2020.11.06
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今のようないじめというものを、見たことも聞いたこともありません。

少し前に「いじめ認知、過去最多の61万件」という報道がありました。SNSには、様々な立場の方のいじめ経験談もあふれています。そんな中、目に飛び込んできたこの文章......。

東京都内公立学校教諭 林 真未

今のようないじめというものを見たことも聞いたこともありません

この文章を見つけたのは、「月刊やいま」という八重山の地域誌8月号の「『崎山用正 アガリヨイ』を上梓」という記事の中です。沖縄・八重山地方の小島、竹富島育ちの崎山用生さんという方が、戦前の島の様子を思い出して語るくだりにありました。

今でこそ、リゾート地として全国的に有名な場所ですが、崎山さんによると、かつての竹富島は、電気もガスも水道もないながら、大人たちは早朝からよく協力して働き、つつましやかに暮らしていたそうです。子どもたちも、大人をよく手伝い、自分たちでコマや竹馬などのおもちゃを作り、皆でいっしょくたになって遊んでいたとのこと。

このような背景の中で、竹富島で子ども時代を過ごした崎山さんは、
「今のようないじめというものを、見たことも聞いたこともありません。むしろ弱い者ほど大事にされていました」
と語っておられます。

「いじめのない社会」はあるんだ!

私も、少なからぬ時間をかけ、いじめ問題について読んだり考えたりしてきました。そんな中で、多く見かけたのが「いじめは絶対になくならない。だからいじめがある前提で考えないと」という言質です。
実際、私自身(東京出身です)、子ども時代にいじめ(仲間はずれ)をしたりされたりした経験もありますし、いじめの経験談を聞くことも多いし、今でもいじめは綿々と続いています。それを考えると、確かに「いじめはなくならない」という前提で考えなければならないのかもしれない。
そう思いこみかけていました。

ところが、八重山好きが高じて定期購読している雑誌で、目に飛び込んできたこの一文。
「今のようないじめというものを、見たことも聞いたこともありません」
なんですって? 
「いじめはなくならない」どころか、「見たことも聞いたこともない」ですって!?

いじめの経験談を読むたび、胸のつぶれるような悲しい気持ちに包まれます。加害者にも切羽詰った事情があるのかもしれない。けれど、被害者の痛みは一生消えないでしょう。だれも幸せじゃない状況がどうして生み出されてしまうのか。
いじめのことを考えると、いつもやるせない思いにさいなまれてきました。

けれど、いじめなんて見たことも聞いたこともない人が実際にいるのです!
いじめのない社会はあったのです!
これは、一筋の光明だと思いませんか。

過去にそのような時代と場所があったというなら、これからだって、今だって、実現できるのではないでしょうか。

ストレングスベースドアプローチの出番!

そこで思いつくのが、ストレングスベースドアプローチです。

ストレングスというのは「強み」「長所」というような意味で、ストレングスベースドアプローチというのは、弱みや欠点に注目するのではなく、強みを伸ばすことで問題を解決していこうという考え方です。もうずっと前から、カナダ・アメリカの家族支援はこの考えをベースにしています。

この考え方をいじめにあてはめたらいかがでしょう。

つまり、「いじめがある」状況を嘆き、注目し、対処するのではなく、「いじめがない」状況を見つけ、その、持っている要素を抽出し、それを強め、広げていくのです。

では、「いじめがない」状況が持っている要素とはなんでしょう。
竹富島の子どもたちは、なぜいじめと無縁でいられたのでしょう。

いじめのない場所は、私たちのすぐそばにも

現代にも、いじめのない場所はありました。
職員室です。
もちろん少なからず例外があることは知っていますが、私や私の周囲の先生方に見聞きする限り、基本的には、ここにいじめはないと感じます。
メディアやSNSで、いじめの報道や露出が多いので、日本中にいじめがまん延しているような気分になっていたけど、少なくとも私は、大人になってからいじめに遭遇したことはありません。
他の業界でも、優しい人たちの集まる職場は、実は、少なくないのではないでしょうか。
また、私たちは多くの静かな事実ではなく、少しのセンセーショナルな事例に、イメージを操作されているのではないでしょうか。
いじめ撲滅というより、当たり前にある、いじめのない空間を、泉が湧き出て広がるように、日本中にしみ渡らせたい。

そのために、いじめのない空間が持つ強み、良いところを、改めて見直してみるのも、一つの方法だと思います。

訂正・追記(2020.11.19)
「いじめがない状況」はストレングス(強み・長所)のある状況というより、本来、保障されるべき「当たり前の状況」。また『「いじめがある」状況を嘆き、注目し、対処するのではなく』と書いてしまいましたが、いじめられている人をそのままにという考えは、もちろんありません。以上、知人から指摘を受け、訂正・追記いたします。

参考資料

林 真未(はやし まみ)

東京都内公立学校教諭
カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)
特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事


家族(子育て)支援者と小学校教員をしています。両方の世界を知る身として、家族は学校を、学校は家族を、もっと理解しあえたらいい、と日々痛感しています。
著書『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)
『子どものやる気をどんどん引き出す!低学年担任のためのマジックフレーズ』(明治図書出版)
ブログ「家族支援と子育て支援」:https://flejapan.com/

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