2010.04.06
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『プレシャス』 社会的不適応の少女が教育によって人生を好転させる

今回は、社会的不適応の少女が、ある教育によって人生を好転させる『プレシャス』です。

劣悪な家庭環境、学習意欲ゼロの少女

人間は教育によって人生が大きく変わる。だからこそ教育を受けられる環境が大事。そんなことは言われなくてもわかっている……という読者は多いと思うが、この1987年のハーレムを舞台にした本作を観ると、その環境と教育の重要性を如実に感じるはずだ。

 主人公プレシャスはまだ16歳。しかし彼女は二度目の妊娠をしている。一度目の妊娠は12歳の時。その時に生まれた娘はダウン症で、彼女の祖母が育てている。最悪なのは、実は彼女を妊娠させたのはプレシャスの実の父親だということ。つまりプレシャスはレイプされたのだ。しかもその妊娠以降、彼女は母親からも虐待されるようになる。父親が姿をくらまして、二人きりで暮らすようになってからは、母親は働くのをやめ、生活保護でもらうお金で暮らしており、家事はプレシャスが行っている。そんなプレシャスの後頭部に向かって母親はモノを投げつける。そして肉体的に傷つけた上で、精神的にも傷つけようとして毒づくのだ。「学校なんて行くのは無駄。お前のような能無しには何の役も立たない」と。ひどい。あまりにもひどすぎる。

 そんな育て方をされているものだから、プレシャスは勉強をできるわけがない。恐ろしいことに彼女は読み書きすら全くできないのだ。16歳になったというのに、AやBなどアルファベットをどう書くかも把握していない。数学だけは多少成績がいいが、国語に関してはまるっきりダメ。教科書を広げる気すらない。そしてあまりにも「バカだ」「ダメだ」と言われすぎている彼女は、そんな最悪な状況を変える術もわからないのだ。

 だから彼女は妄想の世界に閉じこもる。大好きな男性教師のため、授業を妨害する男子生徒を張り倒した後、心の中でその教師が自分に向かって好きだと囁いてくれる瞬間を想像して楽しむ。そうやって想像の世界に逃げることで、彼女はあまりにもやるせない現実にどうにか負けることなく、生きていられるのだ。そう、映画の冒頭の彼女は常に夢を見ているだけ。白馬の王子様が迎えに来るように、いつか誰かが自分のこんな環境を変えてくれるのではないか、突然ある日、自分はスターダムに伸し上がるのではないか、そんな思いばかり巡らせているのである。

知恵がなく、自分の状況を変えたくても変えられない

 私個人はこの夢想に走りがちなプレシャスの心境が手に取るようにわかる。幼稚園から小学校時代までいじめられっ子だった私は、やはりよくいろんなことを夢想していた。しかし現実世界ではどうしていいかわからず、特に幼稚園の頃はひたすら園をサボりまくって(2月など8回しか通わなかった)、久しぶりに会った同じ幼稚園の子に「あなた、転校生?」と言われ何も言い返せなかったことを覚えている。

 プレシャスのように非識字者ではなかったから、どうにか多少の知恵をつけ、小学校高学年には精神的にも少しタフになり、でも同じ公立に上がったらもっといじめられると思い、自分で中学受験を決めて新しい環境を作り出し、いじめられっ子の自分からサヨナラすることができた。それは家族が私の状況をわかってくれた上で、私の“環境を変える決意”を精神的にも経済的にも後押ししてくれたからこそだ。もし我が家が極貧で「私立に行かせるのは無理」となっていたならば、今こうやってここで文章を書いているような、そんな人生を送れていたかどうかはわからない。

 プレシャスを観ていると、自分の幼稚園?小学校の頃と本当によく重なる。とくに幼稚園の頃、まだ語彙も少なく知恵が回らないため、本当に苦労した。先生に自分の状況を説明したくてもできなかった。プレシャスも16歳という年齢に達しているのに、非識字者で自分を表現する言葉を知らないから、伝えられない。知恵がないから、自分の状況を変えたくても変えられない。しかもそんな状況を救ってくれるはずの唯一の肉親から虐待され、愛されていないのだから、どんな事態になるか想像がつくだろう。

 その上、二度目の妊娠が学校にバレ、ついに彼女は退学させられる。唯一の救いとなるはずの学校から追い出され、“教育”から引き離された彼女。けれどもそんな彼女に一筋の光を与えてくれるのも“教育”。自分が家で虐待されていることを(ましてや妊娠させたのが実の父親であることも)誰にも言えずにいた彼女に、校長がフリー・スクール「イーチ・ワン・ティーチ・ワン」への転入を勧めてきたのだ。最初は代替学校の意味すらわからず、もちろん母親の反対にも遭うが、“学校へ行きたい”と思い、そこに通うことに決めたプレシャス。だがそれが彼女の運命を大きく変えていくことになる。

作文教育によって、これまでの人生を大きく転換させる

フリー・スクールではプレシャスのように様々な問題を抱え、公立学校を退学させられた(あるいは自主的にした)子ばかりが集まっている。その多くは読み書きすらできないような子どもたちばかりなのである。ここで初めて彼女は“学ぶ”ことを知っていく。

 驚くべきことは、ここでプレシャスに様々なことを教えていく女性教師レインの存在だ。全く字が読めないプレシャスに、それこそ幼児のように絵本を見せて、このアルファベットは何と読む? というところからスタートするのだ。どんなにプレシャスが間違えようと、どんなに理解がなかなかされなかろうと、とにかく1文字ずつ理解させていくその根気は本当にすごい。「私には無理!」と言うプレシャスに、レインは「長い旅も最初の一歩から」と説明するが、その意味すらプレシャスは「よくわからない」。そんなプレシャスに課題としてレインが与えたのが作文。いや作文というと堅苦しいが、つまりは先生との交換日記のようなものを書くことを命じるのだ。どんなに綴りが間違おうが、とにかく書けと教えるのである。

 私は教育者ではないので、実際に日本でもこういう教育が行われているのかどうかはわからないが、16歳という社会や世間がだんだん見えてきた年齢に、半ば強制的に日記を書かせることで、文字だけではなく自分の置かれている境遇や、自分の考えなどを客観的に整理させていくということは、とても大切なことなのではないかと思った。考えてみれば私も中学生の時、夏休みの宿題で毎日日記を書けと言われた。小学生の絵日記などとは違い、文章で自分の思いを綴ることは、一番あれこれ考え始める中学生にとって、とても有効だった気がする。もちろん生徒と先生の交換日記もどきの作文書きは、少人数制のフリー・スクールだからこそできることかもしれない。

とにもかくにもこの作文教育によって、プレシャスは目覚ましく人生を発展させていく。それまでは引っ込み思案で、教室では一度も発言をしたことのない彼女が、どんどん変貌し、ついには自分のソーシャルワーカー(なんと演じているのは歌手のマライア・キャリー。ほぼスッピンに近いメークで好演)にも、本当の自分――父親にレイプされた事や、母親が生活保護を受けるためにわざと働いていないことまで――すべてを洗いざらい話す。

自分自身が奮い立つしかないことを知る

 そのせいで無論、母親への生活保護は止まるが、結果的にはそれが母親を変えることに。母親とのとんでもない喧嘩の末、プレシャスは雪の中、息子を抱えて家出し、レイン先生のところにしばらく身を寄せる。すると、追い詰められた母親はソーシャルワーカーを通してプレシャスに会いたいと訴え始めるのだ。

 そしてソーシャルワーカーのもとでプレシャスと対峙して、母親は初めて本音を話す。愛する夫が娘に対して愛情を向けたことでプレシャスをたまらなく憎く感じるようになったこと。自分を愛してくれるはずの人が自分を愛してくれない、いたたまれない気持ちなど。実はこの鬼母までが、愛というものに振り回され、生まれた時には「愛しい、貴い」という意味でプレシャスと名づけた娘に暴力をふるうようになった犠牲者であることを、プレシャスは知るのだ。

