていく。ちょっとした考え方の変更で、こうまで人生は変わるのか。

 たまたま太郎は妹によって人生の紡ぎ方を教えられ、暗澹とした日々から活路を見出した。人生なんてそんなものではないだろうか。少しだけ考えを改めるだけで、輝き出すこともある。もし「人生なんて最低だ」と苦しんでいる人がいたら、ちょっと留まってもう一度自分の人生を見直してほしい。最低な人生にしたのは周囲ではなく、自分自身に非があるのではないかと。そんな風に自分を見つめ直したい人に、まさにこの映画はうってつけ。人生についてあれこれ悩んでいる人にも勇気を与えてくれるはずだ。

思わず動揺するリアルなスキンヘッドのシーン

 勇気といえば、この映画で華を演じた谷村美月は実際に髪を切り、スキンヘッドになった。もともとの台本上ではスキンヘッドを見せるシーンは2か所しかなかったので、特殊メイクでいこうという話になっていた。が、それだとやはりどこかリアル感が出ないということから、谷村自身がスキンヘッドになることを望んだという。彼女は実際にやってみて良かったと思ったそうだ。たとえば、不良に絡まれてウィッグが外れた時のシーンなどで、現場に本物の緊張が走ったからだという。

 筆者もこの映画で彼女が本当に坊主頭になったことは知っていたのに、タクシーで何気なくウィッグを取るシーンでドキッとした。たかが見かけで、こうも動揺してしまうとは自分でも意外だったが、それもまた人間ならではのことかもしれない。谷村自身も髪を切った直後、自分はどうってことなかったのに、周囲の「うわっ」という動揺になぜか当事者の自分のほうが気を遣う羽目になったという。そんな自分の心に潜む意外な心理――異質なものに対する許容能力のなさにも気づかされる面白い作品だ。

Movie Data
監督:国本雅広
出演:高良健吾、谷村美月、宮崎美子、大杉漣、早織、尾上寛之、岡本玲、佐藤隆太、佐々木蔵之介ほか
(C)2010「おにいちゃんのハナビ」製作委員会
Story
華が退院した9月9日は、毎年華が楽しみにしている片貝まつりの初日で、夜には世界一を誇る花火まつりが行われる。だが半年ぶりに家に戻ると、兄の太郎は引きこもりになっていた。頭が良くて優しい自慢の兄だったのに……。そんな思いから華は乱暴ともいえるくらいの勢いで兄を外に連れ出そうとする。そんな妹に勇気づけられ、太郎も心を開くが……。

文:横森文

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(c)2009 Fidelite Films- IMAV Editions - Wild Bunch - M6 Films - Mandarin Films - Scope Pictures - Fidelite Studios

文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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