遺伝子、DNA、ゲノムは「生命科学」の基礎的概念です
学校で「タンパク質」という言葉が登場するのは、何の教科でしょうか。理科、家庭科、それから保健体育。もしかしたら国語や英語のテキストに出てくるかもしれませんし、社会科の工業の単元で耳にするかもしれません。授業以外でも、給食の献立表で目にすることでしょう。高校の化学の時間になると「タンパク質」は元素記号と共に正体を現します。
「遺伝子」「DNA」「ゲノム」といった言葉になると、生物の教科書以外でお目にかかることは少なくなりますね。少し馴染みが薄くなるのではないでしょうか。上記3つの言葉をぱっと聞いて、どんなものを思い浮かべますか? 遺伝子組み換え食品? ソニーの遺伝子? おそらく「ゲノムなんて、ヘンな言葉、聞いたこともない」という方もいらっしゃると思います。
「遺伝子」も「DNA」も「ゲノム」も、そして「タンパク質」も、いわゆる「生命科学」の基礎的な概念です。生命科学は、英語で言うと「ライフサイエンス」。生きものが一体どういう仕組みで生きているのか、生命とは何かを研究する総合科学です。もちろん、生命を見つめるには様々なアプローチがありますが、現在は、細胞や分子といったミクロのレベルから、生命のしくみを理解しようとする研究が進んでいます。そしてその応用技術は、私たちの生活にますます密接に関わってきています。今日はその入り口部分を、ほんの少しお話ししたいと思います。
体は、タンパク質でできています
生きものの体は、大部分が水分です。動物も、植物も、細菌だってそうです。私たちヒトも、6~7割は水です。では、水を取ったら何が残るのでしょう? 一番多いのは、タンパク質です〈図1〉。私たちの体は、主にタンパク質でできていて、タンパク質で動いていると言っても過言ではないぐらいです。
家庭科の時間に出てくる「たんぱく質」は、魚・肉・卵と、まめ・まめ製品ですね。テレビの健康番組に登場するのも、この類です。しかし科学では、タンパク質=栄養素ではありません。私たちは普段、タンパク質という物質が多く含まれる食品を、なんとなく「たんぱく質」とまとめて呼んでいるのです。
化学的に言うと、タンパク質はアミノ酸という分子がつながってできています。私たちのタンパク質を構成しているアミノ酸は、20種類〈表1〉 。最近は「アミノ酸飲料」なるものがコンビニなどでも売られていますので、バリン・ロイシン・イソロイシンなど、ペットボトルの裏の表示で目にしているかもしれません。タンパク質では、この20種類のアミノ酸が数十~数千個つながっています。基本的に、アミノ酸の並び方が違えば、形やはたらきが違うタンパク質になります。その種類は、数千万ともいわれています。
〈表1〉タンパク質を作るアミノ酸は20種類
アスパラギン酸
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アスパラギン
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グルタミン酸
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グルタミン
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システイン
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アラニン
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メチオニン
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グリシン
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リシン
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ロイシン
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アルギニン
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バリン
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セリン
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イソロイシン
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トレオニン
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トリプトファン
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フェニルアラニン
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ヒスチジン
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チロシン
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プロリン
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私たちが、タンパク質を含む食品を食べると、おなかの中でアミノ酸の形に消化されます。これを原料として、今度は自分の体をつくるタンパク質がつくられます〈図2〉。たとえば、皮膚のコラーゲン、筋肉のミオシン、赤血球のヘモグロビン。それから、体の反応を進ませてくれる酵素(唾液の中でデンプンを分解するアミラーゼなど)や、ホルモンもタンパク質です。
遺伝子はタンパク質をつくる情報です
お肉を食べて、消化されて、私の体ができる。ここまでは何となく想像できます。けれども、「食べたお肉の分で、ちょっと赤血球を増やそう」なんて、頭で考えるわけではありませんね。いつ、どこで、どれぐらい、どんなタンパク質をつくるか、という情報は、いったい、私たちのどこに備わっているのでしょうか。実は、この情報こそが「遺伝子」なのです。「遺伝子」というと、なんとなく体のどこかから取り出せる「つぶ」のような感じがしませんか? 実際はちょっと違います。
ヒトの体は、約60兆個もの細胞でできているといわれていますが、そのひとつひとつに「核」という構造があります。この中に「DNA」という長いひもが、上手に折り畳まって入っています〈図3〉(ときどき聞かれるのですが、“青い魚に含まれていて、頭がよくなる”と宣伝されている「DHA」とは違います!)。
遺伝子のプログラムで体が作られます
つい忘れがちですが、60兆個の細胞でできている私たちも、もとはひとつの細胞(受精卵)でした。そこから何度も分裂を繰り返して、繰り返して、現在の体になったのですね。細胞は分裂するときに、核に入っているDNAの分子を「コピー」してから分裂します。ですから、ひとつから二つ、二つから四つ、と分裂するときに、基本的には同じ情報を持つ細胞として増えてきたのです。
ですから、今、あなたの皮膚の細胞からDNAを取り出して、そのゲノム情報を読んでみれば、それは、あなたがたったひとつの細胞だったときと、同じ情報です。そして、一部の例外はありますが、基本的に体じゅうのどこから細胞を取ってきても、「あなたをつくる」ための、同じ情報が入っているのです。それは、あなたのゲノム、です。
けれども、一人の体の中でも、胃粘膜の細胞と、皮膚の細胞と、筋肉の細胞は、形が違います。もちろん、はたらきも違います。皮膚の細胞は胃液を出しません。これが遺伝子のしくみの面白いところで、それぞれの細胞によって、情報が読み出されている遺伝子が違うのです。
先ほどのカセットテープのたとえで言うと、どの細胞も同じカセットを持っているけれども、細胞によってスピーカーから流れてくる曲が違う、という感じでしょうか。胃粘膜の細胞では、胃粘膜の細胞になるための遺伝子の情報が読み出され、胃粘膜の細胞のタンパク質がつくられています。皮膚の細胞では、別の遺伝子がはたらいていて、別のタンパク質がつくられています。体じゅうの細胞は、同じゲノム情報を持っていますが、情報が読み出される遺伝子が、違うのです〈図5〉 。
ひとりひとりのゲノムがあります
この「DNA」という分子の「遺伝子」情報が「タンパク質」をつくる、つまり体をつくる、という仕組みは、すべての生きもので共通です。ただし、ヒトが持つのは、ヒトの体をつくる情報であり、マウスにはマウスの体をつくる情報が、イネにはイネの体をつくる情報が備わっているのです。それぞれ、ヒトゲノム、マウスゲノム、イネゲノムというカセットテープを持っているわけですね。
では、あなたのゲノムと私(ヒトです)のゲノムは、どれくらい違うのでしょうか? 実は、ヒトゲノムの個人差は、約0.1%と言われています。ゲノムレベルで見ると、大して違いがないのですね。この差は、人種が違っても、やはり0.1%ぐらいだそうです。人類みな兄弟、というところでしょうか。
しかし、たとえ0.1%といっても、約30億文字の0.1%ですから、約300万文字の違いがあるわけです。私たちの生活の中では、この個人差が重要な意味を持ってきます。たとえば、病院でお薬をもらうとします。同じ薬でも効果が出やすい人もいれば、なかなか効かない人もいます。副作用が強く出る人もいますね。この体質の差が、ゲノムの個人差によって決定づけられている場合があるのです。ときには、DNA上のたった一文字の差(SNPと呼ばれています)だけで、薬に対する反応がまったく違ったりするのです。この個人差を調べて、それぞれの体質に合った薬を処方するための研究が、近い将来の実用に向けて進められています。
私たち個々人のゲノム情報は、「個人遺伝情報」と呼ばれます。遺伝情報がわかればその人が全部わかる、というわけではありませんが、ある種の体質や、病気のリスクなどが推定できるため、「究極の個人情報」とも言われます。病院で遺伝情報を調べて治療に生かしてもらうのは大変望ましいことですが、個人情報の管理はしっかりしてもらわないと困りますね。また、遺伝情報による不当な差別が起こらないよう、私たちは心構えをしておかなければなりません。人類はみなヒトゲノムをもつ兄弟、という寛容さを忘れないでいたいものです。
生命科学はますます身近になります
現在の生命科学は、このようなミクロな視点で、生命とは何かをさぐっています。生きものの進化の歴史に対する新しい知見も与えてくれます。ヒトとは何か、という問いへ、新しいものの見方も提示してくれます。
そしてその応用は、ますます私たちの生活に身近になってきています。医薬品の開発や、個人に合わせた医療の実現化だけではありません。過酷な状況でも育つ植物の研究や、化石燃料に代わるバイオエネルギー(バイオエタノールなど)の研究は、食糧問題・環境問題の対策に大きく寄与することでしょう。たとえば、遺伝子組み換え技術を利用して、効率よくエタノールを抽出できるような植物の開発も行なわれています。生きものからヒントを得た新技術や新素材も、次々生まれています。21世紀は生命科学の時代です!
※〈図1〉~〈図6〉は、文部科学省科学研究費特定領域研究ゲノム4領域主催イベント「ゲノムひろば」の基礎知識コーナー「そもそもゲノム」のパネルから、承諾をいただいた上、部分的に転用させていただきました。
加藤牧菜(かとうまきな)
所属: (株)オフィスマキナ
学位: 博士(理学)
筑波大学第二学群生物学類卒業、同大学院生物科学研究科修了(生命倫理専攻)。論文「バイオテクノロジー企業における生命倫理」で博士号を取得。その後2年間、京都大学生命科学研究科に研究員(ポスドク)として勤務。生命科学を市民に伝える活動、市民から研究者へのフィードバックに関する研究等を行なった。科学に関するコミュニケーションの重要性を感じ、2006年に独立して、学術イベント・制作物の企画・コンサルティングを行なう会社を設立。また、クラシック音楽の演奏会プロデューサーとしても活動。「サイエンスと文化」にかかわるさまざまな分野で「コミュニケーションの場づくり」に貢献したいと考えている。
文:加藤牧菜/図表:上記※のとおり/イラスト:みうらし~まる
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