 本作で一つ面白いなと思ったのは、このようなフリー・スクールでの交友関係を描く時、日本の映画だとやけに熱くなりがちだが、本作ではそれがないという点。たとえば彼女が第2子の息子を出産した(しかも産気づくのはなんと学校!)時、生徒全員が病院に見舞いに来るが、後にプレシャスが鬼母に家を追い出され、乳飲み子を抱えて路頭に迷う様を見て、平気で爆笑する生徒たち。誰もが生きるのに精一杯だから、同情なんてしていられない……そういう部分がハッキリと見えるのだ。でもそれが人間。対等の立場とはそういうものであることもわかる。

 そして指導者として皆を導いているレイン先生も、実は両親とは折り合いが悪くて落ち込んだりする様や、本当は同性愛者であることもプレシャスに見せていく。そういった甘くない他人の現実を見ていくことで、プレシャスは人生を切り開いていく。結局は、自分が奮い立つしかないということを、身をもって知っていくのだ。本作はそういったことをキチンとユーモアも取り混ぜつつ、エンタテインメントしてきっちり見せてくれる。

映画が素晴らしいのは、本作のように主人公の人生を、まるで自分がしているかのような疑似体験させてくれるところ。人間はどんなに口をすっばくしていろいろアドバイスをしても、本当に体験しないとわからないものだが、映画は実際に体験していないことでもリアルに体感が可能なメディアなのだ。そういう意味でもこの作品を観て、ヒロインの人生を通して、同世代の中高生は自分自身で人生を切り開くためにはいかに努力すべきかを知ってほしいし、大人は学校でも家庭でも子どもたちのためにどうしたら素晴らしい教育環境を作れるかを考えていただきたい。
Movie Data
監督・製作:リー・ダニエルズ
原作:サファイア
出演:ガボレイ・シディベ、モニーク、ポーラ・ハットン、マライア・キャリー、シェリー・シェパード、レニー・クラヴィッツほか
(c)PUSH PICTURES, LLC
Story
クレアリース“プレシャス”ジョーンズは実の父親の子どもを身ごもり、母親には虐待されてこき使われ、文字の読み書きもできないでいた。理想とは程遠い毎日。そんな中、学校を退学させられたプレシャスは、フリースクールに通い始め、そこでレインという教師と出会い、人を愛し、愛される喜びや、学ぶことの楽しさに気づいていく……。

文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

子どもに見せたいオススメ映画
『ソラニン』 未来に対する漠然とした不安に駆られる若者たち
誰もが一度は「自分の人生ってこれでいいのか」と思う瞬間がある。そして未来に対する可能性はたくさんあるはずなのだが、時々その未来が見えなくて不安になることも10代、20代の頃は多い。この映画の主人公たちも、そんな未来に対する漠然とした不安に駆られる人々だ。
 まず種田という男性は、大学を卒業したが自分のミュージシャンとしての限界を感じつつ、音楽への道を諦め切れずにいる。そんな種田と大学時代からつきあっている芽衣子は、OL生活2年目に突入して日々が退屈で仕方ない。でも別に何かやりたいことがあるわけではない。そんな二人の人生にちょっとしたさざ波が起こるのは、芽衣子がOLを辞めたからだ。かくして彼女は種田の夢に入れ込み始める。デモテープを作ってレコード会社に送ろうと言い、種田やバンドメンバー(実家の薬屋を継いだドラムスのビリー、大学2留中のベースの加藤)とレコーディングに臨む。けれども現実は厳しい……。
誰もが頑張ったからといって夢がつかめるものではない。でも、たとえ報われなかったとしてもやらないよりはやったほうがマシ。泣いたり笑ったり、辛いことも楽しいこともいろんな思いを味わいつつ、人間は最期を迎えるまで生きていくのだな……ってことを、この映画はしみじみと感じさせてくれる。まさに今の不透明な未来しか見えない時代にピッタリの青春群像劇。いろいろ将来に対して思い悩んでいる人には是非観てほしい傑作だ。
監督:三木孝浩
原作:浅野いにお
脚本:高橋泉
出演:宮崎あおい、高良健吾、桐谷?健太、近藤洋一、伊藤歩、ARATA、永山絢斗、岩田さゆり、美保純、財津和夫ほか
写真:太田好治
(C)2010 浅野いにお・小学館/「ソラニン」製作委員会

文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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