2020.03.02
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「大学生のためのフリースクール」を社会に求める

昨年までは、何らかの形で今の現代社会の中で生きにくさを抱えている大学生とソファにもたれてゆったりと語り合い、気付こうとしなければ社会の闇に埋もれてしまうような小さな声に繰り返し耳をそば立てて、聞き取って、じっくり向き合ってきた私。その私がここ数ヶ月は打って変わって社会の中で主体的に学び、自分で課題を見つけて伸びのびと生きている学生たちとたくさん出会いました。この「ギャップ体験」を改めて振り返って今思うことは、やはり私がこれからすべき仕事は、大学の中の声なき声にもっと敏感になって、時には彼らの代わりに私が大きな声を上げて、一人でも多くの、大学の闇に埋もれそうになっている学生たちと出会うこと。そのような形でSDGsの目標に照らし「社会全体のバランスを整えていくこと」と考えるに至りました。

札幌大学地域共創学群日本語・日本文化専攻 教授 荒木 奈美

何不自由なく順風満帆に生活を送っているようにも見える大学生も、腹を割って話せば多かれ少なかれ対人関係で傷ついた経験をしていたり、自分でも気づかないところで人に気を遣いすぎて体調を崩し学校に来れなくなってしまったり、本当に何の問題もないはずなのに大きすぎる将来への不安に身体が拒否反応を示して立ち往生してしまったり、学生たちは大人たちが何らかの「公式」に当てはめて考えているうちは何も気づけない問題を抱えていることが多いです。だからこそ私はそんな学生たちには外に出て、自分の感性で何かをつかんで、本当に自分は何をしたいのか、社会の中でどんな長所を生かせるのか、実際の経験の中でゆっくりと、納得の行くまで悩んで、その果てに何らかの実感をつかまえてほしいと願っています。

これは私が自分のゼミ活動の一環として、大学で学べなくなってしまった大学生をインターンシップに送り出すために書いた手紙からの抜粋です。

先日とあるフリースクールに見学に行きました。私が訪問した日は小学生の男の子が一人だけ、大人たちの中で遊んでいました。時間ギリギリまで伸びのびと遊び語り、満足そうに帰っていく姿を見ていて、ふと、半年間大学に来れなくなっている自分のゼミ生を思い出しました。

どうして大学にはこういう居場所がないのだろう。訪れると大人たちがゆったりと出迎えてくれて、傷ついた心を癒してくれる。事情は問わない。そしてゆっくりと、自分の心に何らかのふくらみが戻ってくるのを待つ。そんな大学生のためのフリースクールみたいな場所が、大学のどこかに、それがだめなら社会の中にあってもよいのではないか。

大学生になるとすぐに入学ガイダンスが始まり、新入生たちは自分の学力を確かめる試験を受けたり、大学での授業の受け方(自分にとってどんな授業が成長に繋がるかとかいう話ではなくて、履修登録の仕方のようなものがメイン)の指導を受けたり、大学によっては入学早々就職ガイダンスを受けさせられたり、時間ごとに区切られたスケジュールの中で忙しそうに、まるで大工場にかかるベルトコンベアに乗せられたかのような生活が待っています。

その姿はさながらロボット生産工場…… 

大学ですでにやりたいことが決まっている人や誰に教えられなくても自分で積極的に生き方を見つけていける学生は、そんな画一的なカリキュラムでもさしたる影響は受けずに育っていくのですが、生き方を探すために大学に入る学生も少なくない今、そんな大学に用意された機械的なプログラムの中で、人知れず「不具合」を起こして立ち往生している学生は増えていく一方という実感があります。

私の周囲にはそんな大学の雰囲気の中で、たちまち「生きにくさ」を抱えて大学に失望し、「ドロップアウト」をしてしまう学生が少なくありません。皆さんはそういう学生をどう見ますか? 競争に負けた弱い人間。我慢ができない子供のまま青年になってしまったダメ大学生。怠け癖が抜けないフニャフニャ軟体生物……

確かに傍目から見れば、そんな学生は総じて社会の困った厄介者のような存在かもしれません。でもそんなふうに見えるかもしれない彼らとゆっくり付き合って、時間をかけて、本当はどんな気持ちなのかを聞いてみたり、状況が許せばたとえばどんなことをしてみたいのかを問いかけてみたり、そんな機会を持ってみると、その事情は実に千差万別だということに気づきます。
彼らの中には常に片付かない思いが渦巻いています。過去の思い出したくない体験や未来への不安、現在の避けたい現実etc……が複雑に入り乱れて、自分でもわけがわからなくなっているケースが多いです。

