2026.09.21
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生成AI時代、学びはどこへ向かうのか 文部科学省 令和8年度 生成AIの利用に関する夏季公開学習会リポート(前編)

 2026年7月30日(木)、東京大学本郷地区キャンパス大講堂(安田講堂)で、「令和8年度 教育×生成AIシンポジウム―生成AI時代、学びはどこへ向かうのか―(生成AIの利用に関する夏季公開学習会)」が行われた。

当日会場には1100人以上が参集し、オンラインでも3000人が聴講した。前編では、OECD教育・スキル局局長  アンドレアス・シュライヒャー氏による基調講演を、後編ではパネルディスカッションの模様をリポートする。

OECDは、PISA2029に新しい評価領域「MAIL:Media & Artificial Intelligence Literacy(メディア・AIリテラシー)」を導入する予定である。日本では、対話型AIのChatGPTが「チャッピー」と擬人化されるなど、生成AIは単なる道具以上に親しまれている。

教育×生成AIシンポジウム―生成AI時代、学びはどこへ向かうのか―

開会挨拶・オープニングセッション(行政説明):
 文部科学審議官(当時)矢野和彦氏
 文部科学省初等中等教育局参事官 浅原寛子氏

基調講演「AIを学びの足場とし、過度な依存を防ぐには」:
 OECD教育・スキル局局長 アンドレアス・シュライヒャー氏

パネルディスカッション:
 OECD教育・スキル局局長 アンドレアス・シュライヒャー氏
 東京学芸大学副学長・教職大学院 教授 堀田龍也氏
 東京大学大学院工学系研究科 准教授 吉田塁氏
 能美市立寺井中学校 校長 亀田香利氏
 NPO法人みんなのコード 代表理事 杉之原亜希子氏

全体講評:
 信州大学学術研究院教育学系 准教授 佐藤和紀氏

全体司会:姫路市総合教育監・大学講師 加藤聡氏
ファシリテーター:株式会社baton・哲学者 田村正資氏

開会挨拶・オープニングセッション

文部科学省初等中等教育局参事官 浅原寛子氏

会の冒頭、矢野和彦・文部科学審議官(当時)より、AIの進展や人口減少等により、産業革命以上に産業構造が変化していく今、すべての子どもが「情報活用能力」を身につけ、生成AIの可能性とリスクの双方を理解し、適切に利活用することが重要である旨の挨拶が行われた。

次に、文部科学省初等中等教育局参事官・浅原寛子氏より、AIに関する現状の取組の紹介があった。

浅原参事官:「情報活用能力の抜本的向上」に向け、次期学習指導要領の検討を進めている。経済産業省の2040年の人材需給予測では、少子化が進み、生産年齢人口は1100万人不足、また、事務、販売、サービスなどの従事者に約300万人の余剰が生じる一方、AI・ロボット等の活用を担う人材が約326万人不足するというミスマッチの可能性が指摘されている(当日は改訂前の2025年6月公表の数値が示された)。そこから逆算して今、何を学ぶべきかを議論している。

AIを使いこなせるよう、「AI自体を学ぶこと」と「AIを活用して学ぶこと」に整理して構造化し、体系的・系統的に取り扱う方向で検討している。AIには誤りや偏りがあることを体験し、AIに頼り過ぎない、適切な距離を取ることを学ぶことも重要であると考えている。

また、「初等中等教育段階における生成AIの利活用に関するガイドライン」についても、より安全かつ主体的に活用できるよう、国際的知見も取り入れながら、今年度中にVer.3.0に改訂する準備をしている。「生成AIパイロット校事業」からはさまざまな事例が集まっている。例えば、AIの正しい知識を身につけるために、AIの記事と実際の記事を比較した、英作文をより自然な表現に直した、また、校務で、外国にルーツがある子どもの対応での翻訳に活用しているなどである。

今後、教育分野に特化したAIの開発も進めていく。

本日の問い

「AIが当たり前となる時代に、子どもたちの学びをどのように支えるのか」

姫路市総合教育監・大学講師 加藤聡氏と、株式会社baton・哲学者 田村正資氏

続いて、司会・ファシリテーターより、参加者の事前アンケートから、「子どもたちの思考をAIが奪わないか」「試行錯誤するプロセスを奪ってしまうのではないか」という懸念がある一方、「AIを単に遠ざけるのもよくない」「自ら考え、判断する力を支える道具として、いかに使いこなさせるか」前向きな判断軸が必要という2つの観点が紹介された。

本日の問いとして「AIが当たり前となる時代に、子どもたちの学びをどのように支えるのか」が示された。

基調講演

教育的意図により、人間の能力を拡張するツールに

OECD教育・スキル局局長 アンドレアス・シュライヒャー氏

基調講演は、PISAの創設者で、世界の文部大臣ともいわれる、OECD教育・スキル局局長アンドレアス・シュライヒャー氏。「AIを学びの足場とし、過度な依存を防ぐには」のタイトルで以下の内容を聴衆に語った。

シュライヒャー局長:AIは、学校の正門から丁寧に許可を求めて入ってくるわけではなく、Wi-Fiを通じて、ある日突然、教室の隅々にまで浸透する。この不可逆的な変化を前に、教育者は「過去」の慣習を守る防波堤になるのではなく、「未来」を今ここで生きる先駆者でなければならない。

現在、教育の構造そのものが根底から揺らいでおり、これまで私たちが重視してきた「教えやすく、試験に出しやすい」スキルの多くは、AIが最も得意とする領域で、すなわち情報の高速処理やパターン認識と完全に重なっている。つまり、従来の教育の根幹であった「知識の抽出(Extracting-knowledge)」という行為は、急速にその価値を失いつつある。

これからの教育の目的は、単に既存の知識を頭に入れることではなく、多様な情報を組み合わせて新たな意味を創り出す「知識の構築(Constructing-knowledge)」へとシフトしなければならない。人間独自の価値を再定義し、AIを成長の「足場」として使いこなすための戦略的な転換が求められている。

そのためには、AIを「足場(Scaffold)」とし、「松葉杖(Crutch)」にしないことが大切だ。

自らの思考をAIに外注し、プロセスを飛ばして「答え」だけを手に入れる行為。これに依存すると、自力で歩く(考える)能力は退化し、学習者は自律性を失い、ツールの「受動的な消費者」に成り下がる。AI を、学習者が自力では到達できない高次の思考レベルへと引き上げるための支援、つまり、人間の能力を拡張し、より深い問いを立て、創造性を引き出すための「一時的なステップ」として機能させないといけない。答えではなく、ソクラテス式問答法で返すAIツールも出てきている。

私たちの脳は本能的に「省エネ(利便性)」を好むが、安易にAIを「松葉杖」として使えば、思考の筋力は失われる。AIを「答えを出す機械」として消費するのか、自らの能力を拡張する「足場」として設計するのか。その選択が、学習の質を決定づける。

現在、AIの普及により、教育現場では深刻な事態が起きている。それは、「タスクを完了させる能力(performance)」と「実際に学ぶこと(learning)」の分離である。かつて、課題をこなすことは学習そのものだったが、現在は「一切学ばずに、完璧な課題を提出する」ことが可能になってしまった。幾つかの諸外国の調査からそれを確認したい。

トルコの事例(数学)では、 生成AIを利用して課題に取り組んだ学生は、短期的には劇的な正答率の向上を見せたが、その後、AIを外して概念的な理解(数学的思考)を問うテストを行うと、AI利用者の成績は非利用者よりも低下した。AIが「答えへの摩擦」をショートカットしてしまった結果、学習に必要な思考のプロセスが完全に欠落してしまった。

また、別の米国の事例(エッセイの執筆)では、AIを使って書かれたエッセイは、人間が書いたものより質が高いと評価された。しかし、執筆後に内容を尋ねると、非利用者の9割は自分のエッセイを正確に引用できたのに対し、AI利用者の8割は自分が何を書いたのか覚えていませんでした。学習の本質は「認知的葛藤(Cognitive Struggle)」にある。わからないことと格闘し、既存の知識と新しい情報の間の「摩擦」を乗り越えるプロセスそのものが学習なので、AIがこの摩擦を完全に取り除いてしまうことは、学習の機会を奪うことにほかならない。

AIを「足場」に変えるのは、ツールの性能ではなく、教員の明確な「教育的意図(Pedagogical-Intent)」だ。汎用的なAIをそのまま使わせるのではなく、いかに「教育特化型の設計」に落とし込むか。成功事例はそのヒントを与えてくれる。

それを別の国の事例で見てみたい。英国の事例(エッセイの執筆)では、AIを執筆(アウトプット)ではなく、「調査(リサーチ)」と「視野の拡大」に限定して使用したところ、学生はAIを用いて多角的な視点を集めた後、最終的には自分の言葉で論理を構築することができた。結果として、エッセイの深みと学生の理解度が同時に向上した。

また、インドネシアの事例(言語学習)では、AIを文法の修正のために使うのではなく、自律的な「対話のパートナー」として活用したところ、大人数クラスでは困難だった「対話を通じた言語習得」をAIが補完した。そこではAIとの共同学習を通じて、議論の質と創造的な言語運用能力が引き出された。

教員はもはや「知識の伝達者」ではなく、学習環境の「デザイナー」にならなければならない。どのプロセスでAIを介入させ、どのプロセスで「認知的葛藤」を残すのか。その絶妙な設計思想にこそ、AI時代の教員の専門性が宿る。

すべての子どもに「AIを主体的に使いこなす力」を

AIが瞬時に「正しい答え」を生成できる世界では、結果のみを問う従来の評価制度は崩壊する。そこでは評価のあり方を根本から再設計する必要がある。解答ではなく、そこに至るまでの試行錯誤、AIへの問いの質、そして思考の変遷を評価対象としなくてはいけない。

2027年公表予定のPISA2025の結果からは、解答の正誤だけでなく、学習者がどのように課題を解決しようとしたかという「プロセス」を評価する新しい取組が明らかになる予定だ。また、「学んだ後に試験を受ける」というやり方ではなく、見習い制度(Apprenticeship)のように、学習の過程でリアルタイムにフィードバックを行う仕組みへと移行することが大切である。AIを活用した学習分析(ラーニング・アナリティクス)により、一人ひとりのつまずきに寄り添う「形成的評価」を日常化させることが可能になるだろう。総括的評価から形成的評価へのシフトでは、学期末の一斉テストによる「格付け」から、日々の学習を改善するための「ナビゲーション」へと評価の目的を変えることができる。

AIは既存の格差を解消する可能性を秘めているが、一方で、使い方の質によっては「新たな能力格差」を増幅させるアクセラレーター(加速装置)にもなり得る。例えば、デバイスを、子どもを静かにさせるための「デジタルな子守役(松葉杖)」として、受動的に消費させている時間が長ければ、親子の対話を通じて育むべき「社会・情緒的スキル」の発達が阻害されるだろう。

経済的な格差が、そのまま「AIを主体的に使いこなす力」の格差へ直結しないよう、格差を埋め、すべての子どもに「責任ある利用」を保障することこそ、公教育の新たな使命と思われる。AIリテラシーを、単なる操作スキルの習得ではなく、「知識・スキル・態度・価値観」を統合し、自分自身の思考を確立するための力にする必要がある。

AI時代にこそ研ぎ澄ますべき「21世紀のリテラシー」を再定義しなくてはならない。AIの出力を鵜呑みにせず、アルゴリズムの仕組みを理解し、背後にある意図やバイアスを読み解く力。 異なる背景を持つ他者と協働し、複雑な人間関係を構築する力。「何のためにAIを使うのか」という、人間独自の意図を持つことが大切だ。

日本においては、「GIGAスクール構想」によってハードウェアの整備は進んだが、大切なことはその先にある。デジタル化を進める一方で、アナログな教科書や「書くこと」が育む深い思考力も軽視してはならない。デジタルとアナログ、AIと人間。これらを対立させるのではなく、互いの強みを引き出す「教育的意図(pedagogical intent)」こそが求められている。

後編では、パネルディスカッションの模様をリポートする。

取材・文・写真:学びの場.com編集部

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