2024.01.22
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一人一人の「こころのふた」をみつける(前編) 赤磐市立桜が丘小学校「道徳」授業レポート

2018年から全国の小学校でスタートした「特別の教科 道徳」。新しくなった道徳の授業では、「主体的・対話的で深い学び」を実現する指導が求められている。では、主体的・対話的な深い学びをもたらす授業とは具体的にどんなものか。

今回、お邪魔した桜が丘小学校3年生の担任 古市剛大指導教諭は、改訂以来、授業研究に取り組み、実践を積み重ねてこられた。その歩みの一端は「学びの場.com」内の「教育つれづれ日誌」の古市指導教諭のエッセイで知ることができる。

前編では古市指導教諭が試行錯誤の上に辿り着いた道徳授業の現在地をリポートする。

【授業概要】

学年:小学3年生
教科:道徳
単元名:「バスの中で」(『小学道徳 生きる力3』日本文教出版)
単元の目標:主人公の行動の変容や思いについて話し合う中で、相手の立場や状況を想像して思いやることの大切さに気づき、進んで親切な行いをしようとする心情を育てる。
授業者:古市剛大 指導教諭
使用教材:大型ディスプレイ、タブレット、共有ソフト

※「バスの中で」あらすじ
主人公「わたし」は、土曜日におじいさんの家に行くためにバスに乗った。わたしが乗ったときには空いていたバスも、次第に混み合ってきた。満席でぎゅうぎゅうのバスへ、おばあさんが乗ってきて苦しそうにしている。
座っている人は誰も席を譲ろうとしない。わたしは席を譲ろうと、声をかけようとしたが、言い出すことができなかった。
譲りたい気持ちと戸惑いの間で揺れ動くわたし。しかし、バスの中でおばあさんがよろけたとき、わたしは、勇気を出しておばあさんに声をかけて、席を譲ることができた。わたしはおばあさんから感謝の言葉をもらった。

教材を読む前にノートを準備

発想を広げるためのノートの工夫

チャイムが鳴るとすぐに子どもたちは道徳用のノートに線を引き、「めあて」「まとめ」「振り返り」「フリースペース」の4つのスペースに分割する。ポイントは広いフリースペースで、気づきをメモしたり、図を描いたりすることもできる。メモを重ねることで、段階を追って考えをまとめることができる。

古市指導教諭(以下、先生)「登場人物がよりよく生きられているかを考えながら、物語を読んでいきましょう」
古市指導教諭の「バスの中で」の朗読が始まった。

「バスの中で」の主人公「わたし」はバスでおばあさんに席を譲るか譲らないかで葛藤するが、最終的には譲ることができた。

児童一人一人が問いを立て、共有

先生「登場人物はよりよく生きられていましたか?」

大半の子どもは「よく生きられた」と答えた。最終的には席を譲れたのだから、わたしはよりよく生きられたという意見だ。

先生「ずっとよく生きられていたかな?」

「わたし」は声をかける寸前まで迷っており、途中まではよく生きられていなかったのではという意見も出て、5~6人がうなずく。

「席を譲れたときの方がよりよく生きられている」という結論はみんな一致している。

古市指導教諭が「なぜ席を譲れるとよりよく生きていることになるのかな?譲った経験や迷った経験がある人いますか?」と問うと、8割が迷った経験がある方に手を挙げた。譲った方に手を挙げたのは4人程度。その4人にしても家族や友達に対してで、見ず知らずの人に譲った経験は少ないようだ。

先生「家族じゃなくても席を譲れるかな?」
その問いに、クラスの意見は「譲れる派」と「迷う派」に割れた。

先生「なぜ家族以外の人には譲るのを迷ってしまうのかな?」
一人が「恥ずかしいから」と答えると、ほとんどの「迷う派」は同調した。

その意見に対し、「全然恥ずかしくない」という譲れる派は「お年寄りには席を譲るべきだから」と主張した。

先生「じゃ、お年寄りじゃなかったら?」
譲れる派の一人は「赤ちゃんを連れている人や妊婦さんでも譲ります」と答えた。

先生「なぜ席を譲りやすい人と譲りにくい人がいるのかな?」

問いづくりのヒントになる対話が終わったら、今回の教材に対する自分の問いを、紙のノートと、黒板脇にある大型ディスプレイにも映されている共同編集のExcelファイルに記入する。