そんな学生に必要な手当は、まず自分の心を整理するゆったりした時間を提供すること。あるいは毎日やりがいを感じられる場所に身を置いて、少しずつ傷を癒していくこと。そんなふうに考えて、私はそんな心が弱くなってしまっている学生たちを時には特別扱いして、そこだけはブレずに向き合ってきました。

この経験の中で得た実感の一つ。それは、誰かにこんがらがった糸を解いてもらうのではなく、自分でゆっくりと解くことが彼らには必要ということ。大学生になっても自分の状況を整理できずに立ち往生してしまう学生の話を聞いていると、小さい頃からその代わりをお父さんやお母さん、お姉さんやお祖母ちゃんがやってくれたことでその方法を知らないまま大人になってしまったというエピソードに行き当たるケースも多いです。だからこそそれを今、自分でできるように「訓練」しないといけないのかもしれません。ここでまた誰かに手を差し伸べられて救済してもらってしまったら、一生自分でものを決められない人になってしまいそうで、私は気が気でなくなります。

私たち大人には、経験の中で培ったたくさんの能力があり、ともすればその総力をかけて困っている子どもたちを助けたくなってしまったりする。親であればなおのこと、全身で愛する我が子に手を差し伸べたくなるのは当然でしょうし、大人には見えているゴールに気づけないで右往左往している姿は本当にもどかしい。時間をかけて待つこと。「できる大人」には、それが一番難しいことかもしれない。

でもそれがかえって子どもの成長を妨げるもとになってしまうのだとしたら…… 

手を差し伸べる逆の「仕打ち」もあります。なんといっても大学のシステムそのものがそれ。大学には、彼らにそんなゆったりした時間を提供するなんて場所は、そもそもどこにもありません。授業を休み続ければ単位を取れず落第しますし、最後の砦であるはずの学生相談室に迷いを訴え続けた挙句に「心の病人」扱いされて、本人の思いに反して病院送り……というケースも私は目の当たりにしました。

そのような現状を思えば思うほど、言葉にしがたい怒りがときどき思い出したように、沸々と湧いてきます。

そんな私が今ここで、できることはなんだろう。

フリースクールで出会った、目のキラキラした子供や先生を見ていて、私はとうとう決心がつきました。

大学に活路を求める前に、まずは思い切って大学生を外に出そう。外に出ればきっとたくさんの理解者がいる。そんな理解ある方の大人たちに、まずは迷える大学生を預けよう。いや、私が大学の外に出て、まずはその理解者になろう。

大学だけが人生ではないということに身をもって気づけば、学生たちが「大学に通えないダメな自分」とは別の、アナザーストーリーを思い描けるに違いない。そんな場所を私の身近に作って、みんなで繋がれる場所を作りたい。

2009年に日本の大学も「ユニバーサル段階」に入ったと伝えられています。18歳人口に比して大学入学者が半数を超えて、早くも10年。トロウはこの段階の大学生はすでに「めざせエリート層」ではなく「産業社会に適応しうる全国民の育成」すなわち「大衆の担い手」として社会の中で生きていく人材となることを期待されるものと予測しました。将来どのような産業の中でどのような役割を果たす人物であるかを問わず、誰もが大学で学び、何かを得て出ていく時代。だから大学も威張って腕組みをして偉そうに入学生を待っていないで、大学に入ってきた学生を「大学に来ないから」という理由で排除したり「勉強しないから」という理由で本人と直接関わりもしないで「門前払い」したりすることもせず、変わらなければならないと思っています。

大学のシステムに疲弊しきっている学生の近くにいる教員だからこそ言えることが私にはあると思っています。

まずは大学の中の「不平等の是正」。そのために学生たちの迷いの世界に入っていって自分にできることを、誠意を込めて、私のやり方で提供しつづける。そのような形で「社会全体のバランスを整えていくこと」。

これこそが私の、2030年に向けての本気のSDGs宣言!

荒木 奈美(あらき なみ)

札幌大学地域共創学群日本語・日本文化専攻 教授
高校で12年間、大学で8年半、たくさんの高校生や大学生と主に文学作品を通じて関わってきました。自分の好きな漫画やアニメやゲーム、アーティストについて語るとき、彼らは本当に顔を輝かせて熱心に語ってくれます。自分の「好き」を極めたいと思うことは学びの原点。高校生や大学生の「学ぶ意欲」を引き出すために私たち教師ができることは何だろう。「主体的に学ぶ」学習者を育てるための教育のあり方について、今日も実践を通じて、探究を続けています。

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