2007.10.23
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小学校英語必修化へ その意義と実践事例リポート

小学校における英語活動が必修化される見通しだ。すでに総合的な学習で実践している学校や、英語特区として地域全体で取り組んでいる事例はあるが、活動の内容や方向性は統一されていない。必修化の是非についてさまざまな声が上がるなか、学校現場の不安は高まっている。そこで今回は、小学校での実践事例と有識者の提言をまじえながら、小学校英語の意義についてリポートする。

小学校英語必修化へ~その意義と実践事例リポート

小学校英語活動事例 ゲームで体験する「英語でコミュニケーション」

クラス: 下野市立古山小学校2年2組
指導者: 黒子夏美教諭(学級担任)、メアリ・チュクさん(ALT)
テーマ: なにがすき? やさいやくだもの
ねらい: (1)歌やゲームを通して、野菜や果物に関する英語に興味を持つ。
(2)英語音を楽しみながら、英語の言い方に親しむことができる。
(3)歌やゲームを通して、進んで人と関わろうとしている。

 栃木県下野市立古山小学校では、文科省の研究指定(小学校英語活動等国際理解活動推進事業)のもと、「Let’s Try! ウキウキ古山 楽しい英語活動 ~表現・コミュニケーション能力の育成を目指して~」をテーマに実践研究を行っている。活動の一例として、2年生の授業内容を紹介する。

13:40~

1.あいさつと歌でウォーミングアップする (8分)

黒子夏美教諭(学級担任)、メアリ・チュクさん(ALT)
メアリ・チュクさんと黒子夏美教諭

 黒子教諭とメアリさんの“Hello, everyone. How are you?”の問いかけに、子どもたちが声を揃えて“I’m fine. How are you?”と答えて授業がスタート。







 色の呼び名を盛り込んだ歌「Colors」を全員で歌ったあと、身体を動かす「Falling down game」を行い、英語を楽しむ雰囲気をつくる。授業中はすべて英語のメアリさんに対し、黒子教諭は必要に応じて日本語で声をかけたり、指示を与えたりする。

13:48~

2.今日の活動テーマとめあてを知る (15分)

 黒子教諭が「今日のめあてはこれです」と言いながら、「野菜やくだものの言いかたを知って友だちと仲よく料理をつくろう」と書いた紙を黒板に掲示。全員で読み上げ、理解させる。

 次にメアリさんが、「?」マークの箱から野菜や果物のイラストカードを取り出し、“What’s this?”と質問する。本時で扱う単語はすべて学習済みなので、子どもたちは“carrot”“potato”“grape”“apple”と難なく答えていく。所々で、“It’s green and long”といったヒントを出し、イラストの一部を見せてすぐに引っ込めるといった遊びを入れると、「cucumberだ、cucumber!」「それcabbageだよ!」と大騒ぎに。

 メアリさんが取り出したカードを示しながら、“onion”などと発音すると、子どもたちはあとに続いて復唱する。“repeat”と指示して発音させるのではなく、「発音する意味のある場面、言いたくなる状況」をつくることによって、自発的に声を出させているのが同校の授業の特徴。

 

14:03~

3.ゲームを通じてコミュニケーションを楽しむ (15分)

 今回の授業では、コックさん役の子どもがお店を回り、好きな野菜や果物を集めて料理をつくるというゲームを行う。まずは教諭とメアリさんがスキットを演示し、活動のイメージを掴ませる。

 続いて子どもたちが、コック役とお店役に分かれてゲームを開始。コック役が“A potato please”と注文すると、お店役は指定された野菜のシールを“Here you are”と差し出す。コック役は“Thank you, Goodbye”とお礼を言い、受け取ったシールを、カレーの皿が描かれたワークシートに貼る。シールは3枚貼れるようになっており、お店を回って3種類の材料を仕入れるとカレーが完成。最後にメアリさんにワークシートを見せ、“What’s this?”の問いに“This is potato, this is onion, and this is apple.”などと答え、コミュニケーションを図りながらご褒美のシールをもらう。

 教室内を動きながら子どもに声をかけていく黒子教諭に、「先生、全部果物にしたよ」と出来映えを自慢するコックさんや、「やばい、potatoなくなっちゃうな」とシールの在庫を心配するお店やさんなど、ゲーム中は賑やかだ。
 各自2皿のカレーをつくることを目標とし、早くできた子どもはサラダやデザートのワークシートにも取り組む。6分前後で時間を区切り、役割を交代して2回目を行う。

 

14:18~

4.今日の活動を振り返る (7分)