一人一人が発表したり、黒板に書いたりする必要がないので、時間短縮になり、授業の本題に素早く入っていける。

全員の問いが出揃ったら、今度はノートのフリースペースに自分の考えをまとめていく。自分の考えがまとまった人は、友達の問いについても考える。

考えたことについて議論する

問いは大きく3つに分類され、1つずつ議論が行われた。

<なぜ「わたし」は席を譲るのを迷ったのか?>
を問いにした子どもたちは、わたしが迷った理由を「緊張するから」「恥ずかしいから」と答えた。

先生「実際に『人が大勢いたから恥ずかしい』という経験をした人いますか?」

ほとんどの子どもは実際には恥ずかしい思いをした経験はない様子。知らない人がいるだけで「恥ずかしい」という子どももいた。

恥ずかしい派の中には、「席を譲りたい気持ちはあったのに、恥ずかしい気持ちの方が勝って声をかけられなかった」という意見があり、次の問いの議論につながっていく。

<なぜわたしは声をかけることができたのか?>

「わたし」はおばあさんに声をかけようとしたものの、声が喉までくると止まってしまって、どうしても出てこない。こんな状態なら、声をかけないままバスを降りてしまいそうだ。

先生「なぜわたしはおばあさんに声をかけることができたのかな?」

児童「席を譲ったら、いいことが返ってくるかもしれないから」
「大人の人は年を取ると疲れるから」
「もしおばあさんが他の乗客に押しつぶされたらあぶないと思ったから」という意見に対しては、

先生「先のことを考えて推測するのはいいことだね」

児童「おばあさんがそのまま立っていたら足が疲れるから」

<困っている人がおばあさん以外でも声をかけられるのか?>

児童「お年寄りには残り少ない人生を楽しんで欲しいから、他にも妊婦さんや体や不自由な人がいても席を譲りたい」

先生「あれ? なぜお年寄り以外でも席を譲るのかな? 足腰が弱いからおばあさんには席を譲るんじゃなかったのかな?」

児童「自分がおばあさんの身になると、座席に座りたいと思うはずだから」

先生「おばあさんの立場になって考えてみたんだね。でもおばあさんは『席を譲ってください』とは言っていないけど、どうして苦しそうだと分かったんだろう?」

児童「顔を見て苦しそうだったから」
「辛そう」
「かわいそう」

席を譲れる人と譲れない人の違い

先生「おばあさんは口には出さないけど、辛いかもしれないと想像したんだね。でも、バスにはいっぱい人がいたんだから、わたしだけが譲らなくてもよくない?」

児童「みんなが他の人がすればいいと思うと、誰もやらなくなってしまうから」
「座っている人も疲れているから」
「若い人が席を譲るべきだから」
「自分で進んでやるべきだから」

「譲る」派の子どもが譲るべき理由を並べても、古市先生は「緊張するし、恥ずかしいし、譲る必要ないんじゃないの?」と譲る派の意見をあえて否定してみせて、さらに議論を深めていく。

クラスの大半が「譲りたいけど緊張するから譲れない」と言う中、2~3人の子どもだけは頑として「譲れる」と主張する。その中の一人には、譲った経験があった。

新築の上棟式で行われる餅投げのときに、若い人に押されてお餅を取れなかったお年寄りに自分の取ったお餅を譲っていた。

「バスの中で」のわたしとは逆に、自然と声が出て、自然におばあさんに譲ることができたという。

お餅を譲ったような確かな体験をした子どもは少ない。あったとしても兄弟にゲームを譲るくらい。また、譲るにしても、譲りやすい状況と譲りにくい状況があるようだ。

先生「どんなときに譲るのが難しくなりそうかな?」

人が大勢いる場所では人の目が気になって譲る勇気が出ない。逆に人が少ないと、人の目がないので声をかけやすいという意見が出た。

一方で、人が多くても「人に親切にする場面だと恥ずかしくない」という声もあった。

議論が終わったら、フリースペースのメモを元にして、「まとめ」を書いていく。そして、「ふりかえり」は、「自分がわたしだったら」「みんなの前では言えなかったけどあったこと」を踏まえて記入した。

後編では、授業者の古市剛大指導教諭のインタビューを紹介する。

取材・文・写真:学びの場.com編集部

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