2008.06.03
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『庭から昇ったロケット雲』 夢を追う困難と大切さを描く映画

今回は、夢を追う素晴らしさと、そのリスクや覚悟までを描いた『庭から昇ったロケット雲』です。

宇宙飛行士になる夢を追う男

誰もが子どもの頃には様々な夢を持つのが普通だ。最近では小学生が「将来の夢は?」と聞かれ、「安定しているから公務員」、「とりあえずサラリーマン」と言ったり、「特に何になりたいかわからない」と答える子も多いそうだが、それはあまりにも哀し過ぎる。

 現実を見ることはもちろん大切なこと。けれど夢を見なければ人間は成長することができない。例えば医者になろうと思うから必死に勉強しなければとなるわけだし、サッカーの選手になりたいと思うから必死に体を鍛え、ボールを蹴り続ける。すごい美人になりたいと日々、カロリーコントロールをしたり運動したりするのも、そういう夢を叶えたいとする強い思いが自分を焚きつけるのだ。

 考えてみれば人間の科学の発展だって、そういう夢が紡いできた結果だったはずだ。空を飛びたいと願ったからこそ、今では当たり前のように世界中を飛行機に乗って旅することができるようになったわけだし、海の底にだって宇宙にだって行けるような技術が生まれた。誰かが夢を見て、その夢を実現させようと何度も失敗を繰り返しつつ、積み上げてきた結果、現代社会ができあがっているというわけ。

 『庭から昇ったロケット雲』の主人公、チャーリー・ファーマーも相当に大きな夢の持ち主だ。彼の子どもの頃からの夢……それは宇宙飛行士になるということ。その夢のために彼は必死に勉強をし、航空宇宙工学の修士を獲得し、空軍パイロットとして経験も積んだ。しかし運命はそんな彼の道を大きく曲げてしまう。

 父親の急死により、彼は父が残した農場を継がねばならなくなってしまったのだ。通常ならばここで宇宙飛行士への夢は諦めてしまうもの。けれどもチャーリーはその思いを諦めなかった。なんと彼はどうしても宇宙へ行きたいがために、ひとりだけ乗れる本当に小さなロケットを作り、自力で打ち上げようとしていたのだ。当然のことながら、ロケット作りにはお金がかかる。チャーリーはそのお金を作るために家を抵当に入れ、必死に頼んで銀行から融資してもらい、あと一歩で完成までにこぎ着けていた。

夢を追うために次々に起こる問題

 けれどもここで様々な現実問題が勃発していく。まずそのひとつが政府からの圧力だ。チャーリーの夢は純粋に宇宙に行き、地球を1周回って戻ってきたいというだけ。しかし、政府や世間はそうは見なさない。特に9.11以降のアメリカはテロに対する警戒が厳しいのも手伝い、チャーリーの作ったロケットが大量破壊兵器ではないかと疑い出す。あげくの果てに、飛ばしたらその時点で撃ち落とすと脅しまでかけてくる。

 映画を観ているとチャーリーの心情が手に取るようにわかる分、政府の行動に怒りがこみあげてくる。が、そのような政府の反応も当然といえば当然。民間でこんな風にロケットをあちらこちらで飛ばしはじめたらとんでもないことになるのは目に見えているから。チャーリーを抑えようとするのも無理もない。そもそもチャーリーがNASAに対し飛行計画プランをきちんと出した時点で、対処しておけば良かった問題だ。ま、でもこういうところに人間のズサンな管理体制が見えてくるから、面白かったりもするのだが。

 さて、次に起こるのが家族の問題だ。チャーリーだってお金がなくなってきてドン詰まりなのは承知だし、困ってもいる。家族は誰ひとり、チャーリーのロケット作りを非難してはいないけれど、一文なしになる寸前であることをチャーリーは家族の誰にも言えないでいた。だがその現実が妻オーディに知れた時、さしものオーディもブチ切れる。もし家まで失ってしまったら、3人の子どもたちをどうしたらよいのかと。これも当然といえば当然。なにしろ彼女は母親なのだから。子どもたちや家を守ろうとするのは当たり前のことだ。

 そこでわかるのは夢を追おうとする人は、そういうリスクをしょってまでさらに頑張る責任感がなくてはいけないということ。逆にいえば、そのリスクを放棄するような行為(例えば自分は夢に懸命すぎて妻ばかり働かせているような輩)をする人は夢を見る資格がないともいえる。

父親の夢のために学校を休む子ども

 そして、そういう夢見がちな人を家族がどう支えるべきなのかもこの映画は観客に訴えかける。チャーリーは長男にもロケットの打ち上げ方や作り方などを教え、さらに管制官的な役割をも担わせている。そのため、ロケットが本格的な打ち上げ体制に入った途端、なんと子どもたち全員、強制的に学校を休ませ、自分の手伝いをさせる。教育関係者なら、これには眉をひそめる方もいるだろう。一応チャーリーは、子どもたちが授業に遅れてはまずいから……と考え、午前中に勉強の時間を取り入れてはいる。それでも学校を休むこと自体に疑問を感じる人は少なくないだろう。

 ただ、考えてもほしい。確かに学校に行かなければ勉強に遅れを取る可能性は大きい。けれどその遅れは勉強する側の努力次第で何とか取り戻すことができるはずだ。一方、“人生の勉強”はそう簡単には取り戻すことはできない。家族と共にひとつの目標に向かうこと、そこには一瞬、一瞬、学ぶべきことがあり、一期一会の学びといえるだろう。

 ここで私事の話をさせていただく。私の父親は特定の休みというものを持てない人間だったため(編集部注:横森さんの父上はアコーディオン奏者の横森良造さん)、子どもの頃から夏休みや冬休みなどの大型連休以外のところで休みを取り、家族旅行に行くことが多かった。私が高校1年生の時、父親が沖縄へ仕事に行くことになり、そのついでに家族で沖縄に行かないかという話が出た。

 でもそうなると学校を休まねばならない。小学校の頃ならば多少休んでもすぐ勉強を挽回できたけれど、中学以上になると勉強の内容自体がグンと難しくなるため、そういう旅行は控えていたのだ。しかし私も両親もお互いの年齢的なことを考え、これが最後の家族旅行になるようなそんな気はしていた(事実、そうなった)。

 そこで母親は正直に担任の先生にその話をしたところ、「どうぞ行ってきてください」と言われたのだ。「学校の勉強よりも大切なことはありますから……」と。私はいまだにその事を先生に感謝している。実際、沖縄旅行はとても心に残るものになったからだ。家族でひめゆりの塔に行ったり、沖縄ならではのユニークな伝統や歴史、民俗学的な話を聞くチャンスにもいろいろと恵まれ(タクシーの運転手さんの話も面白かった)、非常に多くのことを学べたからである。

 人間はどんなところでも学ぶチャンスはある。実際、チャーリーに特に頼りにされた長男などは、きっと現役のNASAの社員に勝るとも劣らない「ロケット打ち上げ」に関する知識があるに違いない。家族が本気で家族の誰かの夢を支えられることができるかどうかも、その夢が叶うか否かに大きな影響を与えていくのだ。

夢のための“学び”をするよう仕向ける

 この映画は、誰が悪いわけでもないのに現実に起こってしまうトラブルがキチッと描かれ、しかも、そのトラブルを乗り超えて頑張ろうとする人々の姿が見える。そこに観客は胸を打たれ、深い感動を呼ぶのである。そしてもちろんそういう家族愛や友情など様々なものをもらって夢を追う人は、さらに自己責任を持ち、その夢の実現のためにいっそうの努力をしないといけないことがわかる。夢はそこまで努力して初めて叶うものなのだろう。

 だとしたら、どれだけ大多数の人間が安易に夢を諦めてしまっていることだろう。よく子どもに「サッカー選手なんて到底無理」などと決めてかかる人がいるけれど、それではいけないのではないだろうか。もしその子どもが本気でサッカー選手になりたいと願っているなら、その思いを真摯に受け止め、その子に「もっとサッカーをやれ」と応援すべきだろう。その代わり「やるなら徹底的にやれ」と。

 常にボールを持ち歩き、毎日ボールに触れるように配慮し、さらに筋肉トレーニングなどの先進的な練習環境もバックアップしてあげる。口先だけなら「なりたいもの」なんていくらでも言えるけれど、そのための努力をするように仕向けるのが私たち大人の役目なのではないか。この映画を観ていると、そんな事をつい考えさせられてしまう。

 そしてもうひとつ考えさせられたのは「世間とは何か?」ということ。マスコミは必要以上にチャーリーに関して大騒ぎをする。毎日農場に押しかけ、彼のことを逐一取材し、ネタにしていく。同じマスコミ関係者としてその気持ちもわかるけれど、この映画を観るとその行為がとても空しく思えてくる。

 チャーリーはマスコミに取り上げられようがなんだろうが全く度外視。ただ純粋に夢を追っている。チャーリーも妻オーディもその世間の騒ぎ方にややウンザリするだけで、有名人意識など持たない。誰でも他人の生活を覗き見たいという欲求はあるものかもしれないが、度を過ぎれば問題だ。そういう点も考えさせられる作品である。

 実にいろいろなテーマがドラマの中に収められており、それらひとつひとつが胸をついてくる、傑作なハートフルドラマだ。

Movie Data
監督・プロデューサー・脚本:マイケル・ポーリッシュ
プロデューサー・脚本・出演:マーク・ポーリッシュ
出演:ビリー・ボブ・ソーントン、ヴァージニア・マドセン、ブルース・ダーンほか
(c)2007 Warner Bros.All Rights Reserved.
Story
宇宙飛行士を夢見ながら、父親の急死で農場を継ぐことになったチャーリー。だが彼は10年かけて自分の貯金をすべて注ぎ込み、さらに家を抵当にいれてまでロケットを作り、自分の庭からロケットを打ち上げようとしていた。だがそんな彼の夢は家族以外には理解されず、政府からも打ち上げは中止するよう要請がきて……。

構成・文:横森文

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文部科学省選定(少年・青年・成人・家庭向き)作品
(c)2008 映画「きみの友だち」製作委員会

構成・文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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