2023.12.04
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児童が自ら問いをつくり、追究するための授業づくり(前編) 東京学芸大学附属大泉小学校「国語」授業リポート

今回、取材へ伺ったのは東京学芸大学附属大泉小学校。大泉小学校は、2022829日、国立の小学校として初めて「国際バカロレア教育初等教育プログラム(PYP)」の認定校「IBワールドスクール」となった。IBワールドスクールとは、国際バカロレア教育機構(IBO:本部スイスジュネーブ)が規定する厳しい基準をクリアした認定校をさす。
20231026日に行われた、今村行教諭(以下、今村教諭)による4年生国語『ごんぎつね』の授業をリポートする。

授業を拝見

学年・教科:小学校4年生 国語
単元:『ごんぎつね』※(光村図書)
指導者:今村行教諭
使用教材:大型ディスプレイ、教科書、ワークシート

※作者は日本の児童文学作家である新美南吉。1956年に大日本図書の教科書に初掲載され、1980年以降はすべての教科書に掲載されている。
以下、『ごんぎつね』のあらすじである。

ある日、いたずら好きの子ぎつね「ごん」は、村人「兵十」が病気の母のために捕らえたうなぎを盗む。その後、兵十の母は亡くなってしまい、ごんは自分のいたずらで兵十の母が亡くなったと後悔する。気の毒に思ったごんは、毎日、兵十のもとに栗やまつたけを届けるようになる。しかし、兵十はその届け物が誰からのものかがわからず、いつものように届け物を持ってきたごんを鉄砲で撃ってしまう。ごんを撃ったあと、兵十は土間に置いてあった栗を見て、届け物がごんからのものだったと知る。

単元計画と、児童が立てた問い

授業では『ごんぎつね』を題材に、児童らが問いを考え、その問いを追究する。授業時数は12~13時間を予定しており、全体の構成は以下のとおり。

  • 1時目:教科書を読み、児童が問いを作成する。
  • 2時目:問いをカテゴライズして、児童らが取り組みたい問いに分かれてグルーピングを行う。
  • 3~5時目:各グループで問いについて話し合う。
  • 6時目以降:グループごとに発表し、クラス全体で話し合う。

下記の9つのグループに分かれており、グループ発表1回目(6時目)となる本時は、グループ①が考えたことを発表した。

  1. ごんはなぜいたずらをやめられないのか。★
  2. なぜ「ぬすっとぎつねめ」から「ごんぎつねめ」、最後は「ごん」と呼び方が変わったのか。
  3. 兵十は神様にお礼を言って、ごんは「引き合わない」と思ったが、なぜつぐないを続けたのか。
  4. ごんと兵十は、最後は良い関係で終わったのか。
  5. 最後の文「青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。」には何の意味があるのか。
  6. 最後の文「青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。」になぜ「青い」とついているのか。
  7. ごんがうなずいて、つぐなっていたことを知り、兵十はどう思ったか。
  8. どんなことをすれば、結末は変わるのか。
  9. ハッピーエンドになる方法はなかったのか。

ルーブリックを確認

授業はルーブリックの確認から始まった。クラス全体での話し合いがメインとなるこの日は下記の3つの観点が示された。

  1. チームのメンバーの中で、ギフトを与え合う話し合いができる。
    ・「聞き合う」ことができたか(うなずき、反応)
    ・ギフトになると思うことを伝えられたか、あるいは書けたか。
  2. みんなの問いを考えるなかで「ごんぎつね」への理解を深めることができる
    ・細かな言葉にも着目して(虫の目で)
    ・一場面だけでなく、全体を見て…(鳥の目で)
    ・ときには自分の読みまちがいを認める勇気を
  3. 自分がこれまで考えてきたことと、他のグループの問いをつなげて考えることができる。
    ・問いと、問いはつながります。つながりを見つけて発信しよう。
    ・その問いを考えてきた君にしか言えないことが必ずあります。

「ごんはなぜいたずらをやめられないのか」

グループ①が発表

ルーブリックの確認後、グループ①の児童らの発表が始まった。担当する問いは「ごんはなぜいたずらをやめられないのか」。この問いに対する意見として、(ごんは)「自分が悪いと思っていなかったから」「あとからいい事をすれば、兵十に怒られないと思っていた」「近くに誰もいなくて退屈だった」「いたずらをして、町の人の反応がおもしろかったから」「さみしかった」などの意見が出た。

個別に考えた後、意見共有

その後、10分ほど時間を取り、グループ①の提案について、手元のワークシートに自分の意見を書いていく。

10分後、まだ1人で考えたい児童はそのまま継続してもらい、自分の意見がまとまった児童は席を立って、クラスメイトたちと意見共有を始めた。この時間では、友だちの意見を聞いて「確かにそうかもしれない!」「その意見、すっごくおもしろい」と納得する児童もいれば、「ぼくはこう思うんだけど……」と反対の意見を言う児童もいた。

全体共有で、深める

意見共有のあと、今村教諭は「自分の意見と似た意見はあった?」と児童らに問いかけた。児童からは「似てた!」「まったく違う」などの返答がいくつもあった。

この問いに対する意見の発表が行われた。「暇だから、面白いことをして笑いたかった」「いわしを盗んで兵十にあげたのは、ごんは良かれと思ってしたけど、人間には迷惑で、いたずらなので、グループ④の問い(兵十は神様にお礼を言って、ごんは『引き合わない』と思ったが、なぜつぐないを続けたのか)とつなげて考えたい」、「ひとりぼっちだから、かまってほしかったのでは」など、さまざまな意見が出た。うまく自分の意見を説明できないでいる児童に対して、クラスメイトが「こういう意味?」とサポートする場面も見られた。

一通りの意見が出たあと、今村教諭は「今後につながる意見がたくさん出て来たね」と評価した。最後はルーブリックに振り返りと、次時への目標を記入させて、この日の授業は終了した。

授業を振り返る

児童全員が活躍できる授業

——本日の授業のポイントを教えてください。

今村教諭(以下、今村) 今日の目標は、子どもたちが各グループで考えてきた問いと、グループ①の問いをつなげて考えるということです。今後、他の問いを扱っていくうちに、これまでの授業で考えてきたことが、今日取り上げる問いを考えるうえでこんなにも役立っているとか、その問いが関連していくということに、子どもたちが気づいて、それを自分たちで意図的にやっていってほしいという思いがありました。

——問いごとにグループを分ける理由は何でしょうか。

今村 国語の授業では、みんなで一緒に前から読むと、どうしても読むことが得意な子どもたちが早く考えて、すばらしい意見をどんどん発言する流れになります。このとき、全員が共通の土台を持つことができても、授業で活躍する子は限定されてしまいます。それだと国語を苦手に感じている子どもたちの活躍の場がなくなりますよね。

グルーピングを取り入れれば、グループごとに考える問いも異なるため、子どもたちの土台も異なってきます。そして、その土台は別の問いを考えるときに必ず生きてきます。異なる土台をもっている人同士で交流する場だとわかれば、たとえ国語が苦手だとしても、自分がこの場所にいる必要性を感じられるはずです。

ときには自分の読みまちがいを認める勇気を

——今日の授業を振り返ったときの率直な感想を聞かせてください。子どもたちの発言や反応で気づかされたことはありますか。

今村 グループごとに考えてきた問いが違うからこそ、それなりに多様な考えが出た点はうまくいったと思います。発表したグループ①の1人の児童が、みんなの意見を聞いて「おもしろい!」と何度も言っていました。その児童は3時間ほどその問いについて考えてきたので、いい意味でプライドのようなものも持っているはずです。それでも素直に友だちの意見を評価できることはすばらしいことだなと感じましたね。

ルーブリックの中に「ときには自分の読みまちがいを認める勇気を」と書いています。もちろん自分たちが考えてきたことには価値があるけれど、まったく異なる視点にも価値はあります。友だちの意見で自分の考えが深まったと臆せずに言ってくれると、それがクラスの雰囲気や文化になっていくと思うので、それはよかったなと思いました。

——課題に感じた点はありましたか。

今村 どうしても誤読による意見も出てくることですね。みんなで一緒に順番に同じ問いを考えるわけではないので、読みが浅い部分が出てきてしまいます。「ごんは面と向かって兵十に謝れば良かった」のように、ごんが人間と会話できると思ってしまっていたりするので、一つひとつみんなで確認していく作業も必要だと感じましたね。ただ、グループごとに問いを分けて進めていく良さもあるので、役割意識と読解力育成の塩梅が課題ですね。

わからないことを考えることで生まれる視点の違い

——今村教諭が年に数回行う、児童自らが問いをつくり、追究する授業で『ごんきつね』を選んだ理由を教えてください。

今村 『ごんぎつね』にはいろんな着目ポイントがあるため、子どもたちから問いがたくさん出やすく、いろんな可能性が膨らむと思っています。担任として、彼らに伸ばしてほしい能力を考え、その想いをもとに教材を選んでいます。今回の『ごんぎつね』は、その想いとマッチしていたので選んだというのが正直なところです。

——初めて教科書に掲載されてから70年ほど経つ『ごんぎつね』ですが、いまの時代にどうつながっていると思いますか?

今村 それは授業の中でもすごく意識しています。例えば、読者として『ごんぎつね』の読解を深めていくことは1人でもできます。しかし『ごんぎつね』という、いまの子どもたちにとってイメージしづらい教材だからこそ、生まれる視点の違いもあると思います。

わからないものを考えることで、いろんな切り取り方ができ、子どもたちも友だちの意見を「おもしろい」と感じる。それは学級という集団でなければ生まれない現象でもあります。私はわからないものを集団で考えていくことには意味があり、最終的には集団の中での自分の価値の意識にもつながってくると思います。私は文学研究の専門家ではないので、『ごんぎつね』の文学的な価値についてはそれほど多くは語れませんが、教材としての価値は高いと思います。

これは国語の先生にとっては常識になっていますが、現在、教科書や雑誌に掲載されている『ごんぎつね』は、新美南吉が書いた草稿からかなり書き換えられています。なかでも有名な相違点として、ごんが兵十にうたれた最後の場面が挙げられます。現在の教科書には「ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました」と書かれていますが、草稿には「ぐったりなったまま、うれしくなりました」と、ごんの心情が描かれているんです。

なぜ心情が削除されたのかを子どもたちが議論し、読みを深めるような授業実践例もたくさんあります。ものすごい量の研究があるので、国語の先生がそれらを網羅して授業を行うのは不可能だと思います。だから、先生方も敬意をもって調べられることを調べたうえで、気負いすぎずに授業で使っていけばいいと思います。<後編へ続く>

関連リンク

今村 行(いまむら すすむ)

東京都板橋区立紅梅小学校で5年間の勤務後、東京学芸大学附属大泉小学校へ赴任。「学習者が自ら問いをつくり、追究していくこと」をテーマに、より良い授業づくりのための研究を進める。本サイトにて、現役教師をはじめ教育関係者が日替わりで執筆するエッセイ「教育つれづれ日誌」連載中。著書に『小学校・中学校・高等学校を見通した12年間の「文学」の学び』(共著、東洋館出版社)。

取材・文・写真:学びの場.com編集部

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