『フィンランドの言語教育に学ぶ日本の英語教育』をリポート 〜日本の言語教育を見つめ直す〜
PISA(OECD生徒の学習到達度調査)で常に上位にランクインするフィンランド。今回レポートするシンポジウム(『言語とアイデンティティの視点からーフィンランドの言語教育に学ぶ日本の英語教育ー』)では、フィンランド教育から、今後グローバル社会を生きるために日本に必要な言語教育とは何かを模索した。今回はシンポジウム内で話された、日本とフィンランドの研究者による研究結果と考察の発表の様子をお伝えする。
【主な登壇者】
大久保 昇……株式会社内田洋行 代表取締役社長
山田 郁子……Kuu.365 Early Years Development & Learning
原田 哲男……早稲田大学 教育・総合科学学術院教授
ラッセ・リッポネン……ヘルシンキ大学教育学部 教授
マリ・カラヤ……ユヴァスキュラ大学附属小学校 外国語教師
矢田 匠……ユヴァスキュラ大学 博士課程
デイビッド・マニー……Kuu.365 Early Years Development & Learning 言語習得スペシャリスト
伊藤 俊典……東京都港区立小中一貫教育校 白金の丘学園 白金の丘小学校・白金の丘中学校校長
グローバルな目線で語学教育を見つめ直す
「基調講演:言語とアイデンティティ」
大久保 昇
「10年前に私がフィンランドを訪れた際には、数学の授業で単に公式を覚えるのではなく、因数分解について議論をしていたことに驚きました」
と、シンポジウムの冒頭、自身の経験を語るのは長きに渡り教育事業に携わる内田洋行社長・大久保氏。識字率も高くきめ細やかな日本の教育レベルとフィンランドのそれとの差は大きく変わらないはずだが、授業の様子は明らかに異なっていたという。新学習指導要領の改定が2020年に迫り、グローバル社会に対応できるよう英語教育が拡大され、「主体的・対話的で深い学び」に大きくシフトする日本の教育現場。本シンポジウムに対し、フィンランドの教育を参考に、より良い方向に向かうことを期待すると述べた。
「マルチリテラシーと言語教育 フィンランドのパラダイムシフト」
山田 郁子
世界の人口は77億人、うち日本語のシェアは1.7%(1.2億人)、対して英語は14.3%(11億人)。主要ウェブサイトでの使用言語としては英語が53.1%と断トツであり、世界の共通語であることを示した。膨大な国際的な情報を理解するために、日本には英語による情報リテラシーを高める必要があると、日本が置かれている状況を語った。
フィンランドでは、小学校高学年になれば英語が話せるようにカリキュラムが組まれているという。言語習得を牽引しているのが、幼児期からのマルチリテラシーやTransversal Competence (横断的能力)を養う学び方だ。例えば、体育の授業、オリエンティアリングでは、言語と教科を組み合わせたCLIL(Content and Language Integrated Learning:クリル)を採用し、英語で書かれた地図や問題を片手に自然の中を歩き、記号の読み方を学ぶ。体育、地理、英語が掛け合わされているのだ。体を動かし五感を働かせながら無理なく言語を学ぶことができる仕組みになっている。
「第二言語習得研究から見た二言語・多言語教育:CBI/CLILの再考」
原田 哲男
イマージョン教育(※)、第二言語習得を研究している原田氏は「二言語以上を話せる人は世界の人口の2/3以上。世界には6000〜7000の言語が存在し、平均してみると1カ国に32〜37言語が存在しています」と多言語使用の実態を話す。日本のように一言語しか話さない方が少数派なのだ。
さらに、日本の英語教育では暗記ばかりで「英語で何を学んだのか」という実体験がないことを問題視する原田氏。フィンランドでは先述したCLILの学習方法が盛んであり、スウェーデン語イマージョン教育の場合、小学校低学年から授業の85%がスウェーデン語で行われ、中学年になると英語やドイツ語などを外国語に行われる割合が増えていく。このように、CLIL(例えば外国語で数学などを教える)の方式をとることで、児童生徒自身が外国語を通して思いを伝えたいという体験をし、それが外国語を学ぶ動機づけにつながるのだ。「言語が実際に使われる最も近い場面」で言語形式を学ぶことが多言語習得には不可欠な要素だと述べた。
※イマージョン教育…母語とは違う第二言語で通常教科の全て、または一部を教える教育的試み。
「Teacher’s role in high quality early childhood education(質の高い幼児教育における、教師の役割)」
Lasse Lipponen(ラッセ・リッポネン)
ヘルシンキ大学教育学部の教授であり、幼児教育を専門とするリッポネン氏は、「幼児教育は将来的に人間性に影響を及ぼす大切な時期であると、現在世界各国の政治家の間で注目が集まっています」と幼児教育への関心の高さを語った。質の高い教育を受けるのは子どもの権利であり、そのための幼児教育のシステムをいかに構築するのか、世界的に研究が進められているという。
「上質な幼児教育を提供するには、質の高い教師を育成することが基盤になります」と語るリッポネン氏。フィンランドの場合、教師は誰もが尊敬される存在であり、人気の職業。目指す人の1割しか教師にはなれないという、選び抜かれた人材である。教師になるためには「良い教師でありたい」という高いプロ意識が大切なのだ。また、教師に求められることは“ある学問についての特化した知識”ではなく、“その学問を実践の場で「どのように教えるのか」を主体的に考え探求すること”であるとフィンランドの教師の特徴を説明した。
