2017.02.02
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主体的って・・・

「主体的に」「主体的な」という言葉をよく聞くが、実際どう捉えて指導・支援につなげていけば良いのか。

京都教育大学附属桃山小学校 教諭 若松 俊介

「主体的」ってよく聞く言葉。
次期学習指導要領の方向性にも「主体的・対話的で深い学びの実現」と書かれています。

でもこれって急に大切にされるようになったことではなく、
昔からずっと「大切にしよう」とされてきたことですよね。
でもなかなか実現が難しい。
子どもたちの主体性が発揮される場をどうつくっていけばいいのか、日々悩みます。
(以前にも同じような話題で書いています。それくらい日々のキーワードがこれです。)

ここ何年か、様々な研究発表会や研究会に行くことがあります。
やはりどこでも指導案や実践報告にも「主体的」という言葉がよく使われます。
どの先生も大切にしているんだろうなと思います。
ただ、私が少し気になったのは、

・主体的に勉強させる
・主体的に考えさせる
・主体的に発言させる

という使い方です。
皆さんは、気になりませんでしたか。

「〜させる」という使役の言葉に、子どもたちの主体性が見えません。
「そんな細かいことまで」って思われるかもしれません。
でも、教師の根本的な考え方から言葉は生まれてきます。

「〜させる」の中心は子ども?教師?どちらでしょうか。
本校では、一人一人の教師の指導案はもちろん、
教育実習生の指導案にも「〜させる」という使役の言葉を使わないように声かけます。
もちろん、本人がそのことの大事さを実感できるようにしていきます。
これも「使わないようにさせる」では受け身であり、結局は何も学びませんから。

「〜させる」よりも「〜したくなる」「〜し始める」場をつくるのって難しいです。
子どもたち一人一人のことを受け止めていないと、そんな場をつくることはできません。
でも難しいと同時にワクワクします。
大人がワクワクすると、子どもたちもワクワクします。

教師の自己満足で、教師の枠内にしか収まらない「主体的」風ではなく、
子どもたちが満足し、教師の枠を越えようとする「主体的」な場をつくっていくことを日々目指したいと思います。
きっと身近なところに答えは落ちているかもしれません。

次回は、具体例を挙げて考えていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

若松 俊介(わかまつ しゅんすけ)

京都教育大学附属桃山小学校 教諭
「子どもが生きる」授業を目指して、日々子どもたちと共に学んでいます。子どもたちに教えてもらった大切なことを、読者の皆様と共有していければ幸いです。国語教師竹の会所属。

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