 振り返りカードに、活動内容の自己評価や感想を書き込む。この日は、「友だちや先生と楽しくゲームができた」「野菜や果物の名前をたくさん言えたのでよかった」といった声が上がった。

 最後に、“Goodbye everyone. See you next time.”と声をかけるメアリさんに、“Thank you very much, See you.”と全員で答えて授業を終える。


子どもも教師も楽しい活動で、「伝え合う力」を育成
下野市立古山小学校 鈴木一恵 教諭

下野市立古山小学校 鈴木一恵 教諭

下野市立古山小学校 鈴木一恵 教諭

25年あまり小学校教諭を務め、「英語とは縁もゆかりもなかった」という鈴木教諭。子どもは主体的に自己表出しようとするとき、あふれるほどの感情を言葉やしぐさ、表情などで身体いっぱいに表現することを生活科や総合的な学習を通して実感。英語活動においてもその思いを強くしている。平成17年、市のモデル校指定と同時に研究主任に。現在は同校の英語活動全体を統括しつつ、TTで指導にもあたっている。





「子どもの姿」をもとにつくりあげたカリキュラム

 同校では6学年全体で英語活動に取り組んでおり、1、2年生は予備時間を活用して年間20時間、3~6年生は総合的な学習の枠内で同35時間を確保している。

 研究主任の鈴木一恵教諭は、
「英語活動の目標は、自分の言葉で考え発信する力、積極的に人と関わる態度といった『伝え合う力』の育成で、“Eye contact” “Pretty smile” “Round voice”を目指すべき具体的な子どもの姿としています」と説明する。
(注:round voiceは「やわらかで美しい声」という意味。loud voice「大きな声」という意味ではない。)

 英語は、こうした資質や能力を育てるための題材のひとつと位置づけている。このため、単語の発音やスペル、文法といった具体的なスキルについては、どの学年でも習得目標を設定していない。


動物のパペットは、ALTと担任がトピックにあわせて用意したスキットなどを見せる際に使う。高学年の子どもにも受けが良く、「子どもの前で会話を見せるのが恥ずかしい先生にとっては、照れ隠しの道具にもなるんですよ」と鈴木教諭。

 今回紹介したのは2年生の活動だが、子どもの生活に密着した題材を選び、ゲームや歌を中心にコミュニケーションを楽しむという流れは高学年も同じだ。本格的なスキル習得を目標としていないので、難しい単語や文章が増えて英語の内容が高度になっていくという変化もない。

 その代わりに高学年では、
「自分たちでゲームをつくったり、自分の好きなものを英語で紹介したりするなど、子どもが自発的に他者と関わったり、自己表現したりする活動を増やしている」という。
 また高学年の授業づくりにおいては、活動の動機づけと、相手意識・目的意識を高める場面設定をより重視していると話す。


授業では英語の文字指導を行わないが、4年生でのローマ字学習後、アルファベットに関心を持つようになることに対応して、ピクチャーカードにさりげなくスペルを記入して用いている。関心の高い子は、紙に写し取ってみたり、「どう読むの?」とALTに尋ねたりしている。

 「以前、その日の天気をテーマに会話をするという活動をしてみたのですが、子どもは乗ってきませんでした。外を見れば一目でわかることを、『今日の天気は何ですか』などと英語で話すことに必然性を感じなかったからでしょう。そこで、天気のカードやさいころを各グループに渡してみたところ、子どもたちは思い思いのゲームを考え出し、コミュニケーションセンテンスとして教わった“How’s the weather?” “It’s sunny.” などの声が教室いっぱいに響き渡ったのです。こうした子どもの反応を見ながら、活動内容を工夫したりトピックを入れ替えたりした試行錯誤の成果が、現在の本校のカリキュラムです」。

英語と国語の関連が子どもたちの力に

 「子どもの姿から学び、子どもが楽しく参加できる授業をつくる」という同校の活動コンセプトは、指導する教員にもメリットがあると鈴木教諭は言う。
 「子どもが喜ぶ姿に乗せられて、英語の指導に抵抗感や不安感を持っていた先生方も積極的に取り組んでくれるようになりました。『子どもも先生も楽しく』という考え方が、学校全体で活動を進める原動力になっているのです」。

 英語活動だけでなく、国語科でも「伝え合う力」の育成を重視している点も同校の特色のひとつだ。国語科では、教科学習はもちろん、各クラスで毎朝の1分間スピーチを継続するなど、相手意識・目的意識を持って発信したり、相手の言葉を受け取ったりする場面を日常的につくっている。

 「朝のスピーチなどで自分の思いを相手に伝えられたという充実感は、英語活動への意欲につながります。英語でのコミュニケーションを通じて身につけた“Eye contact” “Pretty smile” “Round voice”は、国語(日本語)で伝え合う活動にも反映していきます」。
 学習場面だけでなく、教職員や来客へのあいさつといった日常の姿にも変容が見られ、
「国語(日本語)と英語活動の相乗効果が子どもたちの力を育んでいることを実感します」と同教諭は言う。

「必修化」で増える教員負担にも配慮を

  同校では平成17年に市のモデル校指定を受けてから、3年に渡って英語活動に取り組んできた。これまでの経験を踏まえながら、教諭自身は「小学校英語の必修化」に向けた課題をどう見ているのだろうか。

 「さまざまな課題に対する条件整備が必要だと思います。特に教員の負担増への配慮ですね。私たちは実験校という立場ですが、『英語活動の導入に負担はない』とは言えません。週1回実施するとなると、教材研究や、担任同士、ALTとの授業内容の打ち合わせにも相当な時間が必要です。そのための時間をどう確保するかが課題になるでしょう」。

 鈴木教諭は現在、学級担任を持たず、学年団や担任・ALT間の調整役などを務めながら、高学年の活動ではTTの指導にも入っている。各校にこうしたコーディネーター的な役割に専念できる人材がいれば、学級担任の負担もある程度軽減できるのではないかと提案する。

 教員の指導力向上の場としては、校内での授業研究や朝のショート研修、市内公開を視野に入れた授業研究会、さらに、県の英語活動推進者養成研修(4日間)、市や郡の実技研修(各1日)などもある。こうした機会に英語活動の具体像を掴み、自信を持って指導に取り組むようになった教員も多いという。
 しかし、こうした短期間の研修では解消できない問題もあると教諭は指摘する。小学校の教員のほとんどは、子どもが言語を習得するプロセスを理論的に知っているわけではない。このため、言語スキルを体系的に指導するといった要素が英語活動に入ってくると、カリキュラムの作成も指導も非常に困難になる。

 鈴木教諭は、
「だからこそ、すべての学校で取り組む際には、英語活動として目指すべき基本線を明らかにすることが大切」とし、
「それがコミュニカティブで楽しいものを目的にするのであれば、本校のように、子どもの感性を大切にしながら、先生方も子どもと一緒に楽しみながら授業をつくっていくことができますし、子どもたちも知らず知らずのうちに英語の世界に浸ることができるのではないかと思います」と話す。


小学校英語導入への課題と期待
授業と学校を変える「コミュニケーション」の力
宇都宮大学教育学部 渡辺浩行 教授

宇都宮大学教育学部 渡辺浩行 教授

宇都宮大学教育学部 渡辺浩行 教授

コミュニケーションのための英語教育およびコンピュータを活用した言語教育(CALL)を実践・研究。大学では学生の指導のほか、英語教員の研修にも携わる。中学・高校・大学が連携した「英語教育のあるべき姿」について積極的に提言している。

これからの「小学校英語」を理解できる研修の場を

学びの場.com(以下学びの場) 先生は「小学校英語の必修化」についてどういう考えをお持ちですか。

渡辺浩行(以下渡辺) 前提としてお話しておきたいのは、「英語」と「コミュニケーション」は別物だということです。これは日本語も同じで、「コミュニケーションを伴った日本語」もあれば、「コミュニケーション抜きの日本語」というものも存在します。

 私は、「コミュニケーションを伴った英語教育」については、小学校段階から導入する必要があると考えています。
 ひとつめの理由は、現在の中学1年生英語科で扱っている言語材料が稚拙で、発達段階に合った年齢、小学校高学年かそれ以下にまで降ろしたほうがいいだろうということ。たとえば小学校低学年ならば、野菜や果物の名前といった簡単な言語材料でも子どもは喜んで授業に参加し、英語で積極的にコミュニケーションをしようとしますが、同じ授業を中学校で行うことはできません。できることは適切な段階でやっておいたほうがいいのです。

 もうひとつの理由としては、東南アジアの国々の現状があります。小学校で英語教育を行っていない国は、すでに日本以外には1、2カ国しかありません。
 小学校英語の是非については、「国語力を含めた学力低下の問題を優先すべきで、英語は中学校からで十分」といった意見もあります。私は、そうした考え方を持っている人にこそ、外を見てほしいと思っています。アジアの国々も、日本と似たような学力や教育上の諸問題を抱えているのです。しかしそうした障害をクリアし、研修を行って教員の指導技術を高め、小学校で英語教育を実践しているという現実がある。それと同じことが日本ではできないと考える根拠はどこにあるのでしょう。

学びの場 冒頭で、「英語」と「コミュニケーション」は別物というお話がありましたが、この点はどう捉えればよいのでしょうか。

渡辺 「コミュニケーション」というものは、日本語でも英語でも韓国語でも、言語を入れ替えても残っているものです。たとえば、隣の席の友だちが具合の悪そうな顔をしているとき、「大丈夫? 保健室に行く?」と声をかけられるのは日本語のコミュニケーションでしょう。でもその言葉が出てくる前に、相手の表情の変化を読み取ったり、その場の状況も踏まえて「何かしてあげたほうがよさそうだ、どうすればいいだろうか」と考えたりする過程がある。それは、日本語にも英語にも共通している部分なのです。

 現在の日本語教育ですら、小学校から高校までを見通しても、こうした「コミュニケーション」という要素は薄い。これまでの英語教育も「コミュニケーション」に目を向けたものではありませんでした。
 いまの小学校には、「コミュニケーションを伴った英語教育」を受けてきた教員は少ないですから、「小学校英語」という言葉から、従来の「コミュニケーションを伴わない英語教育」を連想し、不安を感じたり、反発したりするのは当然です。だからこそコミュニケーション・ベースの英語教育を学ぶ教員研修が必要なのです。研修なくして、指導力が身につくはずがありません。

学校間の「温度差・格差」を埋める手だてが必要

学びの場 研修の多くは自治体単位での取り組みになりますから、地域間の格差なども問題になりそうですが。

渡辺 新しいことを始めれば格差は生まれるのは当然です。小学校英語も、実践研究を行っているパイロット校では、ゼロからスタートして多くの苦労を経験しながら成果を上げています。一般の学校とこうしたパイロット校を比較すれば、「格差」があると言えます。

 しかし、パイロット校が得たノウハウを地域の他の学校へ広めるような手だてがあれば、先行した学校と同じ課題を抱えて苦労するケースを減らすことができるし、より効率的に学校としての実践の質を高めることができます。こうなれば、「温度差」だとか「格差」を必要以上に問題視することもなくなるでしょう。

 そこで重要になってくるのは、国や自治体が、英語を含めた教育に対する長期的な展望を持つことであり、ビジョンを実現していくために継続的な予算措置をとることです。しかし日本には、展望もなければ予算もない。これは教育行政の問題であり、突き詰めれば政治の問題と言えるのでしょう。

学びの場 「人・もの・カネ」をセットにして、実践を支える環境を整備していく必要がありますね。

渡辺 例えばICTの教育利用にしても、PCやネットワークといったものが入ってくれば、それを使いこなす人の問題が出てくる。人を育てて、ものを整備するためにはカネが必要であるというように、互いにつながっているんです。

 英語教育では、カリキュラムや教材などが「もの」に当たりますが、これも早急に整備しなければなりません。学校独自にカリキュラムをつくるのは大変ですから、一定のモデルとなるようなものを自治体でつくって学校へ提供する必要があるでしょう。単につくるだけではなく、現場の声を反映したカリキュラムを開発し、学校で実施してみて、見えてきた課題をフィードバックして修正していくという継続的な取り組みが大切です。

学びの場 特区として取り組んでいる事例から、先進的なパイロット校、総合的な学習の一部として扱っている学校まで、英語活動の目的や内容はすでに大きく異なっています。必修化とともに足並みを揃えることはできるのでしょうか。

渡辺 導入後は、さまざまな英語活動のあり方が見られるでしょうね。中学校の授業を前倒しするような事例もおそらく出てくると思います。私は、子どもの実態に合わせて内容をアレンジしてあれば、それでもいいと考えています。文法的な指導なども、子どもの実態から必要と判断されるのであれば取り入れてもいいでしょう。

 最初からパーフェクトな活動内容をつくることなど不可能です。大切なのは、ある程度の揺れや誤差は受け入れながら、次につなげること。英語教育に関するさまざまなプロジェクトなどを見ても、せっかく得た成果や課題が次につながらず、単発で終わってしまっている印象が強い。

 教育に対する長期的な展望がないことが根本的な問題です。グランドデザインがないままに小手先で変化をつけようとするから、ひとつ案を出すたびにいろいろな方面から問題を指摘され、八方美人的な修正案をつくっているうちに、本当にやろうとしていたことが見えなくなってしまう。「ゆとり教育」などはまさにそうでしょう。

先生も子どもと一緒にコミュニケーションを学び実践する

学びの場 内容に揺れや誤差が出るとしても、小学校に英語が本格的に導入されることは大きな変化ですね。

渡辺 その通りです。そして導入する以上は、これまでの教育や、英語教育が抱えてきた問題を少しでも改善する方向に持っていきたい。そのとき、教育を動かしていく力になるのは、「英語」ではなく「コミュニケーション」という要素なのです。

 私は指導者として古山小学校を何度も訪れていますが、先生方は、英語でのコミュニケーション活動を実践するようになって、子どもたちが変わったと話しています。そこで、ほかの教科でも「コミュニケーション」を重視するようになったと言います。

 子どもたちがコミュニケーションする姿を見るということは、一人ひとりに目を向け、その変化を見取るということです。そこから、授業そのものを子ども中心に捉えようとする視点が生まれました。教師の指導テクニックよりも、子どもの変容を重視するようになってからは、先生自身が自らの授業を積極的に公開するようになりました。そして養護教諭の先生まで授業研究に参加し、それぞれの目で見た子どもの変化を報告し、オープンな議論ができるようになったそうです。
 自分の授業を人に見せて指導技術を評価されるのを嫌がるといった、日本の学校現場が持っている風潮や文化も、「コミュニケーション」の導入によって一新される可能性があるのです。

 私自身は、こうした変化が他の校種にも伝わることを期待しています。小学校英語という新しい要素が入ることによって、中・高・大学の先生も「コミュニケーション」の大切さに気づき、自分の授業を見直してくれるといいですね。

学びの場 これから英語必修化を前に、不安を感じている小学校教員も多いと思いますが。

渡辺 現場の先生方の多くは、自分に英語指導の知識がなく、言語習得のプロセスも知らないことを不安に思っているかもしれませんが、必要以上に心配することはありません。
 知っているほうが望ましいことは事実ですが、「私たちは英語のプロではないのだから、知らない」という認識を持つことによって、かえって子どもの反応を注意深く見るようになるのですから。

 そして、いま現在のこともそうですが、1年後、3年後も見据えながら、自分の英語でのコミュニケーション力を、子どもたちと一緒に磨いていってほしいと思います。子どもと一緒に学ぼうという前向きな姿勢を持っている人は、英語でコミュニケーションする力も自然と身につけていくものですよ。

小学校英語の必修化をめぐる動き

 小学校での英語活動の必修化が話題になるのは今回が初めてではない。
 2005年10月には中教審の答申に、「小学校段階における英語教育の充実」が盛り込まれたことが大きく報じられた。
 翌年3月には、先の答申を受けた専門部会が「高学年で年間35時間程度」といった具体的な枠組みを検討していることが明らかとなり、賛否両論を呼んでいる。
 今年8月には、指導要領改訂に伴う教育課程の再編成により、主要教科の時数増加とともに「小学校英語」のための時間枠を確保する方針を文科省が固めたとしてメディアに取り上げられた。

 必修化に対しては、現状では否定的な意見が多い。学びの場.comが今年9月に行ったアンケートでも、「反対」が7割を占めた。理由としては、「既存教科の基礎基本の定着が最優先」「英語の前に国語力を育てるべき」といった声が目立つ。また、教員の英語指導力の不足、カリキュラムや教材の未整備など、「教えるための環境が整っていない」という現実もある。

 「目的があいまいなまま導入しても、現場は混乱するだけ」という指摘も厳しい。そもそも「小学校英語」という言葉自体、目的や内容に対する共通理解がなされないまま、必修化の要・不要論とともに一人歩きしてしまった印象がある。

 「小学校英語」の目的や内容に関しては中教審委員の見解も割れており、最近では「小学校段階における外国語活動(仮称)」という用語が使われるようになるなど、表面上の「英語色」は薄くなっている。この活動については現在、「教科としては位置づけず、数値的な評価も行わない」ものとし、「国が共通教材を提供することも検討中」とされているが、最終的にどのような形で学校現場に導入されるのか、先行きは不透明だ。

 

記者の目
初代文部大臣の森有礼は、近代学校制度の創設に尽力する一方で「英語公用語化論」を主張した。戦後、小説家の志賀直哉は、「60年前、森有礼が英語を国語に採用しようとした事」を想起しつつ、「不完全で不便な日本語」と別れて、フランス語を国語にしてはどうかと提言した(「国語問題」、1946年)。それから60年後、この国は「小学校英語」で揉めている。森や志賀の壮大さに比べると今回の構想はスケールこそ小さいが、検討すべき課題は山積みだ。ならばこの機に、学校教育での国語と外国語のあり方や、「コミュニケーション」をどう教え学ぶかといった大きなテーマを、社会全体でじっくり話し合うべきではないだろうか。導入の是非を論じるのは、それからでも遅くはない。

 

取材・文:栗林俊晴/写真:言美歩 ※写真の無断使用を禁じます。

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