2021.02.22
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いのちについて、中学生に伝えるために(前編) NICUと連携した「道徳」の授業

2021126日、私立神奈川大学附属中学校では、3年生の「道徳」の授業の一環として、神奈川県立こども医療センターのNICU(新生児集中治療室)から、新生児の救命救急医療に取り組んでいる豊島勝昭先生を招き、いのちについて考える出張授業がオンラインで実施された。そこでは、新生児医療の現場で起こる厳しい現実や問題を、何も加工せず原色のまま伝えるような授業が展開されていた。

【授業概要】

学年・教科:中学校3年生 道徳

テーマ:いのちについて考える~新生児医療の現場から~

授業者:神奈川県立こども医療センター新生児科部長・周産期センター長 豊島勝昭先生

使用教材・教具:Zoomミーティング

現場がモデルとなったドラマを導入に

神奈川県立こども医療センター新生児科部長・周産期センター長 豊島勝昭先生

500gに満たない赤ちゃんを含め、年間約400人の赤ちゃんの入院があるという、神奈川県立こども医療センターのNICU。豊島先生は、スタッフとともに24時間365日、新生児の救命救急医療に取り組んでいる。また、元プロ野球選手の村田修一さんとともに、NICUサポートプロジェクトを発足し、ブログ『がんばれ!小さき生命たちよ』やSNSなどで、社会に新生児医療の現状を伝える活動を続けている。

「NICU命の授業」は、同校では「いのちの講演会」として2008年より開催されており、今回(2021年)で12回目を迎える。この講演授業は、神奈川県内の他の小中学校でも実施されており、「神奈川県いのちの授業大賞」で優秀賞(2013年)、審査員特別賞(2014年)も受賞している。

例年は、豊島先生を学校に招いて行われていたが、2回目の緊急事態宣言を受け、同講演としては初のリモート開催となった。講演を聴く学年は3年生。13:00ごろから続々と自宅にいる生徒たちがログインしてくる。13:10、約200名の生徒の参加のもと、豊島先生の講演が始まった。

講演の冒頭では、妊娠・出産に関わる周産期医療を取り扱ったドラマ「コウノドリ」(2015年、2017年放送)のシーンが紹介された。豊島先生はこのドラマの医療監修を担当しており、ドラマで語られる赤ちゃんとご家族のエピソードは、神奈川県立こども医療センターでの実例が元になっていることもあるという。

まず取り上げられたのは、「障害とともに生きていくことになる赤ちゃんが生まれるかもしれない」と医師が家族に告げるシーン。豊島先生は、この告知から周産期医療が始まると語り、このドラマのシーンは、今NICUにいる赤ちゃんのご家族が、自分達も同じだったと共感することの多い場面と説明する。「ドラマの役者さんたちのように、ご家族はこの世の終わりにいるような表情になる」と豊島先生。それはなぜか、ご家族の気持ちを想像し、生徒の理解を深めていく。

もし、ご自宅で一緒に生活する子供が事故にあった時に、障害が残るかもしれなくても、治療をためらう親御さんはいないと思う。しかし、妊娠中に重い病気があるとわかった時に、中絶を選択するご家族がいるのも特別なことではない。その中間にあるのが周産期医療であり、ご家族の揺れる想いに向き合っている産科医と新生児科医の現実を、豊島先生は語る。さらに、障害のある子を育てることをご家族は不安に思っているが、そもそも「障害」とは何か、と生徒たちに考える視点を与えて、授業は先へ進んでいく。

答えのない現場の苦悩を、そのまま投げかける

その後、講演ではドラマのモデルとなったご家族について、NICUとNICU卒業後の様子を写真や取材報道の動画をふんだんに使って紹介した。実際のご家族が語る言葉、赤ちゃんの表情が、リモートのためすぐ目の前の画面上に展開され、思わず前のめりになる。中には、出産の1ヶ月前に、赤ちゃんの染色体異常が見つかり、もしかしたら、⽣まれて1週間の命かもしれないと告知されたご家族の話もあった。集中治療すれば、少しは生きながらえるかもしれないが、赤ちゃんはご家族と一緒に過ごすことが難しくなる場合もある。医療現場では複数の科の医師や看護師、ご家族でどんな時間の過ごし方が赤ちゃんにとってよりよいかの話し合いを続けた。

ご家族が希望したのは、痛みを伴うような集中治療を行わず、限りあるかもしれない時間を赤ちゃんとずっと一緒に過ごすことだった。生まれる前は、毎⽇のように気持ちが揺らいだそうだが、生まれた赤ちゃんの顔を見たら、その選択に迷いはなくなったという。出産の翌日、お母さんは赤ちゃんと対面できた。3日目には我が子を抱いて母乳を飲ませられ、病院の個室で親子3人川の字で眠ることができた。4日目にはお風呂にも入れることができた。しかし、赤ちゃんは6日目に容体が急変。7日目にはご家族に見守られながら、天国へと旅立った。これらのことは、NICUで集中治療を受けていたらできなかったことかもしれない。

⾚ちゃんとともに過ごすご家族の表情は、涙を浮かべながらも一緒に過ごせる微笑みもあった。赤ちゃんのお母さんは「自分の子を亡くすのは本当に悲しいこと。埋めてくれるものはないが、短い中でも本当に幸せに(赤ちゃんが)生きられたのなら、よかったと思える」と語る。退院後、まわりの人たちに「早く忘れて、次の赤ちゃんを産んだら」と言われ、赤ちゃんのかわいさや一緒に過ごした楽しい、決して忘れたくない、かけがいのない6日間について話すことができず、つらかったという。

同じように染色体異常により11ヶ月で亡くなった赤ちゃんとご家族の例も紹介された。余命が1年もないと知りつつ、ご家族は集中治療ではなく、退院を選択した。看取るためではなく、限られた時間を一緒に過ごすための決断だった。亡くなるまでの11ヶ月間、毎月誕生日を祝っていた。「NICUには毎月毎月誕生日を祝っているご家族がたくさんいます。それだけ濃密な1ヶ月を大切に過ごしているのだと思えます」と豊島先生。家で過ごす⾚ちゃんの写真は、笑顔にあふれていた。家族がつらそうな表情しか見せていなかったら赤ちゃんは笑顔にならない。お家で家族にたくさん微笑んでもらっていたから、赤ちゃんは病院と違った笑顔の表情になっているのかなと思う。豊島先生は「赤ちゃんの笑顔の写真を見て、限りある時間だったとしても、お家で過ごした時間がきっと幸せな時間だったんだろうと思えました」と続けた。

1日でも長く生きていて欲しいと願っているけど、長生きするための治療ばかりになって、今日生きているからこその喜びや楽しさに赤ちゃんやご家族が気づけないような医療にならないようにしたい。そのような、ありのままの胸の内を、豊島先生は吐露した。

テーマが「自分ごと」であることを示唆する

NICUを卒業する赤ちゃんは、「後遺症なく退院する」「亡くなって退院となる」のどちらかだけでなく、「退院後、病気や障害とともに⽣きていく」場合がある。講演では、様々な障害と向き合う⾚ちゃんとご家族の写真や言葉が紹介された。

あるダウン症の赤ちゃんのお父さんは、一緒に暮らしていく中でこの子がいてこその家族なのだと、だんだん思えるようになっていったが、⾃分の⼦どもがダウン症と知った⽇は、⼀⽣で⼀番泣いたという。また、ある700g強で生まれたお子さんは、NICU卒業後、しばらく在宅酸素療法のチューブをつけて生活していた。病院の中では感じなかったが、病院の外では奇異な目にさらされ、つらかったという。そして、「うちの子は、NICUですごく頑張ったんだ。そんな視線など関係ない!」と思うようになったそうだ。

障害のある子どもを持つご家族の生の感情や気持ちを伝えた後、授業の最初に提示された「障害とは何か?」について、豊島先生の見解が明かされる。それは、「街の中で生きづらさを感じること」ではないかとのこと。すると、障害となっているのは、そんな子どもたちやご家族を理解していない自分たちかもしれない、と豊島先生は示唆。「目が悪くて眼鏡をかけていても、障害と呼ぶ人はいない。耳に補聴器をつけていたり、気管切開をしてのどに穴を開けてチューブを入れていたり、車椅子に乗っていたりなど、医学的ケアを受けている人も、その人の個性だと思ってもらえたら」と語った。

授業の最後には、チャットを通じて、生徒からの質疑応答が行われた。新生児の救命救急医療に携わっている理由やご家族と向き合うときに大切にしていることなど、仕事に関連するものから、NICUの地域による医療格差といった社会問題まで、幅広い内容が寄せられた。また、授業後の感想アンケートでは、新生児とご家族の決断、医療従事者の想い、障害者に対する考え方など、生徒たちはさまざまなポイントで感銘を受けていた。一時間半という長時間にわたる講演だったが、非常に密度が濃く、多面的に心を揺さぶる内容だった。

取材・構成・文:学びの場.com編集部

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