ただ、いかにモチベーションの高い教師を育てるのかということについては明確な答えがないのが現状だ。また、教師としてのキャリアの途中で、いかにその能力を維持し、開発していくのかが、今後の課題になっているという。
フィンランドの言語教育の現場
「Learning English is child’s play!(英語学習は、子どもにとっての遊び)」
Mari Kalaja(マリ・カラヤ)
初等教育の専門家であるカラヤ氏。彼女は英語に加えてフランス語も教えており、今回は彼女自身が実際に行っている、小学校低学年での外国語教育の様子や指導法を紹介した。
彼女の授業で一番大切にされていることは「コミュニケーション」。特に幼い子どもの教育の場合には、多様なアクティビティなどで好奇心をくすぐり、モチベーションを上げる工夫が必要だと話す。そのため、授業は日常会話から始まり、児童の様子を見て、疲れている様子であれば文法などの難しいことは教えず、過去の復習や単語のゲームなどに切り替えることもあるようだ。
彼女が実際に行っている単語ゲームの内容を以下のように説明してくれた。
「児童には自分の持っているペンケースの中身を3つ、隣の席の友人に“I have a pencil.”というふうに母国語以外の言葉で説明してもらいます。中には単語の名前が出てこないものがあります。そうして児童自身が何がわかっていて、わからないのかを自覚することができるのです。児童の組み合わせを変えて何度か繰り返したら、教師は児童が持ってきたものを黒板に書き出します。こうして教師は児童の理解度を知ることができます。同じゲームを3〜4回繰り返すことでより、児童たちはしっかりと覚えることができるでしょう」
このように幼い子どもたちが主体的に学ぶために、フィンランドの教材には遊びながら学べるアクティビティがいくつもあるという。じっとしていられない子どもの特性を活かし、身体を動かす学び方なども重視されていることを語っていた。子どもたち一人ひとりが積極的に、ポジティブな気持ちで参加できる授業づくりがなされているのだ。
「フィンランドにおける教師の成長と教育リーダーシップ」
矢田 匠
ユヴァスキュラ大学で研究を進める矢田氏の研究テーマは「Educational Leadership(教育リーダーシップ)」。実はこれがフィンランドの教師の主体性を支えていると矢田氏は考察する。
“リーダーシップ”と聞くと、“チームを統率するリーダーに必要な素質”という個人に言及する言葉のイメージがあるが、ここでいう“Education Leadership”とは“共通のビジョンや目標、価値を達成するための、学校組織による組織的な協働プロセス”とされ、組織に関わる全ての教員がリーダーシップを発揮できるように環境が整えられている。
例えばフィンランドでは若いうちから『校長養成プログラム』を受講することができ、30代半ばの校長も存在する。また、こうした取り組みの中で“主体性”が高められ、さらに研究を進めたい者は校内研修や勉強会を開いたり、大学や教育機関が開催するセミナーに参加することも可能だ。1年間以上の長期の有給休暇を取得し、修士課程や博士課程に通うことにも寛容な環境が整っていると語る。
日本の言語教育への期待 〜『Organic Growth』〜
「A New Approach to Language Education – Insights from Finland(フィンランドに学ぶ、言語教育への新しいアプローチ)」
David Manny(デイビッド・マニー)
本シンポジウムを企画したKuu.365言語習得スペシャリストを務めるマニー氏は、「フィンランド人が多言語教育に対応できていることを、国民性や環境の違いにあると考える人もいるかもしれませんが、実はそうではありません。フィンランド人は人見知りで有名ですし、外国語の使用頻度も観光客と話すくらいしか英語を使う機会はないのです」と、日本とフィンランドの環境は大きく変わらないことをデータをもって示した。
そして今後日本の言語教育が発展するためには、ストレスが無く、無理のない継続可能な成長「Organic Growth」が鍵だと説いた。
フィンランドについて注目すべきは言語教育で成功を収めているという“結果”ではなく“プロセス”。フィンランドでは成績の順位付けも、学校の偏差値も、塾に通わせることもしないという。児童生徒一人ひとりのペースを大切にし、「誰かに勝つため」ではなく、「幸福を追求するため」に学ぶというアプローチが重要なのだ。つまり、世界共通語に対する興味は、世界に興味をもつような教育環境を用意したその先に広がっていく。子供たちの好奇心を引き出すことで、主体的に言語を学習する意欲「Agency」を活性化させるのだ。
このように、日常生活のなかで常に主体的に行動する意欲「Agency」を持ち、21世紀を強く生きる真のグローバル人材を育てることが「Organic Growth」の目的であり、日本の言語教育の目指す姿であると期待を述べて本シンポジウムを締めくくった。
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日本の英語教育〜東京都港区の取り組み〜
最後に、上記のシンポジウムを企画したKuu.365 Early Years Development & Learningが別日程で開催した『「英語はいつから、どうやって学ぶ?」−フィンランドの言語教育に学ぶ日本の英語教育』から、東京都港区が行っている英語教育の事例もご紹介したい。
大使館が集中し、学校によっては児童生徒のうち2割が外国人ということもあるという港区。言語学習の必要性に迫られる状況だ。
東京都港区立小中一貫教育校 白金の丘学園の校長、伊藤俊典氏は「予測困難な未来社会の中で、世界の人々と共生しながら、新たな課題へも自らの資質・権力を駆使して主体的に対応していけるように教育を行う必要がある」と述べ、そのために言語教育の充実が重要であると強調した。
そこで港区では小学校1年生から週2時間「国際科」という授業を実施し、区から派遣されるネイティブティーチャーと学級担任が二人体制で英語の指導を行っているという。低学年では「聞く力」を中心に、中学年では初歩的な英語でやりとりをし、外国文化への関心を育む。高学年では「国際人としての資質を養う」カリキュラムとなっている。ただ単に英語を覚えるのではなく、英語で自信を持ってコミュニケーションができる力を養うことが「国際科」の狙いだ。
また、「ネイティブティーチャーは授業時間だけ学校に滞在するのではなく、終日学校に勤務しています」と、児童生徒がいつでも英語でコミュニケーションがとれる学習環境であることが説明された。さらに、英語を活かす機会を作るため、近隣の大学や中学校と連携して学習したり、夏休みにはオーストラリアへの海外派遣プログラムも用意している。また教員に対しても、国際科の担当教員(日本人)向けに月に1度研修を実施し、区として指導力の強化を図っているという。
現在、港区では独自の「国際科」の教科書を新しく作り直し、2019年4月からの導入を予定している。こうした区全体の取り組みの結果、全国学力テストの意識調査でも、「将来留学したり、国際的な仕事に就きたいですか?」という質問に対して、全国の平均を上回る結果につながっているという。
学習指導要領の改定に伴い、言語教育を見直す必要に迫られる日本の教育現場。言語教育に対し積極的に取り組みを進める港区に、今後も注目が集まりそうだ。
【開催概要】
『 グローバル社会を生きる知性とは
言語とアイデンティティの視点から―フィンランドの言語教育に学ぶ日本の英語教育―』
日時:2019年1月23日(水)
会場:早稲田大学 早稲田キャンパス14号館 201教室
主催:早稲田大学 教育・総合科学学術院 教育会
共催:スーパーグローバル大学創成支援事/Kuu.365 Early Years Development & Learning
後援:フィンランド大使館/フィンランドセンター/日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念事業
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※本シンポジウム挨拶にて、早稲田大学教育・総合科学学術院教授 小林敦子氏より、文部科学省が推進する「スーパーグローバル大学創成支援事業」に指定され、また、国内外の大学院生による研究発表も行われるなど、教育的取り組みの促進事業としても開催されたことが紹介された。
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『「英語はいつから、どうやって学ぶ?」
フィンランドの言語教育に学ぶ日本の英語教育―グローバル社会を生きる知性とは「言語とアイデンティティ」―』
日時:2019年1月26日(土)
会場:株式会社内田洋行 新川本社 ユビキタス協創広場 CANVAS
主催:Kuu.365 Early Years Development & Learning
特別協賛:株式会社内田洋行
後援:フィンランド大使館/フィンランドセンター/日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念事業
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記者の目
シンポジウム開催後、主催者であるKuu.365の山田氏はこう話してくれた。
「ネイティブでなくてもいいんです。フィンランドでも、母語でない言語を教えることに不安を感じる先生方は少なくありません。実際彼らは、ネイティブ発音のオンライン教材や、ゲームなどのアクティビティをうまく活用しています。そして何より、子どもたちが楽しく学べる環境づくりを大切にしているのです。」
一般向けに開催された1月26日のシンポジウムには、多数の現役教職員が参加し、大きな反響があったそうだ。基礎研究の成果から、映像やピクトグラムを使用し、言葉の壁を超え、わかりやすく工夫された構成で実施されたこのシンポジウムが、現場で奮闘する先生方を勇気づけるものであったことがうかがえる。時代の変化に合わせて現場で求められる教員の力も変わり続けている。英語教科化に向けて、教員の養成・研修を充実させることが急務だろう。
取材・文:学びの場.com編集部/写真提供・翻訳・校閲:Kuu.365 Early Years Development & Learning
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