2023.05.12
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

先生にとっての何だかとても大切なもの 「つながれひろがれ」は安心・安全の学校のもと

「先生の大切にしている言葉は何ですか?」と問われたらなんと答えますか。
ふりかえってみれば、時代や経験によって変わってくるものもあると思います。
でもずっと変わらず、思いのこもった言葉もありますね。
今回はそのうちの一つ、「つながれ、ひろがれ」の話をしたいと思います。

静岡市立中島小学校教諭・公認心理師 渡邊 満昭

先生になると人は変わるもの?

それなりの期間「先生」をやっていると、自分も変わってきているのかもという気がしています。

私はどちらかというと、こちらから人に話しかけるのは苦手です。旅先で道がわからなくても 人に道を聞くことはまずしません。自分の力で道を探すと言えば聞こえはいいのですが、外ではものを尋ねることができないというのが本当のところです。

ところがです。学校の敷地に一歩でも入った途端に、どうも別人格のようになっていることに気がつきました。もしかしたら皆さんも同じことを日々感じているかもしれませんね。学校というものが、先生をシャキーンとさせるというかんじでしょうか。

なぜかというと、会う子、会う人、全てにつながろうとする自分がいるからです。子どもたちも同僚にも、来訪者の方にも、とにかく会った人には、挨拶をはじめとして自然と何らかのアクションをおこしていました。

これは一体どうしたことだろうと思うのですが、子どもたちのおかげもあり、自分というものに随分変化が起きているんだな、つながるということが学校という枠組みの中では機能しているのかもということが、なんとなくわかってきたのです。

かつて異業種間の交流会に、職種の違う友達と一緒に出席したことがありました。尻込みする私を前に名詞一枚取り出して、彼は堂々とほかの業種の方々と語り合っていくのです。相手と談笑する様子を、どれほど羨ましく思っていたことか。でも、それから随分と時は経ち、私は学校という枠組みの中なら、それに近い形でやっと人とつながっていけるようになってきた気がします。

「つながれひろがれ」先生も

そういえば、以前から携わってきた環境教育・野外教育というフィールドで、よく聞く言葉がありました。それが「つながれ、ひろがれ」です。黎明期の環境教育というと、あちこちで志のある方や団体が、小規模ながらもがんばって自然・環境のために自分たちでできることを進めているイメージを私は持っていました。私もそんな一人だったと思います。

ですが、あちこちで聞かれた「つながれ、ひろがれ」のモットーは、様々な分野の方々との接点を作り、自分だけの枠組みの中では実行が難しかったことも、実現させてくれました。いろいろな人の視点を取り入れ、いろいろな考えの方々が手を繋ぎ、環境教育自体がいつのまにか大きなうねりとなってきているように思います。

学校もフィールドと捉えれば、「つながれ、ひろがれ」には、メリットがあります。困ったときには連携しようと職場では説かれていますが、そうではなくて普段からのつながりが「吉」です。そしてなによりも子どもたちのためと考えています。学級や学年の先生たちが手を取り合って協働していくと、いろいろな場面で生じている心理的な障壁も減り、子どもたちも担任の先生のみならず、どの学級のどの先生とも関わりやすくなると思うからです。  

たとえばその時々によって、私たちの話したい相手は変わります。いつもいつも同じ相手ではなく、いろいろな人に意見や話をして、自分の立ち位置を確認したり、考え方をまとめたりすることは日常的にも行われていると思います。子どもたちもそれは同じことです。担任の先生よりその時は話したい先生がいるのは、当たり前のことです。

複数の先生で学年集団を構成するというときは、お互いに「つながれ、ひろがれ」の精神でいろんなことを話しながら共有していくと、その姿を見た子どもたちも、先生たちは仲がいいのかなあと思いつつ、いろいろな話を担任以外の先生にもしてくれることでしょう。どの先生ともその子と接点があるということは、逆にその子へのアプローチはどの先生からもできるということになりますね。一人の子を複数の先生で支えるような体制ができるわけですし、その一人の子の良さや現れを複数の先生で受け止めるようなこともできるわけです。

私たちも人間なのでいろいろな変化にさらされていますが、長い目で見れば、複数の先生で上手に運用できる学年集団というものは、安定化が図りやすいものと思います。

さらに子どもの視点で考えれば、知らない先生ばかりの学校より、知ってる先生ばかりの学校のほうがよさそうです。休み時間、クラスを離れていろいろな先生や別のクラスを訪ねていく子もいるのです。学校としてのルールはあるとは思いますが、学校のどこかにその子の居場所があるのなら、それも良いのではと思います。先生方一人一人が、クラスを問わず子どもたちとの接点を作り続けるなら、学校全体でその子の状況を見守ることもできるのですし。

その子が、安心安全に一年間すごせるようにすることが、私たちの務めだと思っています。 だからこそ、私たちは意識してつながり、ひろがって、縦横無尽のネットのように見守っていくということが、大切なのだと思うのです。

渡邊 満昭(わたなべ みつあき)

静岡市立中島小学校教諭・公認心理師・学校心理士・環境教育インタープリター・森林セラピスト


いつの間にか、小中学校全学年+特別支援学級+特別支援学校+通級指導教室での担任を経験し、生徒指導主任+特別支援教育コーディネーター+教育相談担当経験も10年を超えていました。すると担任を離れたとたんに何かを忘れてしまって、担任に戻ってみると忘れていたことに気がつくということがたびたびありました。それはうまく言えないけど何だかとても大切なもの。先生を続けていくための糧のようなもの。
その大切なものについて、自分の実践と合わせお伝えしていこうと思います。